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登進研バックアップセミナー78・講演内容

 

さよなら不登校①~こうして彼らは一歩を踏み出した


*2011年9月11日開催の登進研バックアップセミナー78で行われた「不登校体験者と直接話せる、質問できるセミナー『さよなら不登校〜こうして彼らは一歩を踏み出した』」の内容をまとめました。
*「不登校体験者と直接話せる、質問できるセミナー」では、参加者の方々が10〜20人のグループに分かれて一人のゲスト(体験者)を囲み、自由にお話ができるようにしました。1グループに1人のカウンセラーが世話役として加わり、お話の整理をしています。以下の抄録で「Q」とあるのは、参加者の方々から体験者に向けての質問です。
*ゲストのお名前は仮名、年齢等はセミナー開催時のものです。

 

ゲスト

片山 幸子(小学校補助教員、23歳)

世話役

齊藤真沙美(世田谷区教育相談室心理教育相談員)

 

片山幸子さんのプロフィール

●不登校の期間:中2の4月から高校入学まで。
●不登校のきっかけ:不登校のきっかけ:中高一貫の私立女子校に入学後、部活のトラブルにまきこまれて学校に行けなくなる。しばらく保健室登校をしていたが、中2の4月から完全に不登校に。
●転校2回:中2の秋に地元の公立中に転校。担任の冷たい対応などにより3日で行けなくなる。その後、別の公立中に転校したが、女子グループ間の板ばさみになって再び行けなくなる。
●フリースクールに通う:自分でインターネットでフリースクールを探し、通いはじめる。
●サポート校に入学:高校進学は不登校から離れたところで再スタートを切りたい、みんなが行くような「普通の高校」に行きたいと思い、何校か見学に行ったが、自分には合わないと感じて、フリースクールの系列校であるサポート校に入学。サポート校の担任教師の影響により教員になりたいと決意し、大学進学を目指す。
●現在の状況:大学で教員資格を取得し、卒業後の現在、小学校の補助教員として毎日子どもたちと忙しくも楽しい日々を過ごしている。

父と取っ組み合いのケンカもしました(笑)

     

Q

 当時、お父さんと取っ組み合いのケンカをしたこともあるそうですが、お父さんとはあまり関係がよくなかったんですか?

片山

 とくに父と関係が悪かったわけではありませんが、私の不登校については母のほうが一生懸命に対応してくれた印象があります。ただ、もし父のほうも母と同じように対応してくれたとしたら、逆にプレッシャーになったかなと思ったりもします。その意味では、父と母とでバランスがとれていたのかもしれません。
 ケンカの理由はよく思い出せないんですが、そのとき父が「オレだっていろいろ考えてるんだ!」と怒鳴ったことは、はっきり覚えています。それで初めて、父も私のことを考えてくれていたんだとわかりました。それはケンカをしたからこそ言ってくれた本音なのかもしれません。

 

Q

 日頃、お父さんとはどんな話をしていましたか? 不登校のことについて話したりすることはありましたか?

片山

 2人で犬の散歩に行ったり、車で出かけたりすることはありましたが、不登校については、お互いにふれないようにしている感じでした。普段の会話のなかで、学校のことや不登校のことをストレートに口にすることはありませんでした。父が意識的に口にしなかったのかどうかはわかりませんが。

齊藤

 お父さんとの取っ組み合いのケンカは、お互いに理解し合うきっかけになった大きな出来事だったと思います。ケンカを通して、片山さんは自分が放任されているのではないとわかったし、その後、お父さんの対応も変わったということで、ケンカがお父さんとのかかわりの転機になったような気がします。
 当時のお父さんは、娘とどのような距離で接すればいいのかわからなかったのかもしれません。口を出しすぎてお母さんと同じ対応になると片山さんにとっては負担でしょうし、何もふれなければ“見捨てられ感”が出てくる。だから、少し距離を置いたところから、「気にしているよ」というメッセージを送る程度が望ましい関係だったのかもしれません。
 親の対応というものは、こうすればOK、こうしたらアウトということはなくて、それぞれの親子関係のなかで望ましいかかわりを模索していくものなんでしょうね。  今、片山さんとお父さんとはどんな関係ですか?

片山

 すごく仲がいいほうだと思います。最近、ひとり暮らしを始めたんですが、私が実家に帰る日は、父は「今日、帰ってくるのか?」「何時に帰ってくるんだ?」と母にしつこく聞いたりするみたいです(笑)。私も父にすごく甘えるし、自分が父に必要とされている感じが伝わってきて、いい関係を築けているかなと思います。

 

Q

 当時、学校に行けなくなった理由を親御さんに伝えましたか? 親としては、理由がすごく知りたいと思うのですが。

片山

 部活内でいじめがあって部活のみんなで話し合いをしたんだよという話は伝えました。そうしたら母がなにげなく、「今度はあなたが目を付けられたりしないの? 大丈夫?」と聞いてきて、そのひと言で「えっ?! じゃあ今度は私がターゲットになっちゃうの?」と不安になったという話もしました。だから母のほうも「この子、不安なのかな」と気になっていたかもしれません。

齊藤

 学校に行けなくなってから、自分のつらさとかイライラする気持ちをお母さんに言葉で伝えたことはありますか?

片山

 面と向かって話すのは難しかったですね。でも、母とときどきドライブに行っていたんですが、そのときはけっこう話していたと思います。車だと、母が運転席で、私が助手席で、横並びになるので話しやすいんです。

齊藤

 行き詰まっているような状況で、面と向かって「さあ話すぞ」みたいな感じになると、お互いに構えてしまって本音の話がしにくいところがありますよね。片山さんとお母さんのように車で同じ方向を向いて座って、ドライブを楽しみながらなにげなく話をするほうが、素直に本音が出やすいのかもしれません。何かをしながら、何かを共有しながら話をするということが、ときに非常に効果的に働くことがあるのかなと思います。

 

口では「行かなくていいよ」と言いながら、体中から行け行けオーラが出ている

     

Q

 親御さんの対応で嫌だったことがあったら教えてください。

片山

 母は、口では「学校に行かなくていいよ」と言いながら、体中から“行け行けオーラ”が出ていて(笑)。私のことを気づかって「行かなくていい」と言ってくれているとは思うんですが、本心じゃないっていうのはやっぱりわかるんですよね。そうなると、「あーあ、嘘ついてるんだ」という感じで、本音で話してほしいなという思いはありました。
 あと、嫌みを言われたこともあったかな。
 いちばん印象に残っているのは、中学校の卒業式の日、母は、私に卒業証書を自分の手で受け取ってほしいと思っていたので、私は行きたくなかったけど、「行くよ」と言っていたんです。でも、当日になったらやっぱり行けなくて、母が私の代わりに受け取りに行ってくれたんです。それで、学校から帰ってきた母に「なんで私があなたの代わりに受け取らなきゃいけないの」みたいなことを言われて……。
 まあ、嫌みかどうかわからないんですが、私には嫌みに聞こえて、今も印象に残っています。確かに、母の言うとおりなんですけどね(笑)。

 

Q

 中学校の卒業式に出られなかったことを後悔していませんか?

片山

 自分で出ないと決めたので、後悔はしてないです。行ったほうがいいんだろうなとは思っていましたが、やっぱり行けない。修学旅行のときも、荷づくりをして荷物を送ったはいいけど本人は行かずに、荷物だけ旅行して帰ってきたということもありました。
 卒業式も修学旅行も、家族からすれば記念になるし行ってほしいという気持ちがあると思うんですが、本人が決めたなら、たとえ後悔することになっても自分で決めたことだからそれでいいんじゃないかなと思います。

 

Q

 4つ上のお姉さんがいるそうですが、お姉さんとの関係はどうでしたか?

片山

 姉とは小さいときからずっと仲がよくて、今でも好きなアーティストのライブなどに姉の旦那さんと3人で行ったりしています。
 不登校中は、姉が母のいいアドバイザーになってくれて、母が私に付きっきりになってオロオロしていると、「ちょっと放っておけばいいんじゃない」と声をかけてくれるような存在でした。私の様子を見ていたせいか大学も心理学のほうに進んだり、姉は私にとって今も昔もよき理解者だと思っています。

齊藤

 お姉さんとは好きなマンガが同じだったり、一緒にスポーツを楽しんだりと、共有できる部分も多かったと聞いています。また、片山さんに対して、お母さんほどべったりな関係ではなく、一歩引いたところからもう少し客観的に、お母さんと彼女の両方を見て率直な意見を言ってくれたり、お母さんと彼女の調整役を担ってくれていた部分もあるようです。こうしたお姉さんの存在は、お母さんにとっても彼女にとっても大きな支えになっていたのではないかと思います。

 

学校に行けない自分は「普通じゃない」という気持ち

     

Q

 当時、自分を否定する気持ちや消えてしまいたいという気持ちになったと伺いましたが、そういうネガティブな気持ちはどの時点で消えていったのでしょうか? また、どのようにしてそういう気持ちと折り合いをつけていったのかを教えてください。

片山

 自分を否定的に思いはじめたのは、みんなが当たり前に学校に行っているのに、自分はそれができないということが第一にありました。私は普通の子じゃない、しかも親を悲しませ、姉にも心配をかけている……。そういうことが全部マイナスに働いて、すごくつらい気持ちでした。
 そういうマイナス方向の気持ちにどう折り合いをつけたかというご質問なんですが、たとえば、私はマンガを描いたり詩を書くのがすごく好きだったんですけど、もうひとつ、音楽にとても勇気づけられた経験があります。Surface(サーフィス)という男性ユニットの「なにしてんの」という曲なんですが、歌詞が素晴らしくて。今まで歌詞に勇気づけられるという経験がなかったので衝撃を受けました。今でもそのアーティストが大好きで、仕事でうまくいかなくて悩んだときなどは、そのアーティストの曲を聴いて、「悩んでいるのは私だけじゃない」「頑張らなくちゃ」と、自分のモチベーションを上げるおまじないのような存在になっています。

齊藤

 人によってそれぞれだと思いますが、それをすると気持ちが穏やかになったり、安心したり、元気になったりするものが見つかるといいですよね。片山さんは、それを見つけて、落ち込んだときの感情コントロールの方法のひとつとしてうまく使っているのだと思います。今でもそのアーティストのライブに行っているとのことで、きっとこれからも彼女の心の支えのひとつになっていくのだと思います。
 また、マンガや詩で自分を表現することも彼女を支えていたのかなと感じます。ご両親もそれはよくわかっていて、長時間マンガを描いていたりしても文句を言わず、やりたいようにさせてくれていたそうです。そういう時間が確保されていたこともプラスの要因になったと思います。

 

Q

 マンガや絵が好きということですが、そちらの進路を考えたことはないですか?

片山

 中学受験のとき、第一志望は美術系の私立中だったんですが落ちてしまって、すべり止めといったらなんですが、そちらの中学校に入りました。ただ、絵は趣味でやっていたので、それで食べて行こうとまでは考えていなかったんですが、両親はそちらの方面でやっていければと思っていたみたいです。

齊藤

 プロになる気はなかったということですが、マンガについては雑誌に投稿するくらい本格的なストーリー性のあるものを描いていたんですよね?

片山

 はい。それでマンガの画材を母と一緒に買いに行くこともよくありました。中学生だと行動範囲が限られるので、母に連れて行ってもらって、その間いろいろ話をしたりということがありましたね。

齊藤

 片山さんが好きでやっていることをお母さんが理解し興味をもって、一緒に買い物に行ってくれるというのは、とてもいい関係だったと思います。子どもが興味をもっていることに親も関心をもつというのはなかなか難しくて、とくに今流行っているものだったりすると親はついていけなかったりするんですが、わからないながらもそれについて話をしたり、一緒に買い物に行ったりという活動ができると、子どもは「自分を認めてくれている」「関心をもってくれている」と感じて、安心できるのかなと思います。

 

 中2の息子は、学校に行けない自分にイライラするらしく、よく物を投げたり、大暴れします。そんなとき親はどう対応すればいいと思いますか?

片山

 私もいろんなものをずいぶん壊しました(笑)。オーブントースターを投げつけて壊したり、車のフロントガラスを蹴って割ったり、家の壁も2カ所くらい穴を空けました。
 当時、引越しをしたときに、引越し業者の方から「この壁、どうしたんですか?」と聞かれたらしいのですが、そのとき父は「タンスを倒して穴を空けちゃったんです」と答えたそうです。その話をあとで母から聞かされて、ちょっと愛情を感じたというか、うれしかったですね。本人だって、壁に穴を空けたことは悪かったと思っているんです。ごめんねとなかなか言えないんですが……。でも、両親からは一度も責められたことがなくて、それはとても有り難かったです。フロントガラスを割ったときも、「なんでそんなことしたんだ!」と怒ったりせず、黙って車を修理に出してくれました。
 そのとき、もし両親から怒られたとしたら、「じゃあ、私のこのイライラはどうやって発散したらいいんだろう」と思ったかもしれません。かといって、尾崎豊の歌のように「盗んだバイクで走り出す」みたいな不良にもなりきれない自分がいて……。でも、そういうイライラを外で発散しなかったのは、家のなかで発散できる環境をつくってくれたからで、つまりは両親の対応のおかげかなと今では思っています。

 

不登校状態から一歩踏み出すきっかけは?

     

Q

 不登校だった中学校時代から気持ちを切り替えて、高校で再スタートを切ろうという前向きな気持ちになれたきっかけのようなものはありますか? また、そのときにご両親はどのようなバックアップをしてくれましたか?

片山

 もともと高校には行きたいと思っていたんですが、でも、親からみれば「この子、行ける高校あるのかな」という感じだったと思います。不登校状態から一歩踏み出すきっかけということでいえば、高校よりもフリースクールに行きはじめたことのほうが大きいかもしれません。
 実は、フリースクールに通いはじめたきっかけも、「フリースクールというのがあるんだよ」という母のひと言でした。私も、ずっと家にいるのは嫌だなと思いはじめた時期だったので、うまくタイミングが合ったんだと思います。それで家から一歩出てみようかなと、自分でインターネットで検索して、出てきたフリースクールに自分でメールを出して、見学しに行ったという経緯があります。
 それまではずっと家にいて、母も私も気まずいというか、息が詰まる感じがあったんですが、私がフリースクールに通い出し、母も働きに出たことで、外にいる間はお互いに別のことを考えられるようになった。そういう時間をもてたことはよかったなと思います。
 フリースクールに通った日数は、学校の出席日数にカウントされるというのも、私にとっては自信というか張り合いになったと思います。

齊藤

 高校については、もともと行くって決めていたの?

片山

 というか、女子高生っていうのをやってみたいな、と(笑)。すごい憧れがあって、だから高校に行きたくないとは思わなかった。今考えると不思議ですよね。

 

「自分に合う学校」を選びたい

     

Q

 中3の娘は、学校そのものに対して強い嫌悪感をもっていて、転校してもやはり登校できませんでした。最近は、「自分は学校という制度に合わないのではないか」とよく言っています。そろそろ高校進学のことを考えなければいけないのですが、片山さんが進学するとき、どんなことを考えて高校を選んだのですか?

片山

 高校進学は、自分にとって“再スタート”のような気持ちがあったので、とりあえず不登校から離れたところでスタートを切りたいな、と最初は思っていました。なので、サポート校があるのは知っていたけれど、やっぱりみんなが行くような普通の高校に行きたいと思って、母と一緒に都立や私立の高校に見学に行ったりしました。
 でも、実際に行ってみると生徒が派手な感じだったりして、自分には合わないんじゃないか、ここでは自分らしく高校生活を過ごせないんじゃないか、と肌で感じました。
 だったら、今通っているフリースクールの系列のサポート校なら安心して過ごせるんじゃないかと思って、そのサポート校に単願で希望を出して入学しました。

齊藤

 実際にいろいろな学校に見学に行って、自分の目で見て、肌で感じて……というのはとても大事ですよね。自分に合う合わないというのは、非常に感覚的な部分が大きいと思うので、実際に学校の雰囲気を体感して、そこで過ごす3年間を思い浮かべてみるという作業を通して、自分に合う学校を選ぶことができたのかなと思います。

 

Q

 見学に行く高校は自分で選んだんですか?

片山

 はい、自分で選びました。ただ、選ぶ基準は偏差値とかもあるんですが、とにかく制服第一でした(笑)。中学校でも不登校だったので、制服を着て学校に通ったことがほとんどないんです。だから制服を着て通学したいという思いが強くあって、この可愛い制服がいいな!という、すごく単純な理由で学校を選んで、見学に行きました。

 

Q

 19歳の息子がいます。中学で不登校になり、なんとか高校に進学しましたが、友人関係のトラブルがきっかけで1年留年し、通信制高校に転校しました。ところが、そこでもまた不登校になってしまい、スクーリングや試験の日になかなか登校できません。現在高3でギリギリ卒業できそうですが、人間関係に過敏すぎて人とかかわるのが苦手な子が、この先、大学に入って、社会に出てやっていけるのか不安です。
 片山さんは、高校時代は不登校ではなかったのですか。また、大学受験は一般入試ですか、推薦入試ですか?

片山

 大学は推薦入試で、エントリーシートと面接を経て入学しました。
 高校は、先ほどお話ししたサポート校ですが、1年の頃はまだ学校生活のリズムに慣れていなかったので休みがちでした。2〜3年のときは毎日頑張って通学していましたが、2年のときはクラスの親しい友だちが休みがちだったりしてクラス内に友だちがいなかったので、昼休みや放課後は別のクラスの子たちと一緒に過ごしていました。そのときに、一人でも頑張れるというか、友だちとずっと一緒にいなくても大丈夫という自信がついたように思います。だから、3年生のときはほとんど休まずに通えたのかなと感じています。

齊藤

 片山さんの通った「サポート校」というのは、通信制高校と連携して高校卒業資格を取得できる民間の教育機関です。一般の高校と比べて出席日数のしばりが緩やかなので、不登校の子どもたちが安心して学べる場として、近年、注目をあびています。
 毎日出席することが前提になっていないので、片山さんのように慣れない1年生のうちは休みがちでも大丈夫だし、2年、3年とだんだん自分のペースをつかんで通えるようになってくると自信も出てくる。それが自然に大学という進路につながったのだと思います。

 

Q

 娘は小6から不登校になって、現在、私立中の1年生です。人づきあいが苦手な子なので、私立の女子校なら通えるかなと思ったんですが、夏休み明けからまた行けなくなりました。今、転校を考えていて、いろいろな学校の情報を知りたいので、差し支えなければ、片山さんが通っていたフリースクールとサポート校の名前を教えていただけますか?

片山

 フリースクールは、代々木の駅前にある「フリースクールゆうがく」というところです。サポート校は、同じく代々木にある「東京国際学園高等部」です。

齊藤

 今のご質問で、転校を考えているというお話がありましたが、片山さんも私立の女子中から公立中に転校されていますよね。参考までに、転校に至る経緯を教えていただけますか?

片山

 中2の2学期から完全に学校に行けなくなったんですが、その前の夏休み頃に学校の先生から「このままずっと保健室登校をしていて教室に入れないんだったら、学校に来なくていい」と言われてしまったんです。
 もうどうしようと思って、頑張って夏休み中から部活に出始めて、そのまま2学期も出続けていたんですが、ちょうどその頃、1学期中に私と一緒に保健室登校をしていた子をめぐってトラブルになり、その結果、教室にも行けず、保健室にも行けず、家でずーっと自分の部屋に閉じこもっているという状態になりました。
 その頃、母が「そんなにつらいんだったらやめてもいいんだよ」と言ってくれて、そのとき初めて「やめるという選択肢もあるんだ」と気づきました。それまで私は、今通っている私立中しか行き場がないと思っていたんです。
 それで母に「やめたい」と伝えて、地元の公立中に転校したんですが、母もきっとつらかったと思います。せっかく頑張って合格した私立中ですから、やめる手続きの書類に判を押すときは涙が出たとあとで聞いて、悪いことしたなと思いました。でも今、元気でいるからいいよね、みたいな感じです(笑)。

 

学習面の遅れをどうクリアするか

     

Q

 息子は中1から3年間不登校でしたが、今は高校に入学し、毎日元気に通っています。ただ、3年間学校に行っていないので、学習の遅れが今後どう影響するのか気になっています。片山さんは、高校に入ってから学習面で苦労したことはありませんか? また、大学に進学するにあたっても学力不足の問題は大きいと思うのですが、そのへんをどうクリアされたのかお聞きしたいです。

片山

 学習面については、いまだに苦労している面があります(笑)。高校が決まるまでは両親もすごく心配して、家庭教師をつけてもらったり、塾に通ったりもしたんですが、家庭教師が不登校について無理解だったり、塾とも相性が悪かったりして、挫折をくりかえしていました。
 高校に入ってからは、英語や数学は習熟度別のクラス編成になっていて、自分のレベルに合わせて勉強できたので、そんなに苦労した記憶はありません。
 ただ、大学に入ってからはかなり苦労しました。私が通っていた大学は、資格をいろいろ取らないと卒業できなかったので、たとえば英検の準2級を取るときは、先生につきっきりで指導してもらったり、友だちに協力してもらったり、ものすごく頑張らないといけない状態でした。でも、その先に自分のやりたいことが見えていたので頑張れたのかなと思います。
 今もこの職業(小学校の補助教員)に就いて、自分自身も勉強をしながら同時に子どもたちに教えるというのはなかなか大変で、そのあたりで多少苦労している部分はあります。

齊藤

 もともと「勉強が嫌い」と言っていた片山さんが、そこまで頑張れたのは、やはり教員になりたいという目標をもてたことが大きいのでしょうね。

 

Q

 中学のときに人間関係で嫌な思いをされたわけですが、高校に入ってから人間関係で困ったり悩んだりしたことはありますか?

片山

 サポート校に入る前に、その学校と同じ系列のフリースクールに通っていたので、フリースクールの友だちがそのまま持ち上がりでサポート校に入学したような感じだったんです。だから、知り合いの誰もいない高校に入るよりは、安心して入学することができました。フリースクールもサポート校も不登校を経験した子が多かったせいか、友だち関係でトラブルになったことはありませんでした。

齊藤

 片山さんは私立中に入学後、部活内のトラブルがきっかけで学校に行けなくなり、その後、地元の公立中に転校しましたがそこも行けなくて、さらに別の公立中に転校しています。それぞれの学校で人間関係にずいぶん苦労したと思うのですが、そのあたりのお話を聞かせていただけますか?

片山

 何度も転校しているので、話がすごく長くなりそう(笑)。
 最初の私立の女子中学校のときは2年生で不登校になったんですが、1年のときに自分が部活のなかで孤立しはじめたことに気づいて、部活の仲間とは距離を置こうと思い、別の友だち関係を築いてその子たちとつきあっていました。ところが2年になって、部活の仲間のひとりから、他の仲間にいじめられていると相談を受けるようになり、そのあたりから部活内の雰囲気が悪くなってきました。部活内でいじめについて話し合いもしたんですが、結局、そのいじめられている友だちと私が悪者のような感じになって、学校に行きにくくなってしまいました。
 次に転校した公立中でもほとんど登校できず、また別の公立中に転校したんですが、転校したばかりで右も左もわからないときに、クラス内の派手系の女の子たちのグループと地味系の女の子たちのグループの板ばさみになり、転校2日目にして身動きがとれなくなってしまいました。もう人間関係はこりごりだという気持ちになって、ここでも行けなくなって……。当時は、まわりのことを考えすぎて、逆に自分が身動きがとれなくなってしまうという感じだったのかなと思います。

 

マイナスの体験をプラスに転換する

     

Q

 人間関係で傷ついたことがきっかけで不登校になった片山さんが、人とかかわる学校の先生という仕事を選んだのはなぜですか?

片山

 教員を目指すきっかけとなったのは、サポート校で1年生の担任だった先生との出会いです。その先生に特別何かをしてもらったわけではありませんが、私の気持ちが全部わかっているんじゃないかと思うくらい、いつもやさしい目で見守ってくれていました。ところが、3年生になったとき、その先生が突然辞めてしまったんです。みんなけっこう落ち込んでいたんですが、私はその先生にたくさんのものをもらったから、今度は自分がその立場になってつなげていかなきゃいけないという使命感のようなものを感じて、じゃあ頑張って先生になろうと思って大学進学を決めました。
 中学校のときは学校も嫌いだし学校の先生も嫌だし、学校に悪いイメージしかなかったんですが、フリースクールに行ったらそこの先生がやさしくて自分たちをちゃんと見守ってくれているのがわかって、それでサポート校を選んで入学したらそういう先生に出会えた。それはマイナスから始まってプラスに転換したというか、プラスマイナスゼロじゃなくて、プラスマイナスプラスみたいな感じの体験だったので、そういう体験が先生を目指そうと思った大きなきっかけかなと思います。

齊藤

 私立の中学校で「もう来なくていい」くらいのことを先生に言われて、ものすごく傷ついたし、学校自体が嫌になって当然のような状況があったわけですが、その後のさまざまな出会いとご本人の頑張りで、マイナスだった部分は帳消しになり、むしろプラスの体験として心に残り、そういう仕事がしたいと思ったというのは、まさに片山さんのパワーであり、素晴らしいところだなと感じます。

 

Q

 不登校というつらい経験を、教員生活に生かしていこうとする姿勢が素晴らしいと思います。どうしたらそのような考え方ができるのでしょうか?

片山

 自分が不登校をしたからこそわかることがあると思うし、だから、不登校の子どもたちはもちろん、その子の親御さんの気持ちにも寄り添えるような教員になりたいと思っています。そこが私の強みかなと、今、この職業を通して感じています。

 

ずっと味方でいてくれた家族

     

Q

 現在、不登校をしている子どもたちに何かアドバイスをいただけますか?

片山

 私なんかがアドバイスなんておこがましいですが……。
 当時は、「頑張れ」ってすごくつらい言葉だなと感じていました。「頑張って!」とか言われると、「今、けっこう頑張っているんだけどな」「これ以上頑張れないよ」とよく思っていました。
 不登校の子は家にいるわけですが、家族が自分の味方だとわかっているからそこにいるんだと思うんです。そう思えない子は外に出ちゃうのかなと思うので、家族が「あなたの味方だよ」という思いをもっていれば、具体的な言葉とかじゃなくても、その思いは伝わるのかなと思っています。
 だから私は、ずっと味方でいてくれた家族のことが大好きですし、私が今こうやって頑張っている姿を好きだよって言ってくれることを有り難いなと思っています。

齊藤

 まだまだ質問なさりたいことがたくさんあると思いますが、そろそろ時間になりましたので、これで終了させていただきたいと思います。最後に、本日、勇気をもってご自分の体験を話してくださった片山さんに大きな拍手をお願いいたします。みなさま、ありがとうございました(拍手)

片山

 ありがとうございました。

 

片山幸子さんからのメッセージ 「あの頃をふりかえって思うこと」

 当時をふりかえったとき、つらかったことも悩んだことも、今では笑い話になっていることを不思議に思います。
 「不登校」は、私にとって決していい思い出ではないです。だけど、悪い思い出ばかりでもないのです。悲しくて惨めで、親に心配ばかりかけていたのに……。でも、それがあったからこそ、わかったこともたくさんありました。
 不登校を経験して、私は人に対して少しだけやさしくなれた気がします。私を傷つける人もいるけれど、それ以上に私を受け入れて支えてくれる人の存在に気づけたからです。だから私も、誰かの力になれる存在でいたいと強く思いました。そう思って生きていくのが、私を受け入れてくれた人たちへの恩返しです。
 そして今、頑張りたいことや好きな仕事が目の前にあることに幸せを感じます。もちろんきつい場面もたくさんあるけれど、それでも頑張っている私の姿を「好き」と言って応援してくれる家族がいます。そんな家族に支えられながら、私は今日も笑顔で過ごしています。

 

 

 

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