第26回 第34回 第39回 第40回
第44回 第53回 第54回
第55回(第1部)
第55回(第2部)
第57回 第58回 第59回 第61回
第62回 第63回(第1部) 第63回(第2部)
2023年度 2022年度 2021年度 2020年度 2019年度 2018年度 2017年度 2016年度 2015年度 2014年度 2013年度 2012年度 2011年度 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 2006年度 2005年度 2004年度 2003年度 2002年度 2001年度 2000年度 1999年度 1998年度 1997年度 1996年度 1995年度 2019年度 2018年度 2017年度 2016年度 2015年度 2014年度 2013年度 2012年度 2011年度 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 2006年度 2005年度 2004年度 2003年度 2002年度 2001年度 2000年度 1999年度 1998年度 1997年度 1996年度 1995年度
登進研バックアップセミナー39・講演内容
“快適な不登校”のすすめ
講師:北村洋子(元八王子市立高尾山学園専カウンセラー)
今日の講演に際して、「“快適な不登校”のすすめ」というテーマをいただきました。つまり、せっかく不登校になったのだから楽しく快適に休みましょうということなんですが、私の30年余の教育相談の経験からすると、“快適な”不登校なんてあり得ないというのが本音です。
◆何もすることがないつらさ
私は今年の3月まで、東京都教育相談センターで教育相談の仕事をしていました。そこで、不登校の子どもたち(中高校生)のグループ・カウンセリングを担当したことがあります。
グループ・カウンセリングとは、子ども同士でおしゃべりしたり遊んだりするなかで、仲間づくりを体験したり、社会性を身につけることを目的として行っているものです。私たちのところでは、前半は子どもたちをリラックスさせるために、大学生のスタッフ3~4人と一緒に卓球やゲームなど好きなことをして遊んでもらい、後半は全員がテーブルに集まって、お茶を飲み、お菓子を食べながら、お話をする時間にしていました。
そのなかで、「いま、一番やってみたいことは?」という話題になったとき、私が「何も考えなくていい時間がほしい」と言うと、子どもたちが一斉に反論してきました。その頃、私は仕事に追いまくられてのんびりできる時間がまったくなかったので、何もしないでボーッとしていることほど幸せな時間はないと思っていたのですが、子どもたちは、口をそろえて「冗談じゃない」と言うのです。
「不登校になって何もすることがなくて、テレビを見てることくらいつらいことはないんだ」
「いろいろやることがあって、その合間にテレビを見たりゲームをしたり、好きなことをするから楽しいんだ。何もすることがないつらさは二度と味わいたくない」
大人や親からみると、不登校の子どもは、夜中まで起きていて昼頃まで寝ているし、テレビもゲームもパソコンもやり放題。毎日が日曜日のような生活で、好き勝手なことができていいなあと思うけれども、本人にしてみれば、それはつらいことなんだと訴えられ、「なるほどなあ」と子どもたちに教えられた思いがしました。
だから、先ほど言ったように、“快適な不登校”なんてあり得ないと思っています。ただし、今日のテーマには「再登校へのエネルギーは、快適に休むことから生まれる」というサブタイトルがついていて、これは本当だなあと思います。快適に過ごす時間がないと、不登校の子どもたちは前に進めない。これは確かなことです。
◆「自分はダメな人間だ」という思い
不登校になった子どもたちは、ほかにもいろいろなつらさを感じています。
「友だちは、ボクのことを変なヤツだと思っているに違いない」
「きっと私のこと、怠けてるんだと思っているよ」
「先生は、頑張りが足りないと思っているだろうなあ」
「もう友だちグループには戻れない」
「もう二度と学校に行けない」
それに対して、親がよく口にするのは、「学校に行かなくてもいいから、朝はちゃんと起きなさい」「きちんとした生活をしなさい」「勉強だけはちゃんとやりなさい」といったことです。
でも、子どもたちは、とてもそんな気持ちにはなれません。なぜなら、勉強をしようと思うと学校のことを思い出してしまい、「みんな、勉強が進んでいるんだろうなあ」と考えると焦ったり、いや~な気持ちになるからです。その結果、「勉強なんかしなくてもいいや」という投げやりな気分になり、「もう友だちのところにも戻れないし、親の期待にも応えられないし、自分はダメな人間なのかなあ」とますます落ち込んでいくことになります。
こうした状態では、いろいろなプレッシャーに立ち向かっていけるわけがなく、外に向かっていくエネルギーも生まれてきません。心のとびらを開けてしまうと、まわりの人や情報が押し寄せてくるので、自分を守るためには、心を閉ざすしかない。ただじっとしているのもつらいので、ゲームやパソコンをやって逃げるしか手がないといった状況なのだと思います。
そのうえ親のほうも、わが子の不登校によって、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」「こんなはずじゃなかった」「自分の育て方が悪かったのだろうか」と悩んでいます。こうした親のしんどさ、焦り、あきらめ、挫折感などを、子どもは敏感に察知します。その結果、子どもは「自分はダメな人間なんだ」という“自己否定感”をもつことになります。
つまり、子どもは学校との関係で挫折感を感じるだけでなく、親の挫折感をも感じとり、二重に自分を否定してしまうという悪循環におちいっているのです。
◆「逃げ道」をつくることの大切さ
先日、少し動けるようになってきた段階の不登校の子どもたちと一緒に、長野にキャンプ合宿に出かけました。そのとき、子どもへの対応として、「逃げ道」をつくってあげることが大切なんだなということを強く感じました。
長年、八王子市で教育相談に携わってきた海野さんという方がいて、このセミナーでもよく講師をされていますが、その海野さんが、キャンプの前に子どもたちと親御さんに向かって、「当日の朝、どうしても行きたくないと思ったらドタキャンしてもいいです。その際、費用の全額をお返しします。ですから親御さんは無理をさせないでください」と伝えました。行政側の人間としては、なかなか言えることではないのですが、不登校の子どもたちに関わっていくには、そのくらいの気持ちとキャパシティがないとうまくいかないんだなあと感心しました。
それでも、なかには「主催者の方がOKしてくれても、私自身の気持ちとして、ドタキャンするようなことは許せないんです」と参加を迷っているお母さんもいましたが、それではお母さんの対応がお子さんへのプレッシャーになりかねません。私は、「ドタキャンしても、お金は返してくれるんだから、そのお金で好きなものを食べたり、好きなことをやればいいじゃない」と、お母さんの気持ちが楽になるようなことをすすめてみました。
結局、そのお母さんは、お子さんに「嫌なら無理にキャンプに参加することないよ」と伝えたのでしょう。そのお子さんは、スムーズにキャンプに参加できたのです。
◆気持ちを楽にさせるひと言
もうひとつ、キャンプのときの印象的なエピソードがあります。
不登校で、まだ安定期に入っていない段階のお子さんとお母さんが一緒に参加されたのですが、お母さんは急用ができて、翌日には帰らなければならなくなり、お子さんもお母さんと一緒に帰る、帰らないということで、その夜は泣いたり騒いだり収拾がつかなくなりました。
やむを得ず、私は「帰るか、帰らないかと悩んでいると眠れなくなるから、お母さん、明日は親子で一緒に帰ると決めましょうよ」と提案してみました。「明日は二人で帰ればいいや」と思えば、気持ちも楽になるだろうと思ったからです。すると意外なことに、翌日、そのお子さんは、自分ひとりでキャンプに残ることを決断したのです。
この2つのエピソードからは、子どもの気持ちの逃げ道をつくってあげることで、逆に、前向きな気持ちや、頑張る気持ちが引き出されてくることがよくわかります。
これと似たエピソードで、高校生の男の子のケースがあります。その子はアルバイトをしようかどうしようか迷っていたのですが、心のどこかで「ボクは三日坊主だから、アルバイトをやってもどうせ続かない」と思っていることが感じられました。
そこで、私は「1日でも2日でもいいじゃない。3日続いたら立派なもんだよ。1日やって嫌だったら、そのアルバイトは自分に向いていないとわかるだけでいいじゃない」とアドバイスしてみました。これも逃げ道をつくって気持ちを軽くするためです。すると、その子は思いのほか頑張ってバイトを続けることができたのです。
「登校しなくてはいけない」「勉強しなくてはいけない」といったことばかり強調すると、子どもは逃げ道がなくなり、心も体も固まってしまいます。すると、外に向かっていこうとするエネルギーも失われてしまうのではないでしょうか。
だから逆に、逃げ道をつくってあげたり、気持ちを楽にさせてあげる。それが、不登校の時間を快適に過ごすためのひとつの方法といえるかもしれません。
◆子どもの自己肯定感を育むために
“快適な不登校”のためのもうひとつの方法は、「安心できる人間関係のつくり直し」をすることです。それは基本的に、親子関係のつくり直しということです。
一般社会で子どもたちは、いつも評価の眼にさらされています。とりわけ不登校の子どもたちは、「友だちからどう思われているか」「どう見られているか」といったところで、傷ついた体験をしていることが多いのです。
さらに、子どもたちは、親からの評価の眼にもさらされています。親として「子どもはこうあるべき」と思っていたり、子どものためによかれと考えていることが、結果的には子どもを評価することにつながったりします。
そうした評価の眼にさらされ、疲れている子どもたちが、再び動き出すためのエネルギーをためていくには、「自分はこのままでいいんだ」と思えるような体験をたくさんさせてあげることが大切です。
たいていのお母さんは、わが子に何か自信がもてるようになることをやらせてあげたい、自信がつけば、外に出ていく勇気が出るんじゃないかと考えているように思います。しかし、自信をつけるために何かをやること自体、子どもにとっては大変なことなんです。下手をすると、自信をつけるためにやっていることが、また新たな挫折の体験になってしまうこともあります。
私は、子どもに自信をつけさせるには、何かをさせることではダメじゃないかと思います。何かをさせるのではなく、子どもの持ち味そのものを認めてあげる。「あなたは、そのままでいいんだよ」というメッセージを送ってあげる。それが、子どもの“自己肯定感”を育むことにつながります。ありのままの自分を認めてもらえること。それが人間にとって、いちばん安心できることなんです。
ただし、ありのままを認めることと、放任することは違います。子どものことをよーく見ながら、「そのままでいいんだよ」と認めてあげることは、ものすごくエネルギーを使います。見守る親がたくさんのエネルギーを使わないと、子どものエネルギーは生まれてきません
子どもに役立つ」とか「役立たない」といったレベルで何かをさせるのではなく、子どものことをいろいろ考えたり、迷ったり、気にしたりして、たくさん心をつかってあげることが、遠回りのようにみえて、実はいちばん子どものエネルギーになっていくような気がします。
そうはいっても、親としては、学校にも行かず、家のなかでやりたいことをやり続けるだけではダメなんじゃないか……と思われるかもしれません。しかし、やりたいことができることこそ、子どものエネルギーが外の世界に向かっていく第一歩です。
自分はダメな人間だと否定して閉じこもっていた段階から、まずはマンガを読んだり、ゲームをやったりとか、好きなことをやりはじめる。親からはまったく生産的なことはやっていないように見えるけれど、それは、子どもが一歩外の世界に向かって踏み出そうとする兆しとして考えたほうがよいでしょう。
◆それは子どもが望んでいることなのか、あなたが望んでいることなのか
不登校は、快適なものではあり得ません。でも、不登校の時間を快適に過ごそうという目標をもつことは、とても大切だと思います。ところが目標というものは、なかなか実現できないものなんです。
私は、3月に退職したあと4月から6月まで毎日、末期がんで入院していた姉の世話をするためにホスピスに通いました。そのとき、不登校の子どものお母さんの気持ちというのは、こんな感じなのかなあと思ったことがありました。
ホスピスは病気を治すところではなく、できるだけ苦しまずに楽に死を迎えるためのケアをする施設です。病院との大きな違いは、とにかく本人の望むことをやらせてあげる、本人が苦しまないことを最優先するという点です。
ところが、まさにその点で、医師と私たち家族の意見が食い違うことがあります。つまり、私たち家族は、姉がもう快方に向かうことはないとわかっているのに、つい元気になってほしい、少しでも多く食事をとってほしい、ちょっとでも歩けるようになってほしい、意欲をもってほしいと考えてしまうのです。
そんな思いから、医師に「○○してあげたほうがいいですよね?」と聞くと、必ず言われるのが、「それはあなたが望んでいることなのか、お姉さんが望んでいることなのか」ということでした。結局、「ああ、それは私が望んでいることであって、姉が望んでいることではありません」ということに行き着いて、医師から「お姉さんが望んでいることをしてあげましょうね」と言われてしまいます。それがホスピスの正しい目的だからです。
それでも家族としては、少しでも元気にしてあげたい、治してあげたいという気持ちが強くあり、そこからなかなか脱却することができませんでした。
そうした体験から、私はカウンセラーとして、長年おつきあいをしてきた不登校のお子さんのお母さんたちの思いに対して、ちょっと食い違ったアドバイスをしていたのかなあと反省させられました。でも、目的は何かということを常に再確認しながら、姉に関わっていくことが大切なんだなあとも思いました。医師のひとことで、姉がホスピスに入院した目標や目的を再認識し、だんだんと目的に即したケアができるようになっていったかなと思っています。
わが子が不登校という状態のなかで、親として、「あなたがやってみたいことから始めてみようよ」とか、「せっかくたくさん時間があるんだから、この時間を有効に活用して好きなことをやってみたら」というメッセージを送り続けるのは大変なことです。親御さん自身が、不安や焦り、イライラで胃が痛くなる思いでしょう。それでも、「本当はこうできたらいいね」という目標(快適な不登校)を常に確認しながらめざしてほしいと思います。
◆時間の経過とともに、よりよい関わり方が見えてくる
とは言うものの、子どもの気持ちを受けとめることは、そう簡単にできることではありません。うまくいかないなと思ったら関わり方を見直したり、やり方を変えたりしながら、5回に1回とか、10回に1回とか、ときどきできるようになればいいのではないかと思います。ずーっと理想的な親の関わり方をしようとするとストレスがたまりますので、少しずつ自分を変えていければいいのではないでしょうか。
不登校になった当初は、ほとんどの親御さんが子どもを責めたり、無理やり登校させようとして、親子間でバトルが起こります。でも、それをやることで、よりよい関わり方が見えてくる。そういう意味で、当初の親子のぶつかり合いは必要なものなんだと思います。そして、時間の経過とともに、少しずつ「この子にはこうしてあげたほうがいいかな」ということが見えてきます。そんなふうに、じっくりゆっくりと“快適な不登校”をめざすことができればいいのかなと思います。