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不登校に支配されない「私」になる
2020年9月27日に開催された登進研バックアップセミナー106の第1部の内容をまとめました。
講師:今村泰洋(元東京都教育相談センター主任教育相談員)
※講師の肩書きはセミナー開催時のものです。
このコロナ禍は大人だけでなく、子どもたちにもさまざまな影響を与えています。1学期の頃にスクールカウンセラーから聞いた話ですが、分散登校が始まったら、去年までまったく登校できなかった子や、登校できても教室に入れなかった子が、軒並み登校してきて教室にも入れるようになったそうです。
一斉休校要請や非常事態宣言などで2カ月半にわたって授業が中断しましたが、不登校の子どもたちはそもそも授業を受けていないし、たいていは自宅で勉強もしていません。ところが、6月に分散登校が始まった時点では、授業を受けていない、自宅で勉強をしていないということについては、ほかの子もみんな同じ条件だったわけです。だから学校に行って、勉強がよくわからなくても、自分だけじゃない、ほかの子も同じなんだということで、登校へのハードルが下がったのではないかと思います。
また、分散登校によってクラスの人数が半分になり、学校にいる時間も午前と午後に分けられ短縮化されました。つまり、集団が小さくなったことと時間が短くなったことも、不登校の子どもたちが教室に入るためのハードルを下げることにつながったと考えられます。さらに、3密を避けるためクラス内でもソーシャルディスタンスを保ちましょうと「寄るな、触るな、しゃべるな」になったから、無理にクラスメートに関わらなくてもよくなり、心理的にもわりと楽な状況だったと思います。
加えて、子どもたちはしゃべらないし、先生もできるだけ大声を出さないようにしているので、この時期の教室はかなり静かな環境になりました。いつもの賑やかな学校ではなく、こうした静かな教室や学校の環境も、登校に向けて不登校の子どもたちの背中を押すかたちになりました。
こう考えてみると、不登校の子どもたちが再登校する際、環境要因がとても大きく影響することにあらためて気づかされます。
「不登校に支配される」とは?
さて、今日のテーマは「不登校に支配されない『私』になる」ですが、まず、「不登校に支配される」というのはどんな感じなのか考えてみましょう。たとえば、お子さんが朝グズグスしてなかなか起きてこないとか、ときどき休むことがあるとか、登校しぶりを始めたとか、そういう時点では多くの親御さんは「不登校に支配された」という感じにはなっていないのではないでしょうか。
ところが、それまで学校に行ったり行かなかったりを繰り返していた子がパタッと行かなくなり、昼夜逆転、ゲーム三昧の生活が続いたりするなかで、「いいかげんにしなさい!」と叱ったりすると「うるせーっっっ!!!」と言い返してきたりして親子のバトルが続き、子どもとの関係が悪化して親御さんもヘトヘトになり、お手上げ状態になってきます。
そうして親御さんが何も言わなくなると、好き勝手な生活は続けているものの、不登校状態はある程度落ち着いてきて、家庭内にも“平穏”な日々が戻ってきます。そうした状況のなかで親御さんは、わが子の顔色をうかがったり、機嫌を損なわないよう気をつかったりと、腫れものに触るような感じの対応になってきます。そんな状態が「不登校に支配される」というイメージなのかなと思います。
親としての私、妻としての私、社会人としての私…… いろいろな「私」がいる
こうした腫れものに触るような対応を迫られるケースは、家庭内暴力を振るう家族がいたり、重篤な病人がいたりする場合も同じだと思いますが、それ以外に思い当たるのは受験生がいる場合です。「今、お兄ちゃんが勉強してるから静かにしようね」とか、「お正月のスキー旅行は受験を控えているから中止にしよう」とか。
そして、家庭内暴力や病人、受験生に共通するのは、「先が見えない」ということです。家庭内暴力はいつになったら終わるのかわからないし、重篤な病気も治る目処が立たず、いつ亡くなるかもわからない。受験生の場合は受験日は決まっていますが、合格する保証はどこにもなく、不合格だった場合は再受験しなければいけないという意味では「先が見えない」ことに変わりはありません。
家庭内暴力、病人、受験生のもうひとつの共通点は、「自分のことではない」ということです。つまり、「先が見えない」ことと「自分のことではない」ことから、私たちの不安はどんどん増幅していきます。そうして不安が増幅してきたときに「支配される」感覚に陥ることが多いのではないかと思います。
よくよく考えてみると、私たちは子どもの頃は親に従っていますから、言葉を換えれば親に支配されていたことになります。そして、思春期・青年期になって自我が覚醒してくると、親に従属する子どもではなく「私」という一個人になり、その先で自立すれば、社会人としての「私」になります。結婚すれば誰かの伴侶としての「私」、子どもが生まれれば親としての「私」にもなります。その都度、立場や役割が付随してきますが、状況が変わるにつれていろいろな「私」がいるということです。
そして、「支配されている私」は「親としての私」であって、「本当の私」は別にいるという話ではなく、同時にさまざまな立場や役割の私がいるということです。子どもが不登校になってしまったので、好きな趣味にも没頭できないと思っている私がいたり、会社で仕事をしているときは子どものことを忘れられるけど、「今日は学校に行ったかな?」とふと思う私がいたり、子どものために何をしてあげればいいのかと考えながら向き合わなければいけない私がいる。
そうしたいろいろな「私」がいるわけですが、そのすべての「私」が「本当の私」であり、それぞれの「私」のバランスが大事なんだろうなと思います。
子どもたちの回復までのサイクルを知る
今日のテーマのサブタイトルは、「不安と焦りにさいなまれる日々のなかで、学校に行けないわが子と賢くつきあうために必要なこと」となっています。長年、教育相談をやってきて、私が親御さんとどんな話をしているかというと、たとえば、「今のこういう状況のなかで、もしこんなことが起こったら大変だから、それはなんとしても避けたいね」「そのために親御さんはどんなことをしたらいいかな」といった感じで、子どものことというより親御さん自身のことを考えるようなやりとりをします。
逆にいえば、「お子さんに対してこういうことをしたら、きっとこの子はこうなりますよ」といった話はしないということです。そういう人を操るようなことはできないのではないか、お子さんを操るというよりは、お子さんについて行くしかないのではないかと思います。
ただし、わが子がどんなことを感じていて、どうしたいのかがまったくわからない状況でついて行くとなると、とても不安になります。ですから、この子はどこへ向かおうとしているのか、向かおうとしているところでどんなことが待ち受けているのかといったことが少しでも見えれば、気持ちが多少なりとも楽になるのではないでしょうか。不登校に支配されないために大事なことは、少なからず「先が見える」ことと、推測になるかもしれませんが、「子どもはこんな思いでいるのかも……」ということをある程度把握できること。そのうえで、かかわり方を考えてみること。それが答えになるのかなと思います。
私は、以前の勤務先である東京都教育相談センターで、多くの不登校の子どもたちにかかわりましたが、不登校状態のままというケースはひとりもいませんでした。誰もがなんらかのかたちで回復し、進学や就職などで次のステップに踏み出しました。そうした子どもたちの回復までのサイクルをイメージしたものが、下に示した図です。
この図からもわかるように、大きな流れとしては、まず、不登校になると子どもたちはもっとも心身ともに乱れがちな「混乱期」に入ります。そこを過ぎると、低値安定というか、おとなしい“静の時期”である「低迷期」に入り、その後、もぞもぞと動き出す“動の時期”である「回復期」になっていくわけです。
「混乱期」と「低迷期」はさらに細かく分けることができそうだったので、図のように「初期」「中期」「後期」と3分割して考えてみました。
混乱期と低迷期の特徴
高校1年で不登校になった男の子が話してくれたことですが、中学時代にクラスメートが不登校になったことがあって、でも、彼としては「あいつ学校に来なくなってしまったなあ」という程度で、自分とは関係ない世界の話だと思っていたそうです。
その後、彼は第一志望の高校に合格して、電車通学をすることになりました。ところが、4月中旬頃から高校の最寄り駅が近づいてくると冷や汗が出るようになり、そのうち心臓もドキドキするようになりました。「どうしてなんだろう」と不思議に思いながら、やがて電車に乗り続けることができなくなり、途中下車してホームで休んだりしながら登校していたようです。そして、ついに電車に乗ることさえできなくなってしまう日がやって来て、そこで初めて「もしかして、これって不登校?」「自分が不登校になったの?」と思ったそうです。
もともと彼は、不登校なんて自分には関係ないと思っていたので、なんとか学校に行こうとあがいたようですが、思うように体が動かない。毎朝、寝床でグズグスしているとお母さんに「遅刻するわよ」と急かされますが、本人も何がどうしてどうなったのかがうまく説明できないまま時間が過ぎていきました。その段階で親御さんが私のところに相談にみえたので、「あまり刺激をしないで、少し様子を見たほうがいいかもしれませんよ」とアドバイスしたこともあり、彼が混乱して暴れたりするところまでは行かずに済みました。
このように不登校の当初は、本人もどうしたらいいかわからずにジタバタあがきます。「なぜ?」という疑問、「どうなっちゃうの?」という不安、なんとかこれまでの自分を維持しようとする焦りなどで混乱する時期です。ときにはイライラをぶつけて暴れたり、物に当たったり、「こんな自分は生きている価値がない」と自暴自棄になってリストカットをしたり、自殺企図をする場合もあります。
こんな状態を目の当たりにすると、親御さんもさすがにこれ以上追い詰めても仕方がないとわかってきて、少し距離を置いて接するようになり、子どものほうは「低迷期」に突入します。図に示した「低迷期」の落ち込み具合や長さなどは、一人ひとり異なりますが、あくまでイメージとして捉えていただければと思います。
この「低迷期」の最初のほうと最後のほうでは、様子が変わってきます。最初のうちは不安や焦りや怒りで混乱していますが、その後、「学校に行け」「勉強しろ」と言われなくて済むようになり、ようやくほっとした心境だと思います。要するに、学校や勉強のことは当分考えたくないということです。やっていることといえば、ゲームとか、YouTubeばかり見ているとか、スマホをいじっているだけですが、それは学校や勉強のことを思い出したくないからです。学校や勉強のことを考えなくて済むことをやっていると考えるとわかりやすいかもしれません。そんなことをやりながら、焦りや不安から、できるだけ自分を守ろうとしているのだと思います。
その時期は好き勝手なことをやっているように見えますが、まわりの家族も気をつかっているので、ある意味では平穏な日々が続きます。ただし本物の平穏とは異なり、どこか腫れものに触るような接し方になるのが一般的です。それは子どものほうもわかっていて、自分が元気そうにしていると、そんなに元気なら「学校に行ったら?」とか「勉強しなくていいの?」とか言われるんじゃないかと疑心暗鬼になっています。そんな状況にいるのが「低迷期」の中期で、いろいろなことを考えながらも、とりあえず現状維持を保っている状態です。
その時期が過ぎると、子どものなかにウズウズした気持ちが出てきて、何かやりたくなる感じになります。子どもによっては「暇なんだよ〜」などと言うこともあり、親御さんとしては、つい「勉強すれば?」「学校行ったら?」と言いたくなりますが、これが「低迷期」の後期に相当するもので、安定はしているけれど何か物足りなさを感じている時期です。この時期になると、インターネットで知り合った人と外で会ったり、親の知らない友だちと一緒に外出すると言い出したりします。現状維持を保ちつつ、以前と同じような生活から抜け出したいと思っているわけです。
回復期に入るきっかけ
そのあとにやってくるのが「回復期」です。この「回復期」に入るタイミングが、いつやってくるかは本当にわからないことが多いんです。
ある不登校の男子高校生の親御さんと、家族づきあいをしているおばさんがいました。その女性が突然、彼に「○○くんさあ、バイトしない?」と気軽にダメモトで声をかけたそうです。「私が働いているスーパーで、急に2週間くらい休まないといけなくなった人がいてね」ということでした。
すると彼が「おばさんも一緒に働いているところなの? 時間はどのくらいなの?」と聞いてきて、その後のやりとりの結果、「やってみようかな」ということになったようです。そんなことがきっかけとなって、「回復期」に入ることがあります。ここで大切なのは、まず、「おばさんも一緒に働いている職場」という安心材料があることです。
中3の女の子が「回復期」に入るきっかけは、夏休みにクラスで文化祭の看板や作品を制作することになり、たまたま遊びに来た友だちから「一緒に看板づくりをやろうよ」と言われたことでした。学校に行ってみたらクラス全員が揃っていたけれど、教室とは違って、みんなそれぞれの作業に集中しているので、彼女を見ても「よっ!しばらく」と声をかける程度で、普通に受け容れてくれたこともよかったようです。本人にとって、とてもラッキーな出来事でした。
この二人に共通しているのは、「やれるかな?」と不安な気持ちで揺れているときに、「大丈夫だよ」と言ってくれたり、行動を共にしてくれる人の存在があったことです。それが安心材料となって、背中を押してくれたのでしょう。
今、わが子が何を考えているのかわからない場合は、少し前のお子さんはどんな感じだったのか、休みはじめた頃のお子さんはどんな感じだったのかを振り返ってみてください。すると、あの頃はこの時期に相当するのかなと思い当たる場合があります。それがわかると、じゃあ、もう少ししたらこんなことが起こるのかもしれないとか、ある程度、見通しをもって臨めるのではないかと思います。
それぞれの時期に応じた子どもへのかかわり方
では、混乱期、低迷期、回復期、それぞれの時期における、子どもへの対応はどうすればよいかについて考えてみたいと思います。
まず、「混乱期」はあがいている時期ですから、親御さんも状況がつかめず、ついつい「どうして行かないの?」「理由をはっきり言いなさい」「どうしたいの?」など、問い詰めたりしがちですが、やりすぎは禁物です。親御さんは、お子さんを追い詰めすぎないことを意識することが大切です。
「低迷期」はエネルギーをためている時期ですから、親御さんは不登校に支配されているような気持ちになりやすく、腫れものに触るような雰囲気になってきます。そうならないためには、普通に生活することがポイントになります。
よくあるのは、子どもは部屋にこもっていて、ほかの家族がリビングで談笑しているとき、部屋から子どもが出てきたとたん家族の会話がストップする風景です。自分がリビングに来た瞬間、さっきまで聞こえていた会話がピタッと止んでしまったわけですから、子どもからすればいたたまれない気分です。
実はこの雰囲気は、不登校の子どもが久しぶりに教室に入ったときの雰囲気と同じです。それまでザワザワしていた教室が、その子が入ってくるや否やシーンとして、クラス全員の注目の的になってしまう……。そうした雰囲気は、家庭ではできるだけつくらないほうがいいわけで、家族は普通に会話をして、普通に対応することが望ましいでしょう。
ただし、本人について話をするときは、本人からすれば自分がいないところで何を話しているんだろうと不安になりますから、話題を変えるなどの配慮はすべきかなと思います。
低迷期の後期になってくると、家の中をウロウロしたり、「暇だなあ」と言ったりするので、支配されるでもなく、こちらがコントロールするでもなく、いろんなことに誘ってみたらどうでしょう。
たとえば犬の散歩に行くとき、「最近、この辺に不審者が出るらしいの。ひとりで行くのは心細いから一緒について来てよ」などと言って何度か誘ってみると、「仕方ないなあ」とか言ってついてくることがあります。そのときにいろいろ話すのではなく、「ありがとう」だけ言って、散歩して帰ってくるだけで十分です。ダメモトでそんな誘い方をしてみてください。
その後、回復期に入ると、本人もあれこれトライする時期になってきます。先ほど紹介した事例のように短期間のバイトを始めるとか、好きなことを再びやりはじめるとか。ここで親御さんが気をつけなければいけないのは、いろいろ動きはじめたからといって油断をしないことです。ひとつ実行できたからといって、つい欲が出て次の要求をしたり、期待しないことです。それは自分に対する戒めとして、常に心のなかで反復してみてください。
セルフエスティームを高めるには?
先ほど事例として紹介した高校1年生の男の子は、不登校になったときに「こんなはずじゃなかった」と思ったそうです。「こんなはずじゃない」というのは、今の自分ではなく、期待する自分、理想の自分のようなものがあって、それを基準に考えると、こんなふうにできるんじゃないか、やれるんじゃないか、こんなはずじゃない、というわけです。
つまり、今の自分はどこかに置き去りにされている。今の自分は何ができて何が苦手かということよりも、あるべき理想像に眼が向いてしまう。そうなると足元をすくわれるようなことが起こりがちです。
そうではなく、今の自分を正当に評価して、ここが自分のスタートラインなんだ、
ここからスタートするんだ、ということを大切にすべきです。そのためには、お子さんがやったことの結果より、そこに至るまでの過程を認めてあげること。たとえ失敗しても、「よく頑張ったね」と支えてあげること。そういう経験をすることが、子どものセルフエスティーム(自尊感情・自己肯定感)を高めることにつながります。
ストレスや怒りを「小出し」にする
こんなふうに子どもたちにつき合っていくなかで、当然ですが親も人間ですから、いろいろな感情がわき起こります。
不登校に限らず、子どもが生まれた瞬間から、親にはさまざまな試練が待ち受けています。生まれて間もなく子どもの夜泣きがひどくて睡眠不足になったり、行動の自由が利かなくなり、しばらくは外食などもお預けになってしまいます。その次にやってくる試練は、「自分」がなくなるということです。子どもが成長するにつれ、公園デビューや保育園・幼稚園での場面では、親は子どもの付属物のように「○○ちゃんママ」「○○ちゃんパパ」などと呼ばれるようになります。ふと、「ちゃんと名前のある私はどこに行ったのかな?」と思ったりもします。
3番目の試練は、子どもが思春期になった頃にやって来ます。子どもが大人になるために通過しなければいけない「反抗期」の訪れです。親を親とも思わないような口の利き方をすることもあり、自立のためのバトルを経験しなくてはなりません。そして、最後に待っているのは、それだけ手をかけ、愛情を注いで育ててきたわが子が、あるとき自立して家族から離れていく「別れ」であり、それは避けられないことですが、これもひとつの試練だと思います。
これらの試練を試練と思わないときは、我慢も苦になりません。たとえば、幼い子どもは夜泣きもするし、なんでも口にするから目が離せなくて大変ですが、「寝返りを打った」「ハイハイした」「立った」「歩いた」というように、子どもが成長していくのを見ていると、苦労を苦労とも思わないときがあるはずです。
ただし、その限界を超えると、親も人間ですから爆発したくなります。なんでもかんでも我慢するのではなく、ときには爆発してもいい。我慢に我慢を重ねていると、思わず手が出てしまったり、気づかないうちにストレスを溜め込んで、いきなり暴発が起こることもあります。それはなんとか避けたいですね。
そのためには、ストレスや怒りが頂点に達する前に「小出し」にすることが有効です。たとえば、ときには「いいかげんにしなさい!」と大声で叱る。あるいは子どもの前では我慢して、別の許される場で発散する。気の置けない友だちと会って、思い切りグチをこぼすのもいいですね。私も相談員として、そんな場面に遭遇したことがあります。あるお母さんが、この日を待ちかねたように相談室のドアを開けたとたん「先生、聞いてくださいよ」とたまりにたまった鬱憤を吐き出すように話しはじめたのです。これもストレスを小出しにする方法のひとつです。
なお、子どもが間違ったことをしたり言ったりして、「それは絶対ダメ」というときは、きちん叱ってください。
ある高校生が私のところに相談に来るために、毎回、交通費と途中で買う飲み物代として、親御さんから1000円をもらっていました。ある日、彼から「今日は体調が悪いので相談を休みます」と電話が入り、その後もキャンセルの連絡が何回か続きました。彼のお母さんも私のところに相談に来ていたので、「ここ何回か体調が悪いとのことで相談をお休みしているんですが、大丈夫ですか」と聞いてみました。すると、「えっ! そうなんですか? 私には相談に行ってきたと言っていたのに……。あの子が嘘をついていたわけですね」。
帰宅後、お母さんは彼に向かって「あなたはいったい何をやってるの? あなたが相談に行きたいと言うから1000円を渡していたのに、私に嘘をついてごまかしていたのね!」と厳しく問い詰めたそうです。
彼自身、それはやってはいけないことだとわかっていたはずです。それを叱られなかったり注意されなかったら、見放された、見捨てられたと感じるのではないでしょうか。自分のことを大事だと思うから注意してくれたんだと感じるでしょうし、逆に叱られなかったら、自分はいなくてもいいのかな、親にとってどうでもいい存在になってしまったのかなと思うでしょう。
こうした思いにつながってしまうので、間違ったこと、これは絶対ダメということがあったときには、はっきりと対峙することが大切です。
感情が爆発したときに大事なことは?
爆発したときにいちばん大事なことは「ああ、スッキリした」と思えることです。「あ〜あ、やっちゃった。子どもに向かって暴言を吐いてしまった」「こんな私ってダメだな」と自分を責めないことです。そして、爆発したあとは、できるだけ早く普通に戻ってください。逆にいえば、すぐに普通に戻れるような爆発の仕方をしてください。ストレスをためすぎると、爆発したあとに引きずってしまい、普通に戻れなくなってしまいます。小出しが望ましいというのは、そのためです。
小出しにするためにいちばん大事なことは、信頼できてグチをこぼせる相手を見つけることです。家族でもいいし、友だちでもいいし、カウンセラーのような第三者でもいいと思います。そういう人がいるといないとでは大きな違いがあります。
また、もし爆発しすぎたと思ったときには、素直に謝ればいい。「あっ、言いすぎちゃった、ごめんね」とひと言で十分です。そんなことをくり返しながら、先にお話ししたように、できるだけ「普通」に対応することを心がけていただければいいのかなと思います。
最後に、ぜひ、あいさつだけは欠かさないようにしてください。不登校のお子さんは、家族が声をかけても返事は返ってこないのが普通です。それでも、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」など、懲りずに声に出して言いつづけてください。これは、先の「普通の対応」をするという意味で大切なことです。
それを続けていたら、ある日、お父さんが仕事から帰ってきて「ただいま」と言ったとき、お子さんが小さい声で「おかえり」と返したそうです。お母さんが「今、おかえりと言ったよね? 言ったよね?」と聞いたら、「言ってねーよ」と否定したそうですが(笑)。
こうした日常のあいさつが、「あなたは大切な家族の一員であって、見捨ててないからね」というメッセージになります。そして、お子さんが食器を流しまで運ぶとか、何か手伝ってくれたときは、「ありがとう」と返してあげてください。そのひと言がセルフエスティームを育てるうえで、とても大切なキーワードになると思います。