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登進研バックアップセミナー55・第一部・講演内容
不登校─原因がわかれば解決するのか
講師:今村泰洋(東京都教育相談センター主任教育相談員)
なぜ、子どもは理由を話してくれないのか?
不登校の子どもたちは、お母さんやお父さんが自分に対して心配そうな視線を向けたり、ときにはイライラして声を荒げたりする姿をよ~く見ています。自分が親に心配をかけていることも十分にわかっています。
それなのに、ご両親が心配のあまり、「どうして学校に行かないの?」と聞いても、なかなか心のうちを話してくれないのはなぜでしょう。その理由は、以下の3つに分類できるように思います。
①話したあとどうなるか不安な子
①の子どもたちは、自分がなぜ学校に行きたくないのか、なぜ行けないのか、その具体的な理由やきっかけをわかっていることが多いような気がします。
わかっているのに、どうして言わないのかというと、まわりの反応や評価をとても気にしているからです。つまり、学校に行けない理由を話したら、親から「なんだ、そんな理由か」とバカにされたり、弱虫と思われたりしないだろうかと気にしているのです。
また、理由を話したとたん、ご両親が学校に乗り込んでいって先生に抗議したり、担任の先生に話したら、先生がクラス全員に話してしまった……ということもよくあります。
このように、原因や理由をまわりの人に話したあとの対応が、自分が望むかたちになるかどうか不安を感じているからこそ、親にも話さないことが多いのです。
②行けない自分を認めたくない子
②の子どもたちは、理由やきっかけはなんとなくわかっているんだけど言えない、言いたくない、口に出したくないと思っているようです。
なぜなら、学校に行きたくない理由を一度口に出したら、「学校に行けない自分」を認めることになり、学校に行けないことを自分から宣言するはめになるからです。クラスのみんなは学校に行けるのに、自分だけ行けない。自分はみんなに負けてしまったような気がする。それを認めたくない気持ちがはたらいていると思われます。
この子たちは、①の子と同じように、まわりの反応を非常に気にしていることが多く、不登校の自分がみんなにどう思われているのか、不安を感じているようです。また、不登校の理由だけでなく、自分自身のこと、自分の得意なことや苦手なことなどもよくわかっており、それだけに葛藤の多い子どもたちです。
③自分でも理由がわからない子
③の子どもは、自分でもなぜ学校に行けないのか理由がわかりません。だから聞かれても答えようがない。友人とケンカしたわけでも、先生が嫌いなわけでもなく、なんとなく行きたくないだけ。理由を聞かれて「なんとなく」なんて、親にはなかなか言えません。
こういう子どもが「なんで自分は学校に行けないんだろう?」と悩んでいるときに、まわりから「真剣に考えてるの?」「どうして行けないの? 考えていることがあったら話してごらん」と言われたりすると、自分でもわけがわからないのですから、たいていは「うるせー」「ほっといてくれ」になりがちです。一見、投げやりになっているようですが、実際は混乱して、どうしたらいいかわからないことが多いようです。
社会の変化と子どもへの影響
IT化とコミュニケーション手段の変遷
子どもが学校に行かない・行けない原因には、子ども側の要因と、学校も含めた社会的な要因との2つが考えられます。そして、社会的な要因が、個々の子どもにあたえる影響も見逃せません。たとえば、ここ数十年のあいだにIT化が進むことによって、子どもたちのコミニュケーション手段は大きく変わってきました。
20年ほど前、親御さんからよく相談を受けたのは「子どもが長電話をするので、そのあいだ、家族が電話を使えなくて困る。やめさせる方法はないか」というものでした。携帯電話の普及によってこうした悩みはすっかり解消しましたが、今度は携帯の通話料金がバカにならないという新しい悩みが出てきました。その後、子どもたちのコミュニケーションのスタンダードは、電話からメールでのやりとりへと変わっていきました。
こうしたIT化の流れを、対人関係の視点からみてみましょう。
対人関係の基本は人と人とが面と向かって話をすることですが、対面の関係では相手の表情や身ぶり手ぶりなどが見えるので、話の細かなニュアンスまでよく伝わります。これが電話になると、声や息づかいだけしか伝わりませんから、相手がどんな格好や表情で話しているかは全然わかりません。さらにメールになると、声の調子も息づかいも伝わりませんし、そのメールを本人が打っているのかさえわかりません。
対人コミュニケーションにおけるプレッシャーという意味では、対面→電話→メールというように、プレッシャーはどんどん下がっていきます。
つまり、実際に会って話をすれば、自分が言ったことに対して相手がどんな反応をするのか、その表情が見えます。ときには嫌な顔をされることもあるでしょう。そのため、顔と顔を合わせて話をすることは、心理的にとても負荷が大きくなります。
それに対して、電話という声だけのコミュニケーション手段は、こちらの表情が相手に見えませんから精神的にずいぶんラクです。それでも自分の息づかいが相手に伝わるのでプレッシャーはゼロではないでしょう。もっとラクなのがメールです。自分がどんな気持ちや状態であっても、とりあえず文字にして送るだけで、一方通行ではあるもののコミュニケーションができるからです。
いいか悪いかは別にして、こうしたコミュニケーション手段が子どもの世界全般に広がっている時代なのだということは、頭に入れておいたほうがよいかもしれません。
人と一緒にいることが楽しい子、楽しくない子
子どもたちのなかには、「人と一緒にいることが楽しい」と思える子と、思えない子がいます。人と一緒にいることが楽しいと思える経験がどこで身につくかというと、まず、お母さんと一緒に過ごすことから始まり、次にお父さんが一緒に遊んでくれることを経験し、さらにきょうだいと一緒に遊ぶことから、友だちと一緒に遊ぶことへとつながっていきます。つまり、誰かと一緒にいる楽しさをどれだけ経験しているかがポイントになるわけです。
ところが、最近は少子化によってきょうだいがいなかったり、地域に同世代の子どもがいないために、子ども同士で遊んだ経験のない子が少なくありません。さらに、お父さんは仕事で忙しくて家にいる時間が少ないため、一緒に遊んでくれる機会がめったにないということになります。
そうなると、子どもたちが経験するのは、お母さんとの関係だけということになりかねません。お母さんは、子どもを全面的に受け入れてくれる存在ですから、お母さんとだけ遊んでいるぶんにはラクなのですが、お母さんとの関係しか経験していないとちょっと心配です。つまり、保育園や小学校などの集団に入っていくと、自分を受け入れてくれる人ばかりとはかぎりませんから、 そこでいろいろな問題が起こってくるわけです。
不登校は「私を理解して」というメッセージ
不登校のご相談を受けていると、ご両親から「子どもがなにを考えているのかわからなくなった」という話を聞くことがあります。もっと詳しく聞いてみると、「この前までは親のいうことをちゃんと聞いて、元気に学校に通っていたのに、どうして急に行きたくないと言い出したのか。なにを考えているのかわからない」ということでした。
そんなとき、ひとつの対応として、もしかして子どものなかに見落としている一面がないだろうかと考えてみることをおすすめします。これまで子どもは表面的には親の喜ぶような“いい子”だったけれど、本当はどんな気持ちでいたんだろうとか、子どもの内面に目を向けてみると、今まで見えなかったものが見えてくる場合があります。
そう考えると、不登校というのは、「もっと私の本当の心を見て! 私を理解して!」という子どもからのメッセージかもしれないと思うことがあります。
不登校のきっかけはいろいろ
親が子どもに対して、「どうして学校に行きたくないの? 何があったの?」と聞いたとき、子どもが話してくれるのは、せいぜい不登校の“きっかけ”にすぎません。そして、そのきっかけを聞いたとき、私たち大人が決して使ってはならないのは、「なんだ、そんなことで行けなくなったのか」という言葉です。
不登校のきっかけには、いろいろなことがあります。
幼稚園の運動会の「ヨーイ、ドン!」という音がきっかけで不登校になった子もいます。その音にビクッとして、走る構えをしていたのに全然走れなかったらしいのです。別の子は、仲良しの友だちを先生がこっぴどく叱っているのを見て息苦しくなり、それ以来、学校に行けなくなってしまいました。とても優しくて、気づかいのできる子でした。
ただし、そうしたきっかけがわかったとしても、あるいは、子どもがきっかけについてどう受けとめたかがわかったとしても、すべての不登校が解決するわけではありません。
友だちがひどく叱られているのを見たのがきっかけで学校に行けなくなった子どもについては、学校側に先生の叱り方の改善を求めるのもひとつの対応のしかたでしょう。そのことで再登校にこぎつけるケースもあるかもしれません。
しかし、それだけでは解決しない場合もあります。たとえば、心が疲れきっていて、もう少しエネルギーをつけてあげないと再登校が難しいケースです。こういうケースでは、ご両親は「もう中学生(高校生)なんだから、自分でなんとか頑張りなさい」という考え方は捨て、もう一度、子育ての原点に戻ってサポートする必要があります。
たとえば、不安な気持ちでいっぱいの子には「大丈夫だよ」と安心させてあげること。また、友だちとのトラブルで悩んでいる子には「あなたは間違ってないよ」と声をかけてあげることが大事になってくるでしょう。
子どもが動きはじめるとき
お母さんお父さんのなかには、いろいろな情報にまどわされて、必要以上に不安や焦りを感じている場合がよくあります。たとえば、近所の目や世間体を気にするあまり、子どもの気持ちが見えなくなっていたり、子どもの状態にかかわらず、親の焦りだけを優先させて、なにがなんでも学校に行かせようとしたり……。
でも、そんなことをくり返しているうちに、たいていのご両親は「いろいろ手を尽くしてもダメなんだから、しばらく様子を見てみようか」となります。このとき、ご両親の心のなかには一種のあきらめのような気持ちが生まれ、「まあ、すぐに学校に行けなくても、少し時間をかけて、せめて家のなかだけでも元気になってくれたらいいな」と思いはじめることが多いようです。そして、親がこうしたスタンスをとりはじめると、ガンガン干渉していたときよりも、逆に子どもたちは動き出すことが少なくありません。
この段階になると、最初のうちは自分のことしか見えなかった子どもも、少しは外の世界に目を向けられる余裕が生まれてきます。そんなとき、子どもは「おはよう」とあいさつをするようになったり、言葉づかいも少し明るくなったりします。
この段階を過ぎると、今度は、子どものなかにいい意味での焦りが生まれてきます。すると、「そろそろ勉強しようかな」とか「こんな成績で行ける高校あるのかなぁ」などと考えるようになります。
こうした変化が起こったとき、親は無理に外に連れ出そうと思わずに、あえて「へぇ、そんなことを考えるようになったんだねー」というような客観的な対応をしたほうがいいでしょう。そんな親の対応を子どもは意外に思うでしょうが、やがて子どもから近づいてきて、「高校に行きたいんだけど、こんな高校がいいかなぁと思ってるんだ」などと話しかけてくることがあります。
こうしたプロセスをご両親だけで支えていくのはなかなか大変ですから、こうしたセミナーに出席したり、地域の相談機関などを活用するのも有効な方法だと思います。
最後になりますが、「不登校を乗り越える」というときに、乗り越えるのはいったい誰なのでしょうか? もちろんお子さん自身が、もう一度、外の世界に出ていくためにさまざまな困難を乗り越えていくわけですが、本当に乗り越える大変さを抱え、それを支えるのは親御さんではないでしょうか。子どもの不登校を子どもと一緒に乗り越えられるのは、親御さんしかいないのです。
あるお母さんの言葉をご紹介して、私の話を終わりたいと思います。
「子どもが不登校にならなかったら、子どものことをもう一度、見直すことはできなかった。
子どもと向き合うこともなかったかもしれない」
こんなふうに、わが子の不登校を振り返れるようになる日が来るといいですね。