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不登校Q&A

回答者プロフィール

A子さん(高校1年生、18歳)

【不登校になった時期と最初の頃の状況など】
当時の家族構成:両親・母方の祖父母・叔母の6人家族。
中学2年の2学期から高校1年の3学期まで(今の学校に転校するまで)不登校。
学校が週5日制になる前は土曜日だけ登校したり、中3の修学旅行やテストのときには学校に行っていた。
不登校になった頃は頭が混乱していて、どうしたらいいのかわからず、「行かなきゃいけない」と思いながらも、「行きたくない」という気持ちでいっぱいだった。
最初の頃、母からはとにかく「学校に行きなさい」と頭ごなしに言われていた。でも、だんだんに慣れてきたのか、あきらめたのかよくわからないけれど、「学校に行きなさい」と言われなくなって、それからは少しずつ外に出たりするようになっていった。

【不登校中に考えていたこと、不安だったこと】
部屋にこもっている時間が長かった。自分がどうしたいのかもわからず、でも、どうにかしなければいけないから、とにかく考えようとしていたが、考えることに疲れたり、どうにもならなくなると寝たりしていた。そんな感じで、あまり部屋から出なかった。
母に「学校に行きなさい」とあまり言われなくなってからは、外に出るようになり、昼間でも親と一緒に買い物に行ったり、友だちと待ち合わせて外出することも多くなった。
高校に行きたい気持ちはあったが、「受け入れてくれるところがあるのかな」という不安や、自分自身が「通えるのかな」という不安もあり、どうしたらいいかわからなかった。

B男くん(大学4年生、日本史学専攻、22歳)

【不登校になった時期と最初の頃の状況など】
当時の家族構成:両親・父方の祖母・弟の5人家族。
中学年の後半から不登校に。4歳離れた弟が最初に不登校になり(小学生の頃)、母はそれを見ていたので、僕がそういう状況になったときは、すんなり受け入れられた。母は「おそらく、この子も不登校になるな」と思っていたみたいで、とくに衝突もなく、休ませてくれた。
一方、父と祖母は昔の考え方をする人間だったので、「学校は絶対行かなければならない」というようなことを毎日言われた。父と祖母には、今でもあまり理解されていない。「まあ、しかたないかな」というふうに思われているのかもしれない。

【不登校中に考えていたこと、不安だったこと】
 今でもそうだけれど、先々のことまでいろいろ考えてしまう性格なので、不登校をしたことで出席日数が足りないと、高校に行けない→大学に入れない→まともな仕事に就けないという不安に襲われた。中学生にしてみれば10年くらい先のことまで考えて、すごく不安になった。
その頃は、完璧主義で世間体を気にするタイプだったので、「学校に行っているのが普通で、行かないのは異常」とか自分で思い込んでしまった。「友だちに比べて自分は普通の人間じゃない」と自己否定していた。

小澤 美代子

1944年生まれ。筑波大学教育研究科修士課程修了。県立高校教諭を経て、千葉県子どもと親のサポートセンター次長兼教育相談部長を務めたのち、現在、千葉大学教育学部教授、敬愛短期大学講師、千葉県スクールカウンセラー。

主な著書:『学級担任のための育てるカウンセリング全集』図書文化(共著)、『心理臨床の実際』金子書房(共著)、『スクールカウンセリング事例ファイル』福村出版(共著)、『上手な登校刺激の与え方』『〈タイプ別・段階別〉続 上手な登校刺激の与え方』ともに、ほんの森出版ほか。

海野 千細

1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、八王子市教育委員会学校教育部教育センター総合教育相談室長。

主な著書:『心理臨床のノンバーバル・コミュニケーション』川島書店(共著)、『実践・問題行動教育体系 第1巻 子どもを取り巻く生活環境』開隆堂(共著)、『教育相談用語の解説』学事出版(共著)、『いじめ問題にどう取り組むか』文渓堂(共著)、『学校に行きたくないって誰にも言えなかった~不登校に込められたメッセージ』ほんの森出版(共著)ほか。

田中 雄一

登校拒否の子どもたちの進路を考える研究会副代表。

司会…池亀 良一

1950年東京生まれ。私立中学校・高校教諭を11年務めたのち退職し、カウンセラーに。青少年健康センターおよび上智大学のカウンセラーを経て、現在、代々木カウンセリングセンター所長として、不登校の中高生や親を対象としたカウンセリングを行っている。のほか上智大学カウンセリング研究所講師として、カウンセラーの養成、スクールカウンセラー、市役所職員のメンタルヘルスにも関わっている。

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