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転機は突然訪れるのか

2016年1月24日に開催された登進研バックアップセミナー96の第1部の内容をまとめました。


講 師 今村 泰洋(元東京都教育相談センター主任教育相談員)
小栗 貴弘(跡見学園女子大学心理学部准教授)
荒井 裕司(登進研代表)
司 会 齊藤真沙美(東京女子体育大学・東京女子体育短期大学講師)
※講師の肩書きはセミナー開催時のものです。
齊藤  今日は私を含め4人の講師の方々に、これまで関わった不登校の子どもたちの事例を取り上げ、その子が迎えた転機(ターニングポイント)についてお話しいただきます。それぞれの事例紹介の後に、今村先生に分析とまとめをお願いしました。みなさまが抱える状況とピッタリ重なる事例ではないかもしれませんが、これらの事例に共通の背景やエッセンスを汲み取っていただければと思っています。

【事例➀】中学受験で入学した私立女子校で不登校になった女の子(齊藤講師)

 私がこの女の子に関わったのは、私立中高一貫校の中学1年のときからです。わが子の突然の不登校に驚いたお母さんが、私の勤務する教育相談室を訪ねてこられ、担当することになりました。私立中学に入学するくらいですから成績優秀で責任感も強く、任せられた委員や係の役割をしっかりとこなす真面目な女の子でした。

 ところが中学校に入学後、女子グループ間のいざこざやいじめが続き、自分がターゲットにされることはなかったものの、仲良しの友だちが嫌な思いをしたり、クラス全体がギスギスした雰囲気になっていくのを見るにつけ、真面目で正義感が強く、感受性の豊かな彼女は、そうした毎日に苦痛を感じるようになっていきました。

「いじめがあっても、先生は何もしてくれないんだ」

 そんなある日、彼女は勇気を出して、いじめの状況やクラスの雰囲気について担任の先生に相談してみたそうです。しかし、話は聞いてくれたものの具体的な介入や指導は行われず、「せっかく勇気をふりしぼって相談したのに、先生は何もしてくれないんだ」と、学校に対する不信感を募らせていくことになります。そして、中1の後半あたりから、ついに腹痛や頭痛などの身体症状が出はじめ、学校に行けなくなりました。

 真面目で優等生の娘さんが突然休みはじめたことから、お母さんはひどく戸惑って、どうしたらいいのかわからない状態でした。当初は「学校は行くべきところ」「行かなきゃダメ」と強く叱責したり、泣きながら学校に行くよう説得したこともあったそうですが、学校に出向いて担任や学年主任の先生と相談したところ、別室登校は難しく、スクールカウンセラーも配置されていないなど、不登校の生徒に対する配慮や支援はほとんど期待できないことが明らかになり、無理に説得して再登校を促したとしても状況は好転しないだろうことが親御さんにもわかってきたようです。

 今の私立中に戻すのは酷なことだと思うようになってから、お母さんは家で過ごす彼女を温かく見守るようになりました。すると、彼女はしだいに好きなビーズ手芸やパズルを楽しんだり、パソコンで調べものをしたり、やがて少しずつ勉強机にも向かうようになり、家で安心してゆったりと過ごせるようになってきました。

地域の吹奏楽サークルに参加して自信をつける

 その後、吹奏楽のサークルに参加するようになったのも、彼女によい変化をもたらしました。彼女は小さい頃からピアノを習っていて、中学校では吹奏楽部に所属していたこともあり、どこか楽器を演奏できる場所はないかと探していました。間もなくお母さんが、自宅近くに吹奏楽サークルがあるのを見つけてきてくれて、すぐに参加を決めました。メンバーには社会人も多く、休日に集まって練習するのですが、そのサークルで年上のお兄さんお姉さん、おじさんおばさんたちに可愛がられ、楽しそうに練習に通っていました。学校へは中2になってもほとんど登校しませんでした。

 そうこうするうち中2の3学期になり、高校進学を見据えて、現在の私立中に残るか、地元の公立中に転校して高校受験に臨むか、決断を迫られる時期に差しかかりました。そのとき彼女は、地元の公立中に転校し、そこで公立高校への受験を目指したいと自ら決断したのです。

 私立中から公立中に転校する場合、地元の中学に行くか、それとも学区外の別の中学に行くかというのも悩ましい問題です。たいていの子は顔見知りの同級生がいる地元の中学には行きたくないので、学区外の中学校を選びますが、彼女は逆に「小学校で仲のよかった子や知っている子がいるほうが通やすい」と言い、中3から地元の公立中に転校。そこで学校復帰を果たしました。公立中に転校してからは、たまに欠席する程度で、中学校を無事卒業。その後、公立高校に進学し、現在は大学で頑張っています。

その子の感じたこと、考えていること、やりたいことを尊重する

 その間、私がカウンセラーとして心がけたのは、彼女が感じたこと、考えていること、やりたいことを十分に尊重することでした。彼女は、まわりの人にすごく気をつかい、周囲の大人が何を期待しているかを察知して行動するタイプです。だから、自分の気持ちをあまり表に出さないし、自分の考えも強く主張しません。

 弟さんが病気がちなこともあって、お母さんはそちらに手をとられ、しっかり者の彼女は放っておいても「ひとりでできる」と思われてしまいがちで、親御さんの配慮が十分に行き届かない面もありました。ですから、彼女の気持ちや考えていることに耳を傾け、賛同しながら、彼女の好きなビーズやパズルなどを一緒に作り上げるなかで、彼女を支えるような関わりを行いました。

 同時に、お母さんにも彼女の気持ちをよく聞いて、その気持ちを受けとめるような関わりをお願いしました。すると彼女も徐々にお母さんに気持ちを伝えられるようになり、ついには、お母さんに手紙を書くようになったのです。自分が学校でどんな思いをしていたか、今はどんな気持ちか、過去にさかのぼって小さい頃に嫌だったことなども書くようになりました。

自分で結論を出し、自分で転校を決める

 最初の頃、お母さんは手紙からあふれ出るような彼女の思いを受けとめきれず、「どうしたらいいでしょう」と相談にみえたこともありました。しかし、手紙に書かれた内容をひとつひとつ娘さんと共有したり、返事を書いたりするうちに落ち着いてきて、今度は、お母さんが自分の気持ちを彼女に伝えることで、スムーズなやりとりができるようになっていきました。最終的には、彼女自身が進路をどうするか、どんな道に進みたいか、どんな学校が自分に合っていると思うかなどについて、お母さんと話し合いながら自分で結論を出し、自分で転校を決めることができました。

 転機になったことをひとつに絞るのは難しいですが、学校復帰に焦点を当てて考えると、私立中から地元の公立中に転校したことが大きなポイントになると思います。そこに至るまでには、彼女がビーズやパズルなど自分の好きなことをやりはじめたり、吹奏楽サークルに参加していろいろな人との関わりのなかで自信をつけたこと、自分の気持ちを大事にするようになり、それをまわりの人に表現できるようになり、お母さんに手紙を書きはじめたことなどがきっかけになった気がします。

 何よりも、これまでまわりのペースに合わせて生活してきた彼女が、「自分はこうしたい」「自分はこう思う」と主体性を外に向かって発信できるようになったことがいちばん大きいのではないでしょうか。最終的に大きな転機となる公立中への転校についても、誰に言われたわけでもなく、いくつかの選択肢のなかから「自分はこれをしたい」と選ぶことができました。そこが最大のポイントだろうと思っています。

【事例②】毎日遅刻をくり返す高校1年の男の子(小栗講師)

 学年制の定時制(夜間)高校1年生の男の子の事例です。
 小学校の頃から休みがちで、中学校3年間はほとんど学校に行っていないだけでなく、緘黙(かんもく=言語能力には問題がないにもかかわらず、なんらかの心理的要因により言葉を発することができない状態)の傾向がありました。中学校の先生からの申し送りには、「声をほとんど聞いたことがありません」と書かれていました。ただし、高校に入学してからは、ひと言ふた言くらいは先生と言葉を交わすことができていたようです。

留年が危ぶまれるほど欠席が続く

 高校入学後、しばらくは頑張って登校していましたが、高1の2学期頃から少しずつ遅刻が増えてきて、1時間目の授業が終わって夜給食の時間になると登校してくるというパターンが続きました。登校しているならそれで十分じゃないかというと、そうではありません。定時制高校とはいえ公立高校ですから、同じ教科を何度も欠席するとその教科の単位が取れなくなってしまいます。学年制なので一教科でも単位を落とせば留年になります。それが義務教育や通信制高校とは違う点です。ある教科の欠席が増えてきたところで、学校側から私のほうへ支援の要請がありました。

 もちろん学校側は、これまで何度も遅刻しないようにと指導していましたが、遅刻に加えて欠席も増え、2学期の中頃にはほとんど不登校状態でした。ここまで欠席が続くと、いよいよ留年や中退が見えてくる状況です(年間の出席日数の3分の1超が目安)。高校側が教育委員会に連絡してまでカウンセラーに支援を依頼してきたのには理由があり、彼の家はお母さんと彼だけのひとり親家庭で、しかもお母さんは難病を抱えているという話でした。要するに、彼が無事高校を卒業して就労しないと、家庭が経済的に成り立たなくなるのではという危機感が高校側にあったようです。

 高校からは、無断欠席や遅刻が常態化しているので、まずは連絡を入れるよう伝えたと聞きましたが、お母さんは難病のせいで電話をするのが難しく、彼自身は緘黙で、しかも対面より電話のほうが緊張が高まるので連絡できない状況が続いていました。そこで、国語科の先生に頼んで電話連絡用の台本を作ってもらいました。

台本を作って電話連絡の予行練習をする

 「このとおりに読めばいいからね」という台本ですが、そもそも欠席の連絡をするのは誰だって嫌なものです。これを緘黙の彼がやるとなると、かなりの負担がかかります。そこで、彼が登校できた日に、職員室と会議室の内線電話を使って練習をしてもらったところ、その日以来、彼から電話連絡が入るようになったのです。これで解決かと思ったのもつかの間、なんと彼は安心して遅刻するようになってしまいました(笑)。

 電話連絡の練習をして、彼の電話に対する緊張感をやわらげたことは根本的な解決にはつながりませんでしたが、それまで人と話せず、電話もできなかった彼をどのように登校させるかという話だけではなく、学校に行けなくなった背景にあった人と関わるときの緊張感や人と関わるスキルの欠如をどうフォローすべきか、どのように社会性を育んだらいいのかというアプローチが必要になることが明らかになってきました。その意味で彼との関わりは無駄ではなかったと思っています。

しかし、遅刻は減りませんでした。高校の始業は夕方の5時なのですが、アルバイトをしているわけでもないのに、それでも遅れてくる。そこで彼と養護教諭とで話し合いをして、1日のスケジュールを立てることにしました。夕方5時に授業が始まるから、4時に家を出れば間に合う。「じゃあ、何時に起きればいいのかな?」と聞くと、彼は「朝の7時です」と答えました。そこで明らかになったのが、彼には発達障害の傾向があり、時間概念をもつことが難しいということでした。

1日のスケジュール表を作って時間管理をサポートする

 たとえば、秒針のある時計で時間を判断することができなかったり、24時間表記の時計では時間の計算ができない。つまり、夕方の4時に家を出なければいけないときに何時に起きればいいか、逆算して計算ができないのです。だから時間のことは考えないで、なんとなく学校に行く準備をする。そのせいで遅刻するという結果になっていたわけです。
 こうした彼の特性を把握したうえで、養護教諭が本人と相談しながら、絶対に守れるレベルのスケジュールを作ってくれました。そのスケジュールを口頭で伝えるだけでは忘れてしまうので、カラーの用紙に手書きで書いて、「このとおりに準備すればいいから、頑張って守ってみよう」という話もしてくれました。それ以降、遅刻や欠席は少しずつ減っていきました。

 最大の転機は2学期の終わり頃、あと1日休めば留年という“首の皮一枚”の状況にあることを本人が知ってからです。以来、3学期は皆勤を成し遂げ、無事2年生に進級することができました。「あと1日休めば留年」というのは、彼にとって大変な危機的状況だったと思いますが、なんの支援もしないでその危機を迎えても大きな転機にはならなかったでしょう。それ以前にいろいろな準備ができたことで、そのピンチをチャンスに変えることができたのではないかと思います。

【事例➂】いじめにより中1から不登校になった女の子(荒井講師)

 現在、私が関わっている子どもたちは、スクールカウンセラーや養護教諭とも話ができない、相談機関や医療機関に連れて行こうとしても拒否する、あるいは部屋にひきこもって誰とも会おうとしない、そういう子どもたちであり、私自身が直接会いに行って関わるというスタイルをとっています。

 紹介する事例は中学1年から不登校になった女の子で、私が関わりはじめたのは彼女が中学卒業後一年間、自宅にひきこもっていたときです。小5のときからいじめにあっていましたが、誰にも言わずにひとりで耐えていたため、親御さんもまったく気づかなかったそうです。その後、中学に入学してからいじめがエスカレートし、どうしようもなくなって登校しぶりが始まりました。

誰も信用できなくなって家にひきこもる

 そこでようやく親御さんも不審に思い、本人に確認したり、学校に問い合わせたりするなかで、いじめが発覚しました。かなり陰惨ないじめで、驚いた親御さんがスクールカウンセラーを交えて学校側と何度も話し合いをした結果、学校もいじめ撲滅に向けて努力する姿勢を見せ、いったんは解決したように見えました。しかし、彼女がふたたび登校するようになるといじめも再発し、誰も信用できなくなった彼女は自宅にひきこもるようになりました。

 いじめの深刻な状況は親御さんもわかっていたので、「そんな学校に行くことないよ」と理解を示し、学齢的には高校1年に相当するときまで自宅にひきこもっていました。もともと人と関わるのが苦手なほうでしたが、ひきこもってからはますます外に出なくなり、家で好きなピアノを弾いたり絵を描いたりして過ごしていました。多くの親御さんは、わが子が中3になると高校の情報を集めたり、背中を押したりするものですが、彼女の親御さんは中3の後半になっても焦らず、高校進学は時期尚早と判断し、元気になるまでもう1年の猶予を与えてくれました。そうしたゆったりした時間を過ごすなかで、彼女は少しずつ元気を取り戻していきました。

 やがてお母さんが不登校の生徒を受け入れている高校の情報を集めて、少しずつ彼女に見せたりするうちに、本人に「高校に行ってもいいかな」という気持ちが芽生えてきた頃、お母さんから家庭訪問の依頼がありました。深刻ないじめを経験している子なので慎重に対応しなければと思いながら1回目の訪問に行きましたが、彼女は部屋から出てきませんでした。そこで、彼女の部屋の前で簡単な自己紹介をしてから、短い手紙を置いて帰ってきました。

会えない訪問をくり返すうち、高校へ行きたい気持ちが明らかに

会えない訪問を何度かくり返しつつ、そのたびに親御さんと話をして、彼女の好きな物や関心のあることを教えてもらいました。彼女はポテトチップスが好物とのことで、何味のポテトチップスが好きかも確認し、ときどき野菜ジュースを飲んでいることもわかりました。そこで、それらをお土産に持って行き、会えなくても部屋の前に置いてくるようにしました。もしそれを食べてくれれば、つながりの糸口がつかめるかも…という気持ちでしたが、実際に会えるまでにはかなりの時間がかかりました。

 そうしたプロセスを経てようやく会えるようになり、やがて、高校に行きたいことや自分の気持ちを正直に話してくれるまでになりました。彼女の場合は1年留年して高校に入学するかたちになりますから、1年生として入学した時点で本来の同級生は2年生になっているわけです。そういう後ろめたさに対する配慮も含めて、じっくり話し合いをすることが必要でした。

 通信制高校では、具合の悪いときは無理に学校に来る必要はないことや、出席を前提としないシステムについても説明しました。また、不登校という同じ経験をした生徒が多く通っているので、お互いの経歴などにほとんど干渉しない環境であることも伝えながら、少しずつ学校に対する恐怖心をやわらげるような働きかけをしていきました。進学への意欲が高まった最終段階では、実際にいろいろな学校を見学に行き、その結果、私が学園長を務める通信制高校に入学することになりました。現在は福祉系の大学4年生で、すでに就職も決まっているとのことです。

わが子を徹底して守り抜いたお母さん

 彼女にとっての転機は、親御さんがいじめによる彼女の心の傷をしっかりと受けとめ、わが子を徹底して守り抜いたこと。また、高校受験という大きな節目にとらわれず、あくまでも彼女の気持ちの回復を目安にして待ちつづけたこと。こうしたゆるぎない家族の信頼と絆が彼女の心に響いたのではないかと思っています。

“転機”を迎えるための準備状態とは?

齊藤  これまで事例➀から事例➂まで、不登校の子どもたちの“転機”が浮かび上がるようなかたちで紹介していただきました。この3つの事例を受けて、事例のまとめと転機の背景などについて、今村先生にお話しいただきたいと思います。
今村  3つの事例を受けて、3人のお子さんを「何が突き動かしたのか」に焦点を当ててお話ししたいと思います。まず、事例➀の齊藤先生のお話を聞いて印象に残ったのは、不登校になってひきこもるようになったお子さんが「自分のペースでゆっくり生活する」といったニュアンスのことを話されていましたが、このことが自分を取り戻す意味で大きなポイントになったのではないかと思います。
 この点については、小栗先生が事例②で話された「電話をするときの緊張感をやわらげて、電話連絡のハードルを下げる工夫をした」ということに通じるような気がします。つまり、その子に合ったハードルというか、その子がやれそうなハードルの高さに下げてあげることは、その子のペースに合わせるということだろうと思います。電話連絡の台本を作ったり、スケジュール表を作ったりしたことは、まず、その子がやれることから始める工夫をされたということでしょう。
 荒井先生に話していただいた事例③のお子さんの自宅での過ごし方は、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、好きなことをやりながら、「ゆったりとした時間を過ごす」という言葉を使われましたが、これも齊藤先生の事例の「自分のペースでゆっくり生活する」とピッタリ重なります。
 つまり、不登校の子どもたちにとっては、いかに安心して家の中で過ごせるかがとても重要です。その点で、小栗先生の事例②のお子さんは、残念ながら難病を抱えているお母さんの協力を得ることは難しいので、自分でなんとか頑張らないといけない状況だったわけです。そこで先生方のチームワークによって、どうすればうまく生活のリズムに乗れるだろうかという具体的な改善策を作ってあげたことが大きなサポートになった気がします。
 確かに“転機”というものはあると思いますが、それがいつ、どんなときに訪れるかは、私の長年の教育相談の経験に照らしても明言できません。それは突然訪れるのかもしれませんが、訪れる前には転機を迎えるための準備状態の時期があるはずです。それは子ども本人だけでなく、親御さんを含めたまわりの人たちや環境などを含めた、さまざまな条件が整うということだろうと思います。

【事例④】発達障害により勉強も友だち関係も
     うまくいかない小4の男の子(齊藤講師)

 この男の子にスクールカウンセラーとして関わりはじめたのは、小4のときからです。知的水準は年齢相応の平均域にありますが、落ち着きのなさ、不注意、衝動性などの症状がみられ、学習面でも特定の領域について難しさがみられました。とくに大変なのが読み書きで、ひらがなやカタカナもまわりの子と同じペースで習得するのが困難だったようです。義務教育では「書く」作業から逃れることができません。板書をノートに書き写したり、テストを受けるにしても書くことは避けられませんから、かなり苦痛だったのではないかと思います。

小3から学習面のハードルが高くなる

 それでも1〜2年生のうちは授業の進行がゆっくりで、授業中の指示も具体的なものが多く、先生方のフォローも厚かったのでどうにか登校していました。ところが3年生になると、学習の課題に抽象的な内容が入ってきたり、漢字の読み書きも複雑になるため、書字・読字の難しさがある子にはかなりハードルが高くなります。加えて、きちんと席に座って先生の話を聞く授業も多くなり、指示の出し方も複雑で長くなってきます。すると集中力が続かなくなり、離席してほかの子にちょっかいを出したりする行動が目立つようになります。

 友だち関係でも、遊びのルールが十分に把握できなかったりしてルールを破るなど、本人にはそのつもりがなくても逸脱した行動になってしまう。悪気はないのに相手が嫌がるようなことをつい言ってしまったりするので、「つきあいにくい」「あいつ、ちょっと嫌だよね」と見られがちで、仲間に入れてもらえない、遊びもうまくいかない…。そんなわけで孤立する場面が増えてきて、小3から登校しぶりが始まりました。

 この男の子の場合は、完全不登校ではなく五月雨登校で、クラスには戻れませんでしたが、相談室登校や保健室登校を続けました。小5の2学期からは、お母さんが探してきた民間のフリースクールに通うようになり、小学校のクラスよりも少人数で、その子の特徴に合わせて、その子のペースで学習も友人関係も積み重ねることができたことから、毎日通えるようになりました。

一般的な関わり方ではうまくいかない焦りや不安

 小3から登校しぶりが始まり、欠席も増えていくなかで、お母さんはかなり焦りや不安を感じていたと思います。もともと気持ちのコントロールが難しい子で、言葉で物事を伝えるときも、短く・わかりやすく・具体的に言わないとなかなか理解できないところがあり、関わり方にも工夫が必要でした。一般的な関わり方や指示の出し方ではうまくいかない、理解できない、指示どおりに行動できないということで、お母さんはどうしたらいいかわからなくなっている状態でした。

 学校に行く・行かないでトラブルになると、その子はパニックのような状態になってしまうので、お母さんとしては「学校に行かなくてもいい」という対応をするしかなかったようです。学校に行かせたい気持ちはあるけれど、家の中で安定した気持ちで過ごさせるには登校刺激を与えないほうがいいと判断したのでしょう。そんなわけで、本人は家で好きなように過ごしていました。経済的には裕福な家庭だったので、おもちゃやゲームもある程度は制限なく買ってもらえたし、プラモデルを作ることも好きだったようです。

 学校からは「来るように言ってください」「登校を促してください」などの連絡が再三あったようですが、わかっているけどそれはできないし、本人も無気力になっている感じだったので、学校からの連絡は受けない、電話にも出ない、家庭訪問も受けないという対応を続けていました。学校側から見ると、母親は非協力的で子どもを学校に行かせるつもりがない、学校からの連絡にも応じない、要するに親の対応が悪いというとらえ方になり、学校側と親御さんとの関係が悪化している側面もありました。

 こうした背景のなかで、私は小4のときからスクールカウンセラーとして関わり、まずは家庭訪問をすることから始めました。その男の子はとても人懐こくて、どちらかというと人との距離感が近すぎるがゆえに同年代の子からは煙たがられるような感じだったので、初対面のときからとっつきやすく、本人が好きなゲームやアニメ、歴史(とくに戦国武将)の話をしながら関係づくりをしていきました。
 お母さんも、どうやら自分は責められないで済むらしい、すぐに学校に来いという話ではないらしいとわかり、お子さんが私に懐いていることもあって、しだいに日頃のお子さんの様子やどんなことで困っているかについて話をしてくれるようになりました。

「学校支援員」が勉強をサポート

 お子さんの学習上の難しさについては、お母さんからも聞きましたし、私が国語や算数の課題を出したとき、理解するのが難しいだけでなく、苦手意識と抵抗感がとても大きかったので、再登校を考えるに当たっては、そこが大きな課題になるだろうと思っていました。
 その自治体には不登校の子どもたちをサポートする「学校支援員」という制度があり、指導員が家に来て勉強を教えてくれたり、学校に来てもらって別室で学習を支援してもらうこともできます。お母さんから学校支援員の派遣要請があったので、申請して家庭訪問をしてもらうことになりました。こうしてスクールカウンセラーの私や学校支援員が家庭訪問をするなかで、私たちと一緒なら別室登校ができる状態になってきたので、少しずつ別室での学習の指導ができるようになりました。

 学校支援員からも学習面の難しさがあると報告を受けたので、その状況をお母さんに伝え、現在のお子さんの発達的な特徴を把握するために教育相談室に行ってみたら、とすすめしました。そして、教育相談室で発達検査を行った結果、全体的な能力としては平均的であるが、耳で聞いた情報を記憶すること、それを操作すること、記号のような単純な視覚情報を識別すること、書き取ることに関して難しさがみられました。その結果については、お母さんも日常の様子と合致するため納得のいくものでした。

 それを受けてクリニックを受診した結果、ADHDとLDと診断され、一時的に服薬をした期間もありましたが、その後、フリースクールに通うための環境調整が行われたあと、衝動性や落ち着きのなさなどについてはかなり改善がみられたので服薬はひかえることになりました。こうしたプロセスを経て、お母さんが、自分が困っていることについて学校や相談室と話をするなかで、それを解消するためにはどうすればいいかが明確になってきたことから、お母さんはしだいに自信をもってお子さんへの対応策に取り組むようになりました。

「できそうなこと」から始めて自信をつける

 以前、小学校から提示されていた目標は、お子さんを「登校させること」であり、それはお母さんにとってとてもハードルの高いものでした。それよりは、今、お母さんが困っていることを解消するために、私と一緒にできそうな関わり方を考えていこうというふうにハードルを下げたことで、お子さんへの対応が積極的になった気がしました。また、まわりの人たちから「お母さんの関わり方が悪いのでは?」と言われて自分を責めているところもありましたが、お子さんの発達的特徴(発達障害)に合わせた対応をしはじめて、その効果が見えてきたことがお母さん自身の意欲とパワーになったのではないかと思います。

 本人も通常の一斉授業では、理解できないうちにどんどん進んでしまって“お客様状態”になっていた苦しさがあったと思います。そのへんを踏まえて、本人の習得状況に合わせて進めることによって、「勉強がわかる、できる」と実感できるようになったことが、落ち着いて人と関わっていこうとか、集団の中に入っていこうという気持ちに結びついたのではないでしょうか。お母さんも本人もとても前向きに、いろいろなことに挑戦していこうとする気持ちに変わっていったと感じました。

 最終的に毎日通えるようになった転機は、お母さんが探してきたフリースクールに通いはじめたことだろうと思います。ただ、そこに至るまでの準備段階の重要性も見逃せません。たとえば、お母さんとお子さんが安心できる関わり方や、できそうなことから始める関わり方をしたこと、お母さんが相談室とつながることによってお子さんの発達的な特徴をきちんと把握したうえで、それに合わせた対応をしていこうと決断されたこと、最終的にはお子さんに合ったフリースクールを選び、そこで面談と入学体験を重ねて、本人の通いたいという気持ちを引き出したこと、がポイントになっていると思います。

【事例⑤】拒食症により不登校になった中2の女の子(小栗講師)

 拒食症は、正確には「神経性無食欲症」といいますが、わかりやすく拒食症としました。この事例では、この女の子が拒食症や不登校という状態におちいったその背景にある、人間関係の問題に焦点を当ててお話ししたいと思います。
 この女の子は、中学2年の春から拒食症、そして不登校になりました。私が関わりはじめたのは中2の夏休みです。拒食症の直接的なきっかけは、春に行われた体育祭でした。体が小柄なこともあり、組体操の人間ピラミッドで一番上に乗ることになっていました。とても人に気をつかう子で、ピラミッドの一番上と決まったとき、体重が重いとみんなに迷惑がかかるからとダイエットを始めたのですが、そのうちご飯が食べられなくなったのが拒食症の始まりでした。それに伴い、1学期の後半からは体調不良もあって学校に行けなくなりました。

体重22kg、あと1kgでも落ちたら強制入院

 中2の夏休みに初めて会ったとき、この子の体重は22kgで、あと1〜2kgでも体重が落ちたら生命の危険があるような状態でした。お母さんと一緒に相談に来たのですが、真夏なのに頭から毛布をかぶって「寒い寒い」と言い、相談室がある2階への階段を自力で上れないので、抱えられて上るのがやっとという状態でした。
 命の危険を伴う状態でしたので、取り急ぎ医療機関につなぐ話をしました。拒食症は医療機関にも拒絶されることがあるので、なんとかお願いして診察をしてもらった結果、入院をすすめられました。ところが、本人は入院したくないと言います。主治医から「今の時点で突然死が起こってもおかしくない状態だから、あと1kgでも体重が落ちたら強制入院してもらうことになります。入院したくないのであれば、ひと口でもいいからご飯を食べるように」という指示が出され、週1のペースで通院することになりました。

 それからは、なんとかご飯を食べようとするのですが、ひと口食べるのも大変な作業で、まずウィダーインゼリーのようなゲル状のゼリー飲料をなめることから始めました。この子を「拒食症を治さなければ」という気持ちにさせたのは、入院したくないという思いと、拒食症の症状として、髪の毛がどんどん抜けて薄くなったり、痩せていく体を守ろうとして体毛が濃くなるのが嫌だというネガティブなモチベーションでした。そうしたモチベーションを受けとめながら、とにかくひと口だけでも食べようという関わり方をしていきました。

 その後、主食的なものを食べられるようになったのはパスタでした。朝昼晩パスタを1本ずつという感じでしたが、人間の体というのは不思議なもので、それでも体重が増えてくるのです。2学期には25kgくらいになりましたが、それでも体重が増えるのを嫌がっていました。25kgになったところで、主治医から登校のゴーサインが出ましたが、本人は行きたくないと言います。ただし、別室登校ならなんとかなりそうということで、少しずつ相談室への登校を始めました。

拒食症の背後にある対人関係の苦手さ

 それ以降、相談室にやってくる本人とコミュニーションをとるなかで、対人関係の苦手さという問題が表面化してきました。拒食症の直接的なきっかけは体育祭に向けたダイエットですが、本質的なところでは、友だちに言いたいことも言えず、自分の意見を主張できないことから、自分が我慢すればいいと、ストレスをためこんでしまう傾向が強いことがわかりました。

 その後、相談室登校にも少しずつ慣れてきて、相談室からほんの短い時間ですが教室にも顔を出し、それからお母さんが迎えに来て一緒に帰宅することができるようになってきました。そのとき帰り道でお母さんに、「友だちみんなが私を見ているような気がする」「先生に早退しますと言うのも緊張するから言いたくない」「友だちみんなに噂されているんじゃないか」といったことを話すそうで、お母さんはそれがつらいと言っていました。確かに、毎日毎日「学校がつらい」という話を聞かされるほうはたまったものではありません。それでもお母さんは「気にすることないよ。誰も見てなんかいないよ。それくらい耐えられないと社会に出てからどうするの」と励まそうとするのですが、その後も登校日数や教室で過ごせる時間はなかなか増えていきませんでした。

助言よりも、まず相手の気持ちを受けとめる

 そうした状況のなかで、お母さんを支えるのが私の主な役割でした。私が提案したのは、帰り道でのお子さんとの関わり方を少し変えることでした。
 助言や励ましは、往々にして否定につながりがちです。本人が「つらい」と言っているのに「気にすることないよ」と返すと、本人は“聞いてもらえた感”が得られず、もやもやした気持ちしか残らない。「考えすぎだよ」と言われても、「緊張するんだよ。言いにくいんだよ」という本人の気持ちは取り残されたままです。

 そこで、まずは助言をする前に本人の気持ちを受けとめましょう、と。「友だちに噂されているような気がしてつらかった」と言われたら、「ああそう、それはつらかったね」と、「みんなが私を見ている気がする」には、「どうして見ているのかな。緊張しちゃうよね」という感じで、本人の気持ちを受けとめるような言葉を返してあげてくださいと伝えました。お母さんとしては助言したい気持ちを抑えなければならないので、かなりストレスがたまったかと思いますが、そこは私との相談のなかで発散していただきました。

 お母さんの対応が変わると、お子さんも変わってきました。やがてお子さんのほうから「こういうとき、お母さんだったらどうする?」と意見を求めてくるようになり、そこで初めてお母さんの助言を伝えるといった関わりに変わっていったのです。それと並行して教室にいられる時間が少しずつ増えていき、中3のときには、完全復帰とまではいきませんが教室にいられるようになり、通信制高校にも進学することができました。一般的な不登校とは少し異なるケースですが、本人のコミュニケーションのあり方や対人関係の苦手さといった部分では、共通する要素があるのではと思っています。

【事例⑥】名門中学に入学後、学校になじめず
     不登校になった男の子(荒井講師)

 この男の子は、私立中高一貫校の中1で不登校になりました。ご存じのように、多くの私立中高一貫校では、入学する前から大量の宿題が出されます。入学後は、いくら頑張っても成績がなかなか上位に行かない。少しでも気を抜くとあっという間に成績が落ちてしまい、そこからなかなかはい上がれない。毎日が勉強勉強で緊張の連続…。そういう生活が日常的に続きます。

 この子の場合も、まず、入学前の大量の宿題に圧倒され、そして、横柄で生徒を小馬鹿にしたような英語の先生が苦手というか許せないところがあって学校に行きたくなくなり、中1で不登校になりました。以来、部屋にひきこもるようになって家族の誰をも受けつけなくなり、中2のときに私が親御さんから相談を受け、家庭訪問をするようになりました。

食事も自分の部屋でとり、まったく外に出ない

 当初、お母さんは「家庭訪問に来られても会えないと思いますよ」と話していました。食事も自分の部屋でとり、まったく部屋の外に出てこないとのことなので、どう突破口をつくろうかと親御さんといろいろ話をしていると、彼はおばあちゃんとなら話をすることがわかりました。そこで、おばあちゃんと打ち合わせをして、おばあちゃんの同窓会があり、「そこで講師として来てくれた荒井先生という、とても面白い人と会ったよ」という話を彼にしてもらうことにしました。それをきっかけにして家庭訪問をすることになりました。

 とはいえ、やはりお母さんが言ったとおりで、訪問しても会えない状況が続き、私の家庭訪問経験のなかでも三本指に入るくらい難しいケースでした。さらに訪問してわかったのは、お父さんとの関係が悪化していたためか家の壁が穴だらけで、お父さんのパソコンは壊される、お母さんの携帯は折られるといった状況が続いていました。果たして彼との接点がつくれるのかどうかとても心配でした。

 何か糸口はないかと考えているとき、音楽が大好きで、とくにミスチルを好んで聴いていることがわかりました。そこで、これまで聴いたことのないミスチルのCDを毎日車の中で聴いて、にわかミスチルファンになってから家庭訪問に通いました。それでも彼とは会えませんので、ドアの前にミスチルのことなどを書いた手紙を置いてきたり、ドア越しに「ミスチルってなかなかいいよね」と話をすることをくり返しました。

突破口はミスチルとサラミ?

 ある日、訪問に行ったら、たまたま彼が居間にいて、サッカーのワールドカップをテレビで観ていました。サッカー大好き少年であることもわかっていたので、邪魔をしたらいけないと思って、「あっ、ごめん」と言って、すぐに帰りました。次回に訪問したときには、テレビ観戦を邪魔したことを手紙で詫びておきました。
 その後、お母さんからおやつにサラミを食べることが多いと聞き、いつもお土産で持参するポテトチップスやコーラと一緒にサラミを袋の中に入れておきました。すると後日、お母さんが「サラミを真っ先に食べていましたよ」と教えてくれました。そんな試行錯誤をくり返しながら、彼とのつながりを模索していきました。

 どうやらテレビでサッカー観戦をしているときにお邪魔して、さっと私が帰ったことが印象的だったらしく、別の日に訪問したときもテレビを観ていたのですが、私の顔を見ても逃げませんでした。私は彼の側に行って一緒にテレビを観るだけで、何も話をしないまま帰ってきました。
 そんなことをくり返しているうちに少しずつ彼と話をすることができるようになり、徐々に進学への意欲が高まっていくのがわかりました。そこで機を見て、誰もいない夜間に学校見学に連れて行き、その結果、通信制高校に入学することになりました。あれだけ英語の先生が嫌いだった彼が、現在はアメリカに渡り、食品会社で活躍していることがとても不思議に思えます。

転機はみんなで力を合わせてつくるもの

 転機になったのは、彼とコミュニケーションがとれているおばあちゃんをキーパーソンにしてつながることができたこと、サラミという彼の好物をきっかけに私との距離が縮まったこと、サッカーのテレビ観戦の邪魔をしないように帰ったことが、私への信頼感というか安心感につながったのかもしれません。そして、お母さんを通して私の気持ちを伝えてもらったことも大きいポイントだったと思います。
 つまり、転機というのは、その子をとりまく家族を含めて、みんなで力を合わせてつくるものだと思います。ちっちゃなきっかけをどのように大きなチャンスにしていくかが大切だろうと思います。

小さなきっかけを大きなチャンスに変えるために

齊藤  6つの事例の紹介が終わりました。これらを受けて今村先生に転機となったきっかけ、その背景にあるもの、さらにこれらの事例に限らず、一般的な不登校への対応も含めて、お話しいただければと思います。
今村  先ほどからハードルを下げるとか、本人のできるところから、といったことが話題になっていますが、これを別の言葉でいうと「スモールステップ」ということになるかと思います。たとえば、小栗先生が紹介された拒食症の子がゼリーをひと口だけなめるのを続けることは、まわりから見ればほんの小さなステップですが、意味合いとしてはとても大きいことだと思います。
 齊藤先生が紹介されたケースでは、もともとピアノを習っていたこともあって地域の吹奏楽サークルに参加したけれど、だからといって出席日数になるわけではありません。でも、その子にしてみれば、自分の好きなことを切符にして外に出ることにトライしてみたんじゃないでしょうか。
 それぞれ試みは一人ひとり違うけれど、それをやることで子どものなかに準備状態ができていくような気がします。口には出さなくても、お子さんにさまざまな小さな変化がみられたとき、それは「少しずつ準備が整ってきているよ」というメッセージであるような気がします。先ほど荒井先生が「ちっちゃなきっかけをみんなで大きなチャンスに変える」と言われましたが、本人の準備状態がある程度整って、小さなきっかけが訪れたときに、まわりの人たちの準備状態が整っていないと大きなチャンスに変えられないのではないかと思います。
 齊藤先生のケースで、お母さんが自信をなくしていたとき、そのお母さんが子どもに対してできること、できる関わりからやってみようというアドバイスをされました。子どもができることから始めるのと同じように、親御さん自身もこれならできるかも…というところから始めることで、少しずつ自信を取り戻していく。それがないと、親御さんの準備状態も整わなのではないでしょうか。
 また、齊藤先生の別のケースで、親御さんは吹奏楽サークルがあるから「入りなさい」ではなく「入ってみたら?」という言い方をしたと思います。さらに、荒井先生のケースでは、突然、家庭訪問する前におそらくコンタクトをとっていたお母さんから「おばあちゃんの同窓会の講師だった荒井先生という人と会ってみない?」といった提案のようなことをされているんじゃないかと思います。
 つまり、「入ってみない?」「行ってみない?」「会ってみない?」という提案をするときに、その背後に自信というものが必要なのかなと思います。提案に対して、子どもは「Yes」とは言わない可能性があります。たとえ拒否されても、「うちの子は、まだそんな状態ではないんだな」と思って引き下がることができるためには、親御さんに自信がないといけない。子どもに拒否されたとき、親御さんが「自分はダメだ」と思ってしまうと、子どももショックを受けます。逆に、「今はまだ提案するには早かったかな?」と思って、「じゃあ、次の機会に試してみよう」と余裕をもって待てることこそが、親御さんの準備状態であるといえるでしょう。
 そこから先はいろいろなアプローチが必要で、荒井先生の家庭訪問にたどり着くまでのプロセスは、まさにスモールステップです。ちょっと顔を出して、すぐ帰ってきたり、それを辛抱強く、しつこく、懲りずにくり返しくり返しやってくれる人がいるということが、親御さんにとっても支えになるのではないかと思います。こういうまわりの人たちの力がピタッと合ったとき、子どものほうでも「やってみようかな」「行ってみようかな」という動きが生まれてくるのではないかと思います。
 荒井先生の事例で、訪問先の子どもが「ポテトチップスが好き」という情報を聞いて、何味のポテトチップスが好きかを確認したという話がありました。これは親御さんにとっても盲点になるところで、たとえばゲームばかりやっている子どもについて、「どんなゲームが好きですか?」と親御さんに聞くと意外と知らなかったりします。このへんの子どもが好きな領域について、詳しく情報を集めることが子どもたちの準備状態を進めるうえで効果的かもしれません。
齊藤  今村先生に不登校のお子さんの事例における転機とその背景についてまとめていただきましたが、同時に親御さん自身の転機、もしくは準備状態についても言及していただきました。今日の6つの事例から、みなさまの状況に通じるエッセンスをお持ち帰りいただき、明日からの関わり方の参考にしていただければ幸いです。

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