小学生6年という節目を迎えて
中高一貫校での不登校と進学問題
自分の不登校について誰かに話すことを非常に嫌がる小学校6年生の女の子
いま通っている学校をやめようと思っている高校1年生
高校進学を目前にして、突然、不登校になった中学3年生の男の子
「中学に通わずに勉強できる方法はないの?」という小学6年生
「自分は不登校だから大事に扱って」と主張する中学1年の女の子
内申のない子どもに開かれた進路とは
“集団”のなかに入っていこうとしない高校生
「高校どうしようかな」と口にするものの、 まったく動き出す気配のない中学3年生の女の子
大検(高等学校卒業程度認定試験)を受けて大学に進学したい
登校刺激をすると大声を出したり、ものを投げたりする高1の女の子。見守っているだけで、転機はくるのか
小中高とずっと不登校ぎみで、サポート校に転入後も休みがち。 将来、自立できるのかと不安
高校卒業後の進路問題
無理して学校に行っているように見える中学1年の男の子
【回答】海野 千細
こんなことを言うお子さんが出てくる時代になったんだなあという感じですが、これはおそらく、不登校に関するいろいろな情報があって、その情報を手に入れたことで、この子が、今まで言えなかったことを言えるようになってきたと考えてもいいのかなという気がします。
お母さんにしてみると、「不登校なんだから…って、えらそうなこと言ってるんじゃないわよ!」みたいな感じでしょうが、その「不登校なんだから」という言葉をカッコでくくってみると、きっと「私を大事に扱ってほしい」ということを伝えたいのだと思います。それを言うときに、おそらく大義名分が必要だったんでしょう。そこに「不登校」という大義名分が見つかって、それがこの子にしてみると心強い後ろ楯になって、はじめてお母さんに伝えていけるようになったという状況があるのかなと思います。
お母さんとしては「大義名分とかいっても、ただの言い訳じゃない」「勉強したくないときは無理にさせないで、なんて冗談じゃないわよ!」と言いたくもなるでしょう。でも、こんなふうになる前のお子さんが、親とどういうコミュニケーションをとっていたかを考えたとき、前はこうじゃなかった、最近、急にいろいろなことを主張してくるようになったということなら、これはとても大事なプラスの変化だと思ったらいいです。
つまり、親にいろいろ言いたい思いがあるのだけれど、「言ってもどうせ聞いてくれないだろう」とか「言えばすぐ怒る」「言っても聞き流される」とか思っていた子どもが、ちゃんと自分を伝えるという立場をとれるようになってきたという流れがあるのだったら、それは、とても大事な変化と考えたらどうかなと思います。
このように、自分を支える考え方、ものの見方を少しずつもちはじめた子が、ご質問にあるように「不登校の子どもたちのための公的な学級で先輩たちと知り合い、自由気ままに遊びの方向へ動きはじめています」ということですが、これは親からみればそうですよね。「好き勝手なことばっかりやりはじめて、どうなっちゃうの!?」「あなたの本分は勉強でしょ!!」というような心配が出てきているのだろうと思います。でも、これもこの子が、もし、これまでそんなふうに外の世界にあまり興味をもつことがなかった子だとすれば、そこへ行ったことで先輩と出会って、いろいろと興味・関心が外に向かい出しているという意味で、大事なプラスの変化と考えることもできるかなと思います。
ただ、それを「どこまで認めていいのか」「わがままにさせているだけのような気がする」といった心配も当然あるでしょう。
これは、私がいろいろな場面でお話ししていることですが、「話を聞くこと」と「甘やかし」とは似ているようで、実はまるで違うことなんです。「話を聞く」、いいかえれば「受け入れる」「受容する」ということは、「いいなりになる」ことでもなければ「かけひきをする」ことでもありません。とにかく、「ああ、あなたはこんなふうに感じたのね」「こんなふうにやりたいんだね」と認めるだけのことであって、もし、お母さんが「それは今のうちの状態じゃできないわ」ということであれば、そう言えばいいだけの話なんです。
ただ、そのときに、かけひきをして交換条件をつけてやらせようとすると、それは「甘やかし」になります。たとえば、お子さんが「今度、先輩とプリクラ撮りに行きたいから、おこづかいちょうだい」と言ってきたとき、お母さんが「わかった。じゃあ、そのときの食事代とプリクラ代と、おまけにこづかいまでつけてあげるけど、そのかわり月曜日の宿題はちゃんとやっていきなさいよ」みたいな感じになると、その子が「やりたい」といった気持ちを受け入れたというよりは、親の要求(宿題をやりなさい)を通すために、子どもの要求を聞き入れたというかたちになります。
このように交換条件をつけると、子どもは本当の意味でお母さんが受けとめてくれたとは、なかなか思えないんですね。要するに、「お母さんの要求をきかなければ、お母さんは私のことを認めてくれないんだ」という感じ方をしやすい。そうすると、本当の意味で受け入れられたと思えないので、いつまでも不満が残ったり、今度は、子どもがその論理を使うようになります。
たとえば、「お母さん、今度、数学で100点とったら、ゲームソフト買ってよね」とか「12月からは学校に行くから、バイク買ってよね」。それで、バイクを買ってあげると、12月の1日だけ行って、2日からは行かなくなっちゃったりするわけですよ(笑)。で、お母さんが「あんた行くって言ったじゃない!」と怒ると、「だから1日は行ったじゃない」「1月からは行くわよ。だからアパート買ってね」(爆笑)というように、どんどん要求が上がっていきます。
こう考えると、話を聞いてあげるとき、子どもが「受け入れられている」と感じるためには、条件をつけないことが大切です。最近では「ポイント制」みたいな、つまり100点を1つとると1ポイント、50ポイントたまると○○を買ってあげる(笑)というような、近代的な甘やかしをしているご家庭も多いようですが、「話を聞くこと」と「甘やかし」の線引きについては、こんなふうに考えてみたらいかがでしょうか。