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登進研バックアップセミナー58・講演内容
不登校―親に受容されると子どもはどう変わるのか
講師:伊藤 美奈子(慶應義塾大学教職課程センター教授)
「受容」というテーマは、とても重要で重いテーマですが、私はこれから不登校に限定した話ではなく、さまざまな思春期、つまり小学校高学年から高校生にかけての時期の特徴について話してみたいと思います。なぜなら「受容」ということは、かならずしも不登校の子どもたちだけに必要なことではなく、すべての子どもたちに必要で重要なことだと思っているからです。
1. 思春期は「自己像」の形成期
●自己意識と他者意識が同時に高まる時期
思春期は、自分というものができあがる大切な時期です。心理学では「第二の自己の誕生」とか「自分との出会い」などと表現することもあります。つまり、思春期は自分を客観視したり、内省したりすることによって、自分が見えてくる時期だといえます。
まず、思春期の特徴として、「自己意識」と「他者意識」が同時に高まることがあげられます。思春期の悩みとして多いのは、自分は友だちや親にどう思われているだろうかなど、「人の目」にしばられて揺れ動く悩みです。それは、自分のなかで自分を振り返るだけではなく、他者の目を通して自分を見ることが多くなるからです。
ただ、この場合の「人の目」とは、自分の心が映し出している(投影している)人の目であることが多いのです。たとえば、自分に自信がないときは、人の目が冷たく感じられることがあります。思春期の中高校生の場合、自分が落ち込んでいるときは、まわりの目が冷たく感じられてますます落ち込んだり、自己評価を下げていくという悪循環をくり返していることが多いと思います。
思春期に他者意識が高まるということは、他者の存在が重要になってくるということです。そうなってくると「あの子に比べて、私はどうかな?」と他人と比較して、自分に足りないもの、自分が劣っているところなどに目が向いてしまい、自分はダメな人間なんだと思って、落ち込んでしまうことがあります。こうしたことから、思春期の子どもたちは、自己嫌悪におちいったり、自信をなくしてしまったりしがちです。これも思春期のひとつの特徴だと思います。
●自分を評価するときの羅針盤となる「重要な他者」
思春期の子どもたちにとって、友だちや親、教師などは、自分を評価するときの羅針盤となる「重要な他者」です。
そのなかでも、とくに「親との関係」が重要になってくるのは、子どもたちが人間関係を形成していくときのベースになるからです。つまり、親に受容されることによって、自分自身を信頼することができ、他人への信頼感をつちかい、その後の人間関係をつくりあげることへと広がっていくわけです。
そのことは、親から虐待を受けたことのある子どもたちが証明しています。虐待経験のある子どもたちは、親から否定されたことによって、人への信頼感をなくしてしまうことが多いのです。人が信じられない、さらには自分自身も信じられない。自分自身を大切にすることができないことによって、非行に走ったり、援助交際で自分を傷つけたりすることが多いのです。
2. 受容とは「子どものありのままをそのままに尊重し認め受け入れること」
●まず「聴く」ことが大切
「受容」はカウンセリングの基本姿勢のひとつですが、その意味を誤解されることも多いようです。なんでもかんでも受け入れることと思ってしまったり、親としては納得いかないし葛藤があるにもかかわらず、子どもを受け入れることが大切であると思っている方も多いのではないでしょうか。
だから、子どもを「受容」する前に、まず「聴く」ことが大切で、子どもの話をしっかり聴いてから受容する段階に入っていくのだと思います。もしかしたら、子どもたちは親に話を聴いてもらっただけで、親に受容してもらったという気持ちになれるかもしれません。それほど、聴くことは重要なのです。
「聴く」とは、相手の話に耳を傾けて、気持ちをこめてしっかり聴くことですが、これはそう簡単にできることではありません。つまり、言葉の表面的な意味を理解するだけではなく、それ以上に、言葉の裏側に隠された気持ちや思いを聴く、相手が何を考え、何を感じているかをキャッチしながら聴くということです。
人間は話すことで心が軽くなったり、ホッとしたりします。逆に言えば、話を聴いてもらうだけで、つらさが癒されたり、心にゆとりができて、またがんばろうという元気がわいてきたりします。これが、聴いてもらうことの効用のひとつでしょう。
●思春期の子どもたちは「言語化」が苦手
「聴く」ことが重要なのは、思春期の子どもは、自分の気持ちを言葉にすることが苦手で、むしろ言葉以外のメッセージ(表情・声の調子・目の動き・手ぶりなど、いわゆるノンバーバル的な表現)のほうが真実を物語っていることが多いからです。そのような言葉の裏側に隠された気持ちや、からだ全体から発せられるメッセージをしっかり聴いてあげることが大切です。
では、なぜ思春期の子どもたちは、気持ちを言葉にすることが苦手なのでしょうか。それは、以下のことがらが関係している場合があります。
(1)大人への反発心があり、「そんなこと大人に言えるか」という気持ちが強い。
(2) 「子どもじゃないよ」というプライドがあり、人に頼ってはいけない、親に甘えてはいけないという自己規制がある。
(3)話しても聞いてもらえなかったという大人への不信感から話さない場合もある。
(4)「いちいち話さなくても、親だったら子どもの気持ちぐらいわかってよ」という甘えがある。
(5)「親に心配かけたくない」「悲しませたくない」と思って話さない場合もある。
(6)話そうとしても、忙しかったりして聴いてくれる大人がいない場合もある。
以上のような理由から、思春期の子どもたちは、話している内容と心の状態が一致しないことがあります。
本当は甘えたいし、かまってほしいのだけれど、口では「ほっといてくれ」「うるさい!」などと憎たらしいことを言ってしまいます。また、本当はつらい話をしているのに、「大丈夫」と何ごともないかのように話すこともあります。
●気持ちを言語化できないストレスのゆくえは?
思春期の子どもたちが、気持ちを言語化できないことによってたまるストレスを爆発させるときの表現手段として、「行動化」と「身体化」の2つがあげられます。
「行動化」とは、何か物にあたるとか、誰かを傷つけるとか、反社会的な行動に走ってしまうことです。学校で弱いものいじめをしたり、窓ガラスを割ったり、一般的に問題行動とよばれていることをするケースです。これには、自分のからだを傷つけてしまうリストカットなどの自傷行為も含まれます。
「身体化」とは、自分を苦しめる表現方法かもしれませんが、病気になることです。象徴的なのは心身症といわれるもので、そのうち思春期に多いのは、過敏性大腸炎、円形脱毛症、過換気症候群などです。
こうした「行動化」「身体化」は、自分の気持ちを誰にも話せずにストレスがたまった結果出てくる、誤ったかたちでの表現方法であり、上手に言語化して、誰かに受けとめてもらっていれば、問題にならずにすんだかもしれないわけです。
●親に問われること
そうした行動をすべて「受容しなさい」といわれても、それはなかなか大変なことです。親としても「それだけは許せない」とか、「そこは引けない」といったこともあるでしょう。
そんなときは、行動そのものを問題にするのではなく、その背景にどんな気持ちを抱えているかを理解するようにするとよいかもしれません。なんでもかんでも受容するのではなく、まず、子どもたちが抱えているもの(気持ち)に耳を傾けてみることが大切です。まず、子どもの気持ちを聴き、そのあとで、その子の行動をどう受けとめるかは、親としての判断に託されるところです。
3. 不登校の子どもたち
不登校の子どもたちは、学校に行っていないというだけで、自分に対して自信を失い、自分の全部がダメだという、ゆがんだ自己イメージを抱いているケースが多いという印象があります。
最近の子どもたちのひとつの特徴として、親のひと言ひと言に過剰に反応するということがあります。親の表情や言葉をすごく気にしたり、そのことで自分を苦しめたりすることが多いと感じています。
●「肩の線」のエピソード
小学校のときから4~5年間、不登校だった女の子が、ある日、「明日から学校に行こう」と決心し、親にもそう宣言しました。
その朝、女の子がカバンに教科書を入れ、2階にある自分の部屋から階段を降りていくと、母親が台所で朝ごはんのしたくをしているうしろ姿が目に入ってきました。これまで女の子はいつも昼頃に起きていたので、そういう母親の姿は見たことがありませんでした。そのとき、いつもはガックリと肩を落としている母親の肩の線が、張り切って上がっているように見えたそうです。
「学校に行く」と言っただけで、こんなに喜んでくれたんだと思ったとたん、その子は、その母親の思いがプレッシャーになって気持ちが暗くなり、行けなくなってしまったのです。
その子が「やっぱりお母さんは“学校に行く私”が好きなんだよねえ」と言ったのが印象的でした。「学校に行く私」はOKで、「学校に行けない私」はやっぱりダメなんだと考えたらしいのです。
このように、子どもたちは親のひと言、ちょっとしたしぐさや表情などをよく見ていて、それに敏感に反応してしまう。それがよくわかる事例です。
●親からのメッセージとして
私が出会ってきた不登校の子どもたちは、親のことが大好きで、親に心配かけたくない、愛情をかけてほしいと思っている子が多かったように思います。だからこそ、親の微妙なしぐさや一喜一憂する表情などから親の本音を感じとり、自分を追い込んでしまうことが多い。そのことを知っておいてほしいと思います。
親としては、できれば、「学校に行けるあなたもいいし、学校に行けないあなたもいいんだよ」というメッセージを伝えることができるといいですね。
「受容」という作業は、頭のなかでする作業ではなく、心で行う作業だからこそ、よけいに難しく、答えの出ない作業のような気がします。
親だから、子どもがひとつのステップを越えると次のステップ、そこを越えるとまた次のステップと求めてしまうのは当然のことですが、そんなとき、この「肩の線」のエピソードを思い出してほしいと思います。