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【トークライブ】不登校の進路選択~それぞれのドラマ 第二部

2005年2月6日に開催された登進研バックアップセミナー48の第1部「不登校の進路選択~それぞれのドラマ【トークライブ】体験者が語る、私たちの選択、私たちのドラマ」の内容をまとめました。

ゲスト 矢野 花子(不登校経験をもつ女の子。現在、高校3年生)
西田 和子(わが子の不登校を経験したお母さん)
大谷 洋子(わが子の不登校を経験したお母さん)
真島 一郎(矢野花子さんの担任教師)
助言者 小澤美代子(さくら教育研究所所長)
池亀 良一(代々木カウンセリングセンター所長)
荒井 裕司(登校拒否の子どもたちの進路を考える研究会代表)
司会 海野 千細(八王子市教育委員会学校教育部学事課長)

※ゲストの方々のお名前は仮名、年齢等はセミナー開催時のものです。

第2部 高校入学までの道筋と、不登校を経験して今、思うこと

中学卒業後の進路について

海野 矢野さんは、中学卒業後の進路についてどんなふうに考えていましたか?
矢野 ずっと保健室登校をしていたんですが、中3の1月頃にあせってきて、一度だけ頑張って教室に入ろうとしたことがあります。ものすごく不安だったので、たまたまお母さんが学校に行く用事があるというので、一緒に行ってもらいました。
ところが、お母さんの用事というのは、サポート校に提出する調査書を学校に書いてもらうためだとわかって、「この時期までに教室に入れなかったら、普通の高校には行けないんだよ」と言われてしまいました。
それを聞いてショックで、精神的におかしくなりそうだったので、それまで誰にも相談なんかしたことがないのに、お父さんの会社のカウンセラーの先生に話をしに行きました。先生に、「それはとてもつらいことだから、その感情を大切にして、2日間くらい思いっきり泣いていいよ」と言われて、すごく気がラクになりました。「それで2日間泣いたら、高校をどうするか考えよう」とアドバイスしてもらいました。
海野 お母さんお父さんは、そういうことを学校から聞いていたけれど、いつ矢野さんに話したらいいのか、悩んでいたのかもしれないね。
矢野 それもあるだろうし、言っても動けないだろうという思いがあったのかも…。
西田 いろいろ情報を収集した中で、娘の状態を考えるとサポート校がいいのかなと思っていました。ただ、本人には、そうした親の希望は話しませんでした。
あとは、スクールカウンセラーの先生に「子どもの小さな変化を見逃さないように」と言われていたので、そのへんを注意していました。不登校が長引くと、何も状況が変わらないように思ってしまうんですが、注意して見ると、半年くらいのサイクルで子どもの言動に少しずつ変化があらわれるのがわかりました。
海野 たとえば、どんな変化?
西田 最初はソファに寝ていたのが、気がついたら座っていたとか、パソコンを使うときは私が部屋まで持っていっていたのが、自分で持っていくようになったとか…。
いちばんびっくりしたのは、中3の5月頃に自分のスニーカーを洗っているのを見たときです。それまでは外出する用事もないので、そんなことやったことないんです。
ちょうどその頃、それまで拒絶していたスクールカウンセラーと会うことを約束してくれたので、少し前向きになってきたのかなと思って、初めて進路のことについて娘と話をしました。中学を卒業したら、高校に行くか、就職するか、このまま家にいるか、3つくらい選択肢があるよと話すと、自分の部屋に入ったまま出てこなくなって……。しばらくして出てきたと思ったら、「高校に行く」と宣言したんです。それからは本人も気持ちが決まったようで、市の適応指導教室に通いはじめました。
海野 大谷さんはどうでしたか?
大谷 本人の意思が出てくるまでは、できるだけ情報を集めて、引き出しをいっぱいつくっておこうと思っていました。すると中3の2月頃、本人が「高校の卒業資格を取りたいんだけど、どうしたらいい?」と聞いてきたので、待ってました!とばかり、いろいろ方法があるよと、通信制、定時制、サポート校など、集めていた情報を見せました。娘は、相談したら即座に答えが出てきたのでびっくりしたみたいです。
ただ、私自身も2月段階から準備して間に合うのかわからなくて、「ここまで来たら、1年延ばしてもいいんだよ」と言ったんですが、本人は今年で決めたいようで、やはりみんなと同じように受験したいのかなあと思いました。
海野 矢野さんは、その後、進路情報はどうやって集めたの?
矢野 両親が先走りというか、サポート校、通信制、単位制など、いろいろな学校の情報を調べてくれていて、何校か見学にも行っていて、「ここはいい雰囲気だった」とか、いくつか学校をすすめてくれました。私自身も「高校には行けない」と言われて落ち込んでいるときだったので、「こんな高校もあるんだ」とちょっと救われた感じでした。

高校選びの決め手になったのは?

海野 結果的に今のサポート校を選んだわけですが、決め手になったのは?
矢野 親と一緒にサポート校を5~6校見学しましたが、その中で、今、私が通っているところは、先生や先輩たちの雰囲気がすごくよくて、ここだったらやっていけるかなと思ったんです。雰囲気がいいというのは、ギャルっぽい子がいないということです。私自身、あまり派手なほうじゃないし、中学時代に派手な感じの子とトラブルになったこともあったので、それが大きな決め手になったと思います。
海野 西田さん、大谷さんは、学校選びの際、どんな点に考慮されましたか?
西田 私も娘と一緒に5つのサポート校を見学しました。その中で、娘は現在通っているところが気に入ったようですが、通学に1時間ほどかかり、しかも大きなターミナル駅で乗り換えなければならないので、人慣れしていない娘は「こんなの絶対無理!」ということで、もっと自宅に近いところにしようという話になりました。
ところが、しばらくして娘が、「やっぱり最初にいいと思ったところに行きたい」と言ってきました。理由を聞いてみると、学校見学の際に授業の様子を見たことが決め手になったようです。娘は、高校に行ったらちゃんと勉強しようと考えていたらしく、「あそこなら、しっかり勉強できそうだから」と言っていました。
大谷 定時制、通信制、サポート校などの情報をいろいろ調べた中で、夫は、ホームページの更新がマメに行われているか、問い合わせのメールなどについて対応が迅速かといったことをチェックしていたようです。
私としては、学習面の遅れをきちんとサポートしてくれるか、クラスメートといいかかわりをもって学校生活が送れるかが大事だと思っていたので、実際の雰囲気を知るためにも、学校説明会や学校見学に行ったほうがいいよとアドバイスしていました。
海野 娘さんは、学校見学に行けたんですか?
大谷 私もそれが心配で……。娘は長いあいだ電車に乗ったことも、ひとりで外出したことも、家族や親戚以外の人と口をきいたこともないので。ところが、あるサポート校の学校説明会に一緒に出かけると、自分から個人面談を受けたいと言い出して、対応してくれた先生とざっくばらんに話をしているんです。半径3キロしか動けなかった子が、と思うと、何か不思議な光景を見ているような気分になりました。
そのあと本人が「この学校に来たい」と言ったので、じゃあ、なんとかして入学させてもらおうという感じになりました。
海野 荒井先生、サポート校は、中学卒業後の不登校の子どもたちを積極的に受け入れる教育機関として20年近い歴史があるわけですが、最近の傾向として、サポート校に入学してくるのはどんな子どもたちが多いのですか?
荒井 私が学園長を務めるサポート校では、最近、私立中学から入学してくる不登校の生徒が非常に増えています。中学受験を勝ち抜いて、私立の中高一貫校に入学したけれど、その高校には進まず、サポート校にやって来た子どもたちです。頑張って合格した学校をやめざるをえない状況になったわけですから、自信を失い、プライドも傷ついています。
高校からの転入・編入組も増えています。学校が合わないということで転編入をくり返し、うちが8校目という生徒が相談に来たこともあります。私は思わず、「よく来たなぁ」と手を握ってしまったんですが、このような子どもたちには、いつもこう言っています。「高校に入ることが目標じゃない。もう少し先を見ようよ」と。
今は暗い霧の中に入って先が見えないけれど、もう少しすればこの霧も晴れる。霧の中から抜け出せる。入学した学校が合わなかったら、別の道を考えればいい。もっと先を見て自分の状況に合った道を選んで、そこからスタートしなおせばいい。
海野 再スタートを切るための選択肢もいろいろ増えてきましたね。
荒井 そう。現在、不登校の子どもたちの進路は実に多様化しています。子どもたちのニーズも多様化しているので、それぞれの個性に合わせた進路を選択する時代になってきたのです。いまや学校をやめたり、かわったりすることは珍しいことではありません。
今日ここに参加されたお母さんお父さん方も、そんなふうに子どもたちに伝えていただけたらいいなと思っています。

高校入学後はちゃんと通えた?

海野 高校に進学したあとのお子さんの状況はどうでしたか?
西田 心の状態というのは、高校に入ったからといってすぐによくなるわけではなく、よくなったり悪くなったりしながら徐々に上向きになっていくものだと思います。だから高校に入ってからも、不登校のときと同じ気持ちで見守っていきたいと考えていました。
でも、入学したらしたで、休まず行ってほしい、遅刻しないで行ってほしいと思ってしまう。これではいけないと反省して、今は休もうが遅刻しようが、本人にまかせています。学校のことについては、親からの指示も一切出さないようにしています。
海野 それでもやっぱり、学校を休んだりすると不安になりませんか?
西田 この前、サポート校の文化祭があって、娘はダンスの発表をする予定でしたが、1カ月くらい前から下痢と頭痛が続いて、行きたいと思えば思うほど行けなくなってしまいました。でも、どうしても行きたかったようで、それまで医者に行きたいなんて言ったことがないのに、胸が苦しいから病院に連れて行ってくれと頼まれました。病院に行ってようやく登校できる状態になり、文化祭当日、娘は舞台で前かがみになりながら、なんとか発表を終えることができました。それが自信になったようです。
私の場合は、こんなふうに本人の状態をみながら、どうしようかと考えて、娘と一緒に進んでいくという感じでやっています。
大谷 うちの娘は、入学後しばらくは、まったく休まず通っていました。「大丈夫かな」と、こちらが心配になるほど無理をして頑張っていたようです。
案の定、1年の後半には息切れ状態になり、休みがちになることもありました。親として、「無理しなくていいんだよ」とばかり言っていていいのかなと思いつつ、常に体の調子や表情などには気をつけるようにしていました。
友人関係については、ケンカできるくらいの友だちができたらいいなと思っていましたが、本人は友だちとトラブルが起こると、すごくへこんでしまうんです。
でも、娘にしてみれば、今までにない経験をするわけですから、私も「今はリハビリ期間」と開き直って、娘が自分のペースをつかむまでは、遅刻してもなんでも学校に行ってくれれば万々歳と思っていました。
海野 矢野さん、高校入学後はどんな感じでしたか?
矢野 最初は、通学の電車に乗っていて降りる駅が見えてくるとドキドキして、ひどいときは学校のある駅で降りられないで、次の駅まで行ったりしました。通学するだけでいっぱいいっぱいで、なんとか頑張って教室に入るという状態が1カ月くらい続きました。
海野 友だちはできた?
矢野 中学時代に友人関係のトラブルで学校に行けなくなったので、最初の頃はクラスメートと会うのもイヤで、よく隠れたりしていました。人と話すのが不安で、朝、顔を会わせたら、まず「おはよう」と言おうとか、前もって話す内容を考えたりもしていました。
サポート校に入ってわかったのは、同じような経験をもっている子がたくさんいるということです。なので、お互いに雑談をしながら少しずつみんなと話すことに慣れていった感じです。友だちづくりという面では、まだまだ苦手な部分があるけど、少しずつ経験を増やしていけてるなという実感はあります。
海野 真島先生は、そんな矢野さんをどんなふうに見ていましたか?
真島 不登校経験のある生徒たちは、入学して1カ月くらいあいだ、その子の本来の姿ではないくらいの勢いで通ってくることが多いんです。それで、私たちは「魔のゴールデンウィーク」とよんだりしますが、5月の連休明けから急に教室に空席が目立つようになることがあります。4月中にめいっぱい頑張ってエネルギーを使い果たし、連休で気が抜けて、緊張の糸がプツンと切れてしまうのでしょう。もちろん、そこからまた立て直しをはかって登校してくる子もいますし、入学後は昔のことなど吹っ切れたかのように、ほとんど休まずに通ってくる子もいます。
矢野さんは、中学時代の不安を抱えながら入学してきたのですが、頑張って登校していた感じがします。ただ、登校はするんですが、教室には入れずに、職員室に来たりすることもありました。1年生のとき担任をしていた頃は、つらくなったら相談、というよりも雑談するという感じだったかなと思います。

ワールドカップの応援が動き出すきっかけに

海野 不登校の状態から一歩を踏み出す“きっかけ”のようなものはありましたか?
矢野 その頃、歌手の一青窈さんが大好きで、よく「ハナミズキ」という曲を聴いて元気をもらっていました。たまたま家の近くで彼女のコンサートがあったので、母と一緒に出かけていったんですが、いろいろな曲を聴いているうちに、すごく心が解放されてスッキリした気分になって……。当時、気持ちがウツウツとして何かストレス解消法のようなものがほしいなあと思っていましたが、私にもこんなストレス解消法があったんだ、とうれしくなりました。それが元気になったきっかけかもしれません。
西田 サッカーのワールドカップが日本で開催されたとき、娘が日本代表の稲本選手の大ファンになって、どうしても会場に行って応援したいと言い出しました。まだ元気のない頃でしたが、這うようにして会場まで行って、よく行ったものだなあと思います。そんなふうにして、自分の興味のあるものが少しずつ増えていき、その積み重ねが元気になっていくプロセスだったのかもしれません。
私自身が「もう、この子は大丈夫かも」と思えるようになったのは、サポート校に入学して3週間くらいたった頃のことです。それまで私が駅まで一緒に行っていたのですが、「明日からはひとりで行く」と言いだして、それから自分だけで行くようになったんです。それを見て、娘も精神的に強くなったのかなと思いました。ただ、その後も一進一退の状態が続き、現在も完全にひとり立ちしたわけではありませんが。
大谷 うちの娘の場合、劇的な変化はありませんが、以前なら、夜中の1時頃に「お母さん、ちょっと話があるんだけど……」などと言ってきたのが、だんだん夕食を食べているときなどに自分が読んだ本の話をするようになったり、それまでは親戚が集まるところには行きたがらなかったんですが、そういうことも気にしないようになってきました。そんなところから、少しずつ変わっていったような気がします。
海野 小澤先生、動き出すきっかけとしては、どんなことが多いのでしょうか?
小澤 今、矢野さんがおっしゃったコンサートは、象徴的なきっかけのように思います。私が見てきたケースでも、ライブやコンサートに這うようにして出かけていき、それがきっかけになって、少しずつ元気になっていったという例はたくさんあります。子どもが「コンサートに行きたい」と言ったとき、親の対応は大きく分けて2つあります。ひとつは、「学校にも行ってないのに、そんなところに行ってる場合じゃないでしょ」とか「そんなヒマがあったら勉強しなさい」などと拒絶する。こういう対応は、せっかく出てきた立ち直りのエネルギーの芽を摘みとってしまう可能性があります。もうひとつは、「じゃあ行ってくれば」とチケットを買ってあげるという対応。このときに「行ってくれば」と送り出すだけでなく、ちょっと背中を押してあげるとさらにいい。親が背中を押すことで子どもはすごいパワーをもらった気持ちになって、今までできなかったことに挑戦しはじめるという例をいくつも見てきました。
海野 そのほかにどんなきっかけが多いですか?
小澤 ペットを飼うことも、いろいろな変化を生み出すことがあります。どんよりとしていた家の中に、ペットがさわやかな風を吹き込んでくれたり、家庭内の雰囲気がなごやかになって、家族みんなの気持ちが上向きになってくることも多いですね。
高校生くらいになると、アルバイトをすることも自信につながったり、意欲が出てきたり、いい効果をもたらすことがあります。バイトは、自分のやったことがきちんと評価され、目に見えるお金というかたちで返ってくるので、ものすごいエネルギーになります。ただし、「バイトしようかな」と言ってから、実際にやりだしたのは3年後という男の子もいましたので、急かさないことが大切です。
いずれにせよ、子どもが今までになかった新しいことを「やりたい」と言ったとき、親が上手に後押ししてあげると一段階前のほうに進んでいけるように思います。
海野 上手な背中の押し方とは?
小澤 本人が「自分で決めて動いた」と思えるような援助をしてあげること。親が全部お膳立てをしてしまうと、親の敷いたレールに乗せられたようで、達成感や自信を得にくくなるからです。

心の支えになったのは?

海野 不登校期間中、心の支えになっていたことがあったら教えてください。
西田 娘のことで、たくさんの方々が声をかけてくれたり、心配してくれたことが大きな支えになりました。私自身としては、ひとつ心に決めたことがあって、それは「娘は必ず元気になるんだ」と信じることです。そして、娘が制服を着て、靴をはいて、笑顔で「行ってきまーす!」と玄関を出ていくイメージを頭の中にずっと思い描いていました。それが自分にとっての励ましになっていたように思います。
大谷 家族それぞれがきちんと向き合うようになるまでには、それなりに時間がかかりましたが、自分が崩れそうになったときには、教育相談室の先生や担任の先生、まわりの人たち、そして夫や娘に支えてもらったと思っています。サポート校に入学後、休みがちになったときに、学校との連絡ノートを見たら、担任の先生が「彼女の笑顔は私が守ります」と書いてくださっていて……。それを読んだとき、娘も私も人に支えられながら前に進んでいるんだなあと思いました。
矢野 支えになったのは、好きな音楽を聞くこと、カウンセリングの先生に相談すること、サポート校の先生たちと話すことです。それと今、選択授業で和太鼓を習っているんですが、それも心の支えになっています。
海野 不登校の経験を通して、何か気持ちや考え方に変化はありましたか?
西田 不登校の前後では気持ちに劇的な変化があり、人生そのものが変わった気がします。以前の「~すべき」「~でなければいけない」という価値観が消えて、なんでも誰でも受け入れられるようになりました。自分のことも好きになったし、夫に対する見方も変わって、「いい人だなあ」と思えるようになりました。私と娘との会話も増えたし、それまでほとんど会話のなかった夫と娘もよく話すようになって、家の中が明るくなったように思います。
大谷 いちばん大きな変化は、夫と娘の関係がおだやかになり、信頼しあう関係になれたことです。今、娘は留学中で、海外でひとり暮らしをしていますが、アルバイトをしながら学生生活を大いに楽しんでいて、「青春してるなぁ」という感じです。たまに電話をかけてくるんですが、第一声が「お父さん元気?」。本当に変わったなと思います。いつも下ばかり向いて歩いていた娘が、今こうして上を向いて歩けるようになるまで5年くらいかかりましたが、その5年間は決してムダではなかったし、家族のためにはいい時間だったと思うし、不登校を通して家族がひとつになったと感じています。

不登校を経験して思うこと

海野 矢野さん、今の気持ちと将来の夢について聞かせてください。
矢野 今の気持ちは、もうすぐ高校を卒業するので、友だちや先生と離ればなれになると思うとすごく寂しいです。将来は人のためになるような仕事をしたいと考えているので、大学で心理学を学ぼうと思っています。
池亀 矢野さんとは、高校1~2年のときに彼女が通うサポート校と連携するカウンセリングルームのカウンセラーとしてかかわらせていただきました。その中で、教室に入るための作戦、人と話すための作戦を一緒に考えてきました。
その矢野さんが、こんなふうに自分の体験をしっかり話せるまでに成長した姿を見ることができて、とてもうれしいです。将来、人の役に立つことをしたいと心理学を勉強されるそうですが、もうすでに、今日ここに参加されたお母さんお父さんを勇気づけ、力づけることができているんじゃないかと思います。
真島 矢野さんはハキハキしているし、しっかりしているように見えますが、まだ中2のときの人間関係のトラブルを引きずっているように感じます。大人とはうまくしゃべれるのですが、同世代と話すと、どうしても緊張してしまう。友だちにメールや電話をしたいと思っても、「自分から連絡すると迷惑なんじゃないか」とか「拒絶されたらイヤだなぁ」といった心配が先に立ってしまうようです。私からみると、そんな心配はぜんぜんいらないし、クラスメートからも好かれているんですが。
そうした緊張を薬で抑えると、もっと自分を出せるようになるんじゃないかということで、現在、心療内科にも通っています。ただ、最終的には薬で抑えるのではなく、日頃の人とのかかわりの中で、いいイメージをつくりあげることが大事だと思っています。だから、矢野さんがおちいりがちなマイナスイメージをプラスの方向に変える話をするよう心がけています。卒業してからも、そういうサポートを続けていきたいですね。
海野 最後にゲストのみなさんから、参加者の方々にひとことお願いします。
矢野 不登校をしていたときは、私もつらかったけど、親もすごくつらいだろうから、親の立場からすれば、子どもにとやかく言うのはしかたないと思っています。でも、最初の頃って「どうして行かないの?」「高校どうするの?」とか言われると、子どものほうはけっこうキツいんです。そこをわかってあげてほしいと思います。
西田 私にはできませんでしたが、今思うのは、まず、子どもの不登校という現実を受け入れるということ。これが大切だと思います。親の頭の中にはどうしても「学校に行くべきだ」という思いがあるので、とても難しいことだと思いますが、目の前の子どもをしっかり見て、「この子は学校に行けない状態なんだ」ということを受け入れるところから出発するしかないのかなと思います。
娘が不登校になってから3年たちますが、最初に相談室に行ったとき、スクールカウンセラーの先生に言われた言葉を今でも忘れません。その先生は、笑顔で「お子さんが不登校になった親御さんは、みんなあとで本当によかったとおっしゃるんですよ」と言ったんです。
そのとき私は気持ちがどん底で、「この人は何を言ってるんだろう」と腹が立ちましたが、今考えると、あの言葉は本当だったんだなと思います。不登校があったからこそ今の私があるし、娘も不登校を経験して、今の自分があると言っています。
大谷 まず、どうしたらこの子をラクにしてあげられるのかを考えること。親としての自分の気持ちではなく、子どもの気持ちがラクになるにはどうすればいいか。そこから始めると、ちょっとずつかかわり方が見えてくるのかなと思います。子どもをありのままに受け入れられるようになるまでは、私も本当に大変でした。でも、その時期を過ぎるとすごくラクになります。不登校という時間があったから家族がひとつになれたし、家族が力を合わせれば必ず道は開けてくると、今なら自信をもって言えます。本当に、やまない雨はないと思います。
海野 今日、みなさんのお話を聞かせていただいて、子どもたちが不登校という問題に向き合う中で、家族の絆が強くなっていく様子がとても印象に残りました。長時間にわたり、つらい苦しい経験を話していただいて、本当にありがとうございました。

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