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※本稿は、登進研バックアップセミナー55で行われた講演の内容をまとめたものです。
父親でなければできないこと
講師 海 野 千 細 (八王子市教育委員会学校教育部主幹)
今回、私がお話しするテーマは、「父親でなければできないこと」ですが、最初にひとこと、「父親である“あなた”でなければできないこと」と追加させていただきたいと思います。なぜなら、「父親」とひとくくりにしても、いろいろなお父さんがいらっしゃるわけです。ですから、これから私がお話しすることは、「父親だったら必ずやりなさい」ということではありません。それより、お父さん自身が自分の持ち味を活かして、「私でなければできない」と思うことを考えるきっかけになればと思っています。
それについてお話しする前に、まず、「子どもが学校に行けなくなるということは、どういうことなのか」について、子どもが育つという視点から少し考えてみたいと思います。それを理解したうえで、私たち大人を含めたまわりの人たちが、子どもに対してどのようなはたらきかけをしていったらいいのかについて、考えてみたいと思います。
資質を左右するまわりの環境
子どもは成長するにつれて、いろいろな体験をしていきます。それを小中高という学齢期を基準にしてみると、子どもが感じる体験が層のようになっていると考えると、一番下になる部分は、子どもが持って生まれた資質に相当するものを通して感じる体験になると思います。資質というと体質、気質、能力、感覚などいろいろなものがありますが、たとえば、感受性が強いとか、鋭いというのは、ひとつの感覚部分の資質にあたります。
敏感な資質の子どもは、いろいろ傷つきやすい面がありますが、その一方で、まわりに余裕があると、とっても情愛の深い、感受性の細やかな性格の人間に育っていく可能性もあるわけです。ところが、まわりに余裕がないと、ちょっとしたことで怒られたり、怒鳴られたりすることによって、まわりに対してうらみ、つらみを抱くこともあれば、ものすごく反発を感じてしまうこともあると思います。あるいは、まわりがかばってやれない状態が続くと、泣いてもしかたないんだと、あきらめるしかない体験をすることもあります。
マイナスに感じる体験が積み重なると…
私たち人間が成長していくプロセスでは、プラスに感じることやマイナスに感じることなど、いろいろ味わっていきます。多くの場合は、プラスに感じることのほうが多いのではないでしょうか。
ところが、さまざまな条件が重なって、マイナスに感じることが多くなってきて、ギリギリのところで踏ん張って、なんとか頑張っているところに、何かきっかけになるような出来事と出合うと、これは親から見ると、ほんの些細な出来事に見えることでも、その子がすごく大きなインパクトで感じてしまうと、かろうじて保っていたバランスがガラガラと崩れてしまい、多くの場合、当事者の子どもは、もう耐えられないよといった体験をすることになります。
子どものなかにプラスに感じることが多い状況であれば、マイナスに感じる出来事と出合っても、そんなにダメージを受けないで済んだかもしれません。しかし、私たちが子どもと一緒に生活するなかで、子どもがどのくらいマイナスに感じる体験を抱えているのかがまったくわからないのです。
まして、子どもが親に心配をかけたくないとか、人の力を借りずに、自分で頑張って乗り越えなければいけないと思っているケースほど、自分の苦しさをまわりに出さないでいることが多いのです。
そうすると、親から見るとほんの些細なことがきっかけで、心のバランスを崩してしまうことがあると考えると、少し子どもの状態がわかりやすくなるのではないでしょうか。
ここで、話を不登校に戻すと、子どもに不登校になった理由を問いかけると、不登校になった「きっかけ」になった出来事について、話すことが多いのです。たとえば、友だちにいじめられたとか、先生が怖いとか、部活で先輩にしごかれたとか…。
ところが不登校のきっかけになった問題に対して、プラスに解決しようとまわりの人たちがはたらきかけたとして、とりあえず問題が解決したかに見えても、それでも子どもが動けないというのは、ずっと感じてきたマイナスの体験が影響していると考えるとわかりやすいかもしれません。
大切な「自分のままでいいんだ」という体験
子どもが感じるプラスの体験とは、人に対する安心や信頼を積み重ねたり、味わっていくような体験です。
逆にマイナスの体験とは、人に対して不安や不信や緊張を感じるような体験です。人に対する不安、不信、緊張を感じる体験とは、裏返すと自分が自分のままでいてはいけないというメッセージで子どもは感じることがあります。つまり、自分の思ったことを外に向かって表現すると否定されてしまうような、自分が自分ではいられないような体験です。
お父さん、お母さんが子どもを見ていると、この子に何か自信をつけさせてあげないとダメなんじゃないかと思うときがあると思います。そんなとき、子どもにとって自信につながるのは、「自分は自分のままでいいんだ」という体験こそが大切なんです。つまり、「自分が自分でいること」をまわりが喜んだり、安心して見ていてくれるということです。
では、そうするためには、まわりの人がどんなはたらきかけをしたらいいのでしょうか。学校に行けずに苦しんでいる状態の子どもの多くは、マイナスの体験をしていきていますから、まわりの人がしてあげるべきことは、マイナス体験の埋め合わせをすることであると考えられます。つまり、プラスの体験をさせてあげるということです。
受容の意味の誤解
子どもが安心したり、人に対して信頼感を持てるようにするはたらきかけとは、どんなことなのでしょうか。
よく不登校関係の本を読んだり、相談機関に行ったりすると、「子どもさんをよく理解してあげてください」とか、「受け入れてあげてください」「受容してあげてください」といったことが書いてあったり、言われることが多いと思います。
受容というと、とにかく受け入れなければという感じになりますから、親にしてみると子どもの言いなりになるみたいな感じとか、子どもが好き勝手なことをするのを認めなければいけないような感じになると思います。
確かに、親が何も言わずに黙って見ていると、好き勝手な生活ぶりになることがあります。昼近くに起きてきて、勝手に冷蔵庫を開けて好きなものを食べ足り、一日中パジャマ姿で過ごして、ソファーに寝そべってボーッとテレビを観たり、ゲームをやったりするわけです。リストラを気にしながら、毎日、遅くまで働いているお父さんにすれば、腹立たしくてしかたがない状態が続くわけです。
この受容を子どもの言いなりになるとか、好き勝手にさせることと考えると、心配した通りのことが起こってしまいます。子どもはわがままの極みみたいになって、「あれ買って、これ買って」と要求がどんどんエスカレートしてきます。
ここで何が問題かというと、親の側に「こうすれば学校に行くだろう」というかけひきの気持ちが生まれていることです。つまり、「言いなりなったり、好き勝手にさせてあげるから、あなたは学校に行きなさいね!」。言い換えれば、「学校に行くなら、好き勝手にしてもいいわよ!」という交換条件が生まれているということです。この交換条件は、子どものほうから徐々にエスカレートしていきます。これでは受容にならないわけです。
本当の受容のイメージ
受容のイメージとは、自分はどうしてほしいかは脇に置いておいて、とにかく子どもの言うことを受け入れようとすることです。つまり、かけひきではなく、その子が安心したり、喜んだり、元気になることを親がしてあげることが受容のイメージです。それは、子どもがプラスの体験を味わえるようなことをしてあげることです。
子どもが言ってきたことを聞いてあげるというと、どうしても受け身になって、待っているというイメージになりやすいわけですが、実はそれだけではなく、子どもが安心したり、喜ぶことを親がしてあげることを受け入れることなんです。
たとえば、今日の夜は、久々に子どもの好きな卵焼きでも作ってあげようかなということも立派な受容のひとつです。そういうイメージで受容を考えてみたらいかがでしょうか。ただ、子どもと親との関係しだいで、子どもにとって何が受容と感じるかは、それぞれ違います。
見逃せない「夫婦のかかわり」の問題
不登校の子どもの問題を考えるとき、子どもと親との関係だけではとらえきれない面があります。たとえば、子どもが不登校になった状態は、実はお母さんにとって、とてもマイナス体験になっているわけです。それまで、いろいろな苦労があったけど、何とかバランスをとりながら生活をしてきたのに、わが子が不登校になったことによって、ものすごいインパクトでマイナス体験が起こってしまうわけです。
そのため、親が子どもにプラス体験を与えようとするとき、どのくらい親のなかにプラス要素が残っているかを考えると、ほとんど残っていなかったりします。子どもにプラス体験を与えるより、自分自身にプラス体験がほしいという状態だったりします。
お父さんが会社から帰ってくると、お母さんが、「ちょっと話を聞いてちょうだいよ」ということがよくあると思います。お父さんが新聞を読みながら、いいかげんに聞いていると、「ちょっと真面目に聞いてんの!」と怒り出すこともあるでしょう。
そこからわかるのは、お母さんがかなりマイナス体験が蓄積された状態になっているということです。
ところが、多くのお父さんは脳天気で、会社に行けば目の前に子どもがいなくなりますから、子どもに関する悩みは消えてしまいます。しかし、自宅に帰ったとたんに、煮詰まった状態にあるお母さんから「ちょっと話を聞いてよ!」となりますから、お父さんとお母さんのペースは全然合わないわけです。すると夫婦間でぶつかったりしますから、不登校の子どもの問題を考えるときには、夫婦のかかわりの問題は避けて通れません。
さらに、不登校状態が長期化してくると、お父さんもいろいろなことを考えざるをえなくなります。年齢が上がり、管理職になったり、仕事が複雑化してきて、思うようにならない問題がたくさん起こります。
そのなかで不登校の子どもの問題と直面し、このままの状態が続くとどうなるのだろうか、自分の定年まであと何年しかない、自分たちの生き方は、これでよかったのだろうかとか、お父さんもマイナス体験を抱えてくることも起こってきます。そうなると、ますます子どもにプラス体験を与えることは難しくなってきます。
3つの項目で父親としてできることをチェック!
そこで、次のような3つの大きな項目と、それぞれ3つの小項目を示してみましたので、「子どもとの日常的なかかわり」「夫婦のかかわり」「自分とのかかわり」について振り返って、書き出しながら、父親としてできることを考えてみてください。
- 約束を守ろうとする
- 子どもが安心すること、喜ぶこと、元気になることをする
- 子どもが嫌がること、怒ること、怖がることをしない
- 約束を守ろうとする
- 妻の安心すること、喜ぶことをする
- 妻の嫌がること、怒ることをしない
- 自分の父親にしてもらって、安心したこと、うれしかったことをイメージする
- 自分の父親にしてもらって、嫌だったこと、怖かったことをイメージする
- 自分の得意なこと・不得意なことを調べる
まず、「子どもとのかかわり」のなかで約束をするとか、約束を守ろうとすることは、子どもの存在を気にかけるということの現れです。つまり、その存在を認めているからこそ、約束を守ろうとするわけです。
逆に子どもにとって、約束が守られないことは、「あ~あ、お父さんはボクのことを軽く思ってるんだなー」とか、「ボクの存在なんか、お父さんにとって何の意味もないのかなー」と思ったりします。そうしたことも考えて、たとえば「今度の誕生日のプレゼントは〇〇〇にしようか」というのもひとつの約束ですので、軽い気持ちで子どもと約束したことがあれば思い出してみてください。
その次の「子どもが安心すること、喜ぶこと、元気になることをする」で、今は考えられないとしたら、たとえば、Jリーグの話を一緒にしたら喜んでいたとか、これまでのことでもかまいません。また、「子どもが嫌がること、怒ること、怖がることをしない」では、お父さんとしては、チェックしやすい項目かもしれません。どうすると子どもが嫌がったり、怒ったり、怖がったりするかを箇条書きでまとめてみてください。
それと同じ要領で、2つ目の「夫婦のかかわり」についても、書き出してみてください。
3つ目の「自分とのかかわり」のなかでは、自分の父親(お母さんの場合は母親)との関係を考えてみてください。私たちが意識する、しないにかかわらず、自分の父親や母親がどう接していたかということが、父親としての自分の行動や母親としての行動にいろいろな影響を及ぼしていることがあります。たとえば、自分が混乱したときに、自分の父親ならどうしていたのかを考えると、少し手がかりが得られることがあります。
最後に自分の得意なこと、不得意なことを探してみてください。どんなことでもかまいませんから、書き出してみてください。
できることから始めよう
私たちにできることは、本当に限られていることであって、言葉で言えるようなことは、なかなか現実にはできない毎日の連続だろうと思います。ですから、「こうあらねばならない」ではなく、「いま、とりあえず自分にできること」を一つひとつ見つけていけたらいいと思います。
今日は、「父親のための不登校理解講座」だったわけですが、改めて振り返ってみると、自分が不得意なことをやるというのは、すごく大変なことで、続けることは難しいことです。そのため、自分にとって無理がなくて、自分も少し気持ちがラクになることを選んで、子どもとの関係や奥さんとの関係のなかで、できる範囲内で取り組んでいただけたらと思っています。