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なぜ、人は思い込みにとらわれてしまうのか
2021年3月27日に開催された登進研バックアップセミナー107 の第1部 の内容をまとめました。
講師 |
海野 千細(八王子市教育委員会教育支援課心理相談員) 齊藤真沙美(東京女子体育大学・東京女子体育短期大学准教授) 大谷 早紀(公認心理師) 荒井 裕司(登進研代表) |
※講師の肩書きはセミナー開催時のものです。
【思い込み1】 昼夜逆転をなおさないと学校に行けない?
・毎日昼過ぎに起きてきて、翌日の朝方に寝る生活です。学校に行けないのは仕方がないとして、せめて家で規則正しい生活を送ってほしい。このままでは朝起きて学校に行くことすらできなくなってしまうのではないかと不安です。
・昼夜逆転は自然に終わるという話も聞きますが、学校の先生などは、子どもの力だけではやめようという意思はあっても元に戻すことは不可能なので、早く治すべきと言います。どちらが正しいのでしょうか。
昼夜逆転だけにターゲットを絞っても事態はなかなか改善されない(講師:齊藤真沙美)
昼夜逆転の問題は、不登校のご相談を受けていて本当によく出てくる“永遠のテーマ”のようなものだと思います。そして、結論から申し上げますと、昼夜逆転をなおそうと思ってもなかなかなおらないというのが現状です。
たとえば、私は今日このセミナーの集合時間が10時半だったのですが、セミナーがなければ二度寝していたかなと思います。いつも仕事があるので、それに間に合うようにアラームをかけて起きているわけですが、そういう目的がなければ、あえて決まった時間に起きようとは思わないんじゃないかと、自分でも思っています。このように、朝ちゃんとした時間に起きることは、「目的」ではなく、「手段」という側面が大きいと感じています。
もちろん不登校の状態であっても、ある程度、規則正しい生活ができるのであれば、それに越したことはありません。ですが、不登校の子どもたちは学校に行くのがしんどいわけですから、ほかのみんなが朝起きて学校に行く時間帯に、自分が家で何もしないで起きているというのは、非常に複雑な心情になるのではないでしょうか。ですから、その時間に起きないほうが気持ち的に楽というのは、当然のことだろうと思います。
そんなわけで、子どもたちの多くはお昼前後に起きてきます。そして、夜は夜で、世間の人や家族が寝静まった時間帯のほうが、誰の目も気にせず、自分の好きなことができる。となれば、どうしても夜型の生活に傾いていきます。
不登校の子どもたちのこのような行動は、こうしていろいろな側面から考えていくと、まあ、そうなるのも仕方ないよなあ、と納得のいくところがあります。
やりたいことがあれば早起きできる
先ほど、「目的」のお話をしましたが、相談室で本人と話をしていてわかるのは、不登校の子どもたちも、やりたいことがあると早起きするということです。たとえば、ジャニーズが大好きな女の子が抽選でコンサートのチケットが当たって、コンサートは夕方からなんですが、どうしてもほしいグッズがあって、それを手に入れるためには、朝から並ばないといけない。それで朝7時に起きて、東京ドームに並びに行った女の子がいました。
また、アニメや漫画が好きな男の子が、「コミケ(コミックマーケット)」とか「ニコニコ超会議(ニコニコ動画のオフラインミーティング)」とか、ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、そうした年1回開催されるアニメや漫画の祭典に行くのをずーっと楽しみにしていて。会場が東京ビッグサイトや幕張メッセなどちょっと遠方でも、自分で行き方を調べて、起きられないかも…と心配なときは徹夜してでも朝から行っていました。
このように、「これがしたい!」という目的があると、多くの子どもたちが頑張って起きる、起きられる、ということがよくあります。ですから、ただ昼夜逆転だけにターゲットを絞って、「生活を規則正しくしよう」「7時に起きられるようにしよう」と働きかけてもむずかしいですし、とくに中学生以降、思春期に入ってくるとなかなか思うようにはいきません。そこを無理やり強いるような対応に出ると、親子関係の悪化につながることも少なくありません。
こう考えていくと、その子のなかにエネルギーがたまってきて、「こんなふうに生活してみたい」「誰かと話してみたい」「このテレビが観てみたい」「ここに行きたい」といった意欲がわいてきたときに、自然と生活が整っていくという部分が大きいのだろうなと感じます。
昼夜逆転だけを取り上げてそれをなんとかしようとするのではなく、まず、安心で安全で安定した生活を送れるようになることを最優先し、そして、「こんなことをしてみたい」という意欲がわいてくるようにサポートしつつ、やってみたいこと、興味がもてるものを、お子さんと一緒に探していく。それが結果として、昼夜逆転からの回復につながっていくのだと思います。
生活リズムを整える工夫
私たちが本人と話をするなかで工夫することは、たとえば、その子が相談機関に通うときに、「午前中は起きられない」という場合は、午後の枠で面接を設定します。いちばん遅いと16時台からの面接もあります。そうやって面接をくり返すなかで、だんだんエネルギーがたまって意欲が出てくると、「もうちょっと早い時間に来たい」という話が出てきたりします。「じゃあ、お家でお昼を食べて、午後1時からの面接にしようか」「いや、もう少し早く起きられるようになったほうがいいと思うので…」「だったら、相談室に来るの10時くらいにしてみる?」というように、その子と話し合いながら相談の枠を変えていくこともやっていました。
また、各自治体に「適応指導教室」という不登校のお子さんが通える教室がありますが、午前中から午後までプログラムがあって、私が以前勤めていた自治体では、午前中が各自個別の学習の時間、午後はみんなでレクリエーションやスポーツをする時間となっていました。
「適応指導教室」に通う場合、たとえば朝起きられないお子さんは勉強に取り組むエネルギーもまだ十分でなかったりするので、午後のレクやスポーツに参加することから始めて、そこで人間関係ができてくると、「もっとみんなと一緒にいたい」「午前中から来られるようになりたい」という気持ちがわいてきたりします。そうなると、「じゃあちょっと頑張って朝10時から行って、午前中の学習の時間はお友だちと勉強してみようか」というように設定を変えたりします。
こうした工夫をして、少しずつ生活のリズムを整えることも効果的かと思いますので、ご家庭でも、お子さんの状態に応じてそういった提案をしつつ、親子で話し合うことによって、結果的に昼夜逆転という問題に取り組んでいけるといいのかなと思います。
睡眠障害、起立性調節障害など医療が必要と思われるケースも
ただし、なかには医療機関を受診することを視野に入れたほうがいいケースもあります。
ひとつは、いわゆる「睡眠障害」といわれる状態が明らかにあるときです。まず、不登校になる前から、なかなか眠れないとか睡眠の質が悪いといった症状がある場合、あるいは不登校後のことでも、どうしても起きたい明確な目的があっても全然起きられない、トータルの睡眠時間がすごく短くて睡眠が十分にとれていない、本人も寝られていない感覚が続いている、寝ても短時間で目が覚めてしまって「中途覚醒」といわれる状態が続いている、ということになると、睡眠について一度、医療機関を受診されるのもひとつの手かと思います。
もうひとつは、朝起きにくい理由に「起立性調節障害(OD)」が関係している場合です。ODは、最近メディアでも注目されているのでご存じの方もいらっしゃるでしょう。ここでは詳細にはお話ししませんが、朝起きられない、頭痛、腹痛、立ちくらみが起こるなど、自律神経系の機能になんらかのむずかしさが生じているケースです。
これにはいろいろなサブタイプがありますが、思春期のお子さんに起こりやすく、軽症も含めると小学生の5%、中学生の10%くらいにみられ、不登校のお子さんの3〜4割くらいがこのような症状をもっているといわれています。きちんとタイプを見極めてどんな対処をしていけばよいかを考えなければいけない場合もありますので、思い当たる症状があるときは、医療機関に相談されることも必要かと思います。
ODの場合、朝、血圧が上がらないのでふらふらするといったことが起こるので、毎朝血圧を測って、その日の状態を可視化していくことにより、「この血圧だと今日は無理をしないほうがいい」というように、自分でコントロールすることも必要になってきます。ストレスも大きな影響を及ぼしますので、どのような生活、どのような登校の仕方がいいのかを検討する、環境調整も必要です。そのあたりの視点をもちつつ、昼夜逆転に取り組んでいただければいいのかなと思います。
【思い込み2】ゲームは百害あって一利なし?
・ゲーム依存が気になります。現在 8:30〜16:00は禁止にしていて、子どもは「ヒマだな〜」と言うことも。ブレずに続けようと思っていますが、迷いもあります。
・一日中パソコンの前に座ってゲーム、YouTube三昧で、外に出ることを嫌がります(近所でも車で行きたがる)。家の中ばかりで過ごしていて成長に影響はないか心配です。
子どもたちは、なぜゲームをするのか(講師:大谷早紀)
「ゲームは百害あって一利なし?」というテーマですが、誰しも自分にとってなんの得にもならないことはしないものです。では、子どもはゲームから何を得ているのかという視点で考えてみると、「ゲームは悪者」というある種の思い込みから少し離れられるかもしれません。
ゲームから何を得ているのか。「楽しいからでしょう?」と思うかもしれませんが、それだけではないようです。不登校の子どもたち、あるいは不登校状態から脱した方々に話を聞くと、「楽しくてしようがないからゲームをしている」という子はむしろ稀なように思います。
ゲームから何を得ているのか
ゲームは、レベルを上げる、戦うといった努力をすると、目に見えるかたちで報酬が得られます。そうでないとユーザーにゲームを続けてもらえないからです。では学校生活はどうか。頑張って勉強をして成果が出ればうれしいでしょうが、確実に成果が出るとはかぎりません。それでも元気なときは頑張れるかもしれませんが、心のエネルギーが枯渇しているときに、そうした努力を続けるのはむずかしいものです。
また、コミュニケーションを求めてゲームをする子もいます。今はオンラインで、友だちとも知らない人とも手軽につながり、会話しながら遊ぶことができます。学校でのリアルな人間関係は大切なものですし、そこから学ぶことも多いと思いますが、つらいことも少なくありません。しかし、オンライン上のコミュニケーションであれば、共通の話題や目標、敵などがあるため、コミュニケーションの苦手な子でもかかわりやすいといえます。
「学校には行けないけれど、学校の友だちと遊びたい」という子にとっては、学校に行かなくても友だちとつながれるゲームの世界はとても魅力的でしょう。逆に、「学校の友だちとはかかわりたくないけれど、人とつながっていたい」という子は、オンラインで知らない人とかかわることに面白さを見いだすこともあります。「私はこんなにたくさんの人と、ときには大人の人とだってつながっているんだ」と思うことが、傷ついた自尊心を支えている場合もあります。互いに顔が見えないことで、リアルなつきあいよりも安全に感じることもあるでしょう。ゲームが、「外の世界とつながる唯一の窓」である場合も少なくありません。ゲームが強いことで、人から一目置かれ、自信になっていることもあります。
「何かに没頭したいから」「気を紛らわしたいから」という子もいます。もう何も考えたくない、でも何もしていないと学校や嫌なことを考えてしまう。そんなとき、「ゲームに没頭することで、考えたくないことを考えずに済む」ということでゲームをしている子も多いです。
* * *
このように、人間関係や勉強などで傷つきを抱えた子どもたちにとっては、「ゲームは自分が傷つかずに、ほしいものを与えてくれる存在」なのかもしれません。大人からすると、「多少傷ついてもチャレンジしてほしい」とか「いいことも嫌なことも経験しながら成長していくものだ」と言いたくなりますし、実際そういう経験を積み重ねて、私たちも大人になっていきました。でも、不登校の真っただなかにあって、「この先、自分がどうなるかもわからなくて不安でいっぱい」という状況では、少しでも傷つきたくないと思って当然でしょう。
子どもはゲームに没頭するなかでしだいに元気がたまっていき、心が安定してくると、自然とゲームから離れたり、適度な距離を保てるようになります。ゲームの世界で自分を癒し、エネルギーをためてから、趣味の勉強を始めたり、休んでいた習い事を再開したり、放課後登校したりと、ゲームよりも少し負荷の高い、現実世界のことに取り組みはじめる子も多くいます。
無理やりゲームを取り上げない
ゲームを無理やり取り上げたり、電源を切ったり、さらにはデータを消したりといった強硬手段に出るのはやめたほうがよいでしょう。親御さんからするとなんの価値も見いだせないようなものでも、本人にとっては努力の結晶ですから、子どもは自分を否定されたと感じて、親子の溝を深めてしまう可能性が高いからです。
ゲームと学力を結びつけて、話をすることもお勧めしません。ゲームをやめたから学力が上がるわけではありませんし、大人が思っている以上に、子どもは不登校によって学力が下がることをとても気にしています。子どもにしてみれば、好きなもの(ゲーム)を否定されたうえに、さらに痛いところ(学力低下)をつかれるわけです。大人だって、「私、〇〇が好きで~」と話したときに「そんなの役に立たないじゃないの。仕事の勉強でもしたら」と言われたら、その人には二度とこの話はするまい、と思うのではないでしょうか。
ほかの子が学校で勉強をしている時間帯はゲームを禁止している親御さんも多いと思います。先生からそうするよう強く言われている、という親御さんもたくさんいらっしゃいます。日がな一日ゲーム三昧より、朝から3時まで勉強をして、そのあとゲーム、という生活のほうが、親として、あるいは担任として、なんとなく安心するといった側面もあるのでしょう。なんの苦もなく本人がそう生活できるならそれでいいのですが、ゲームをやめさせようと毎朝バトルが勃発して、親子ともにイライラして疲れ切ってしまうのでは本末転倒です。
* * *
小学生の男の子が不登校になり、相談室を訪れたお母さんが、あるとき面談中に「家でゲームや漫画ばかりなんです」とこぼされました。でも、心から「ゲームが憎い」と思っているふうでもなかったので、「ゲームをしたり漫画を読んだりするエネルギーがあるんですね」と答えたところ、「今までそんなふうに言われたことはなかった。やめさせなきゃいけないと思っていた」とおっしゃいました。このとき私は、「ゲームは悪」という思い込みだけでなく、「親たるものゲームをやめさせなければならない」という思い込みというか、うしろめたさのようなものが、親御さんを追いつめていることもあるんだなと感じました。
「1日1時間って約束したでしょ!?」は“約束”ではない?
とはいえ、ゲームをするうえで何かしらのルールを設けたいと思うのは当然ですし、実際そうされている方も多いことでしょう。
ルールの決め方について悩んでいる親御さんは非常に多くて、よく耳にするのは、「ゲームは1日1時間と決めているのに守らないんです」というお話です。では、そのルールはどうやって決めたのか、と聞いていくと、多くの場合、子どもがゲームばかりしているのを見かねた親御さんが、それを注意した流れで「1日1時間!」といわば一方的に決めたルールです。
これを子どもの側から見ると、ゲームをしないと不安でしかたがないのに、その気持ちを否定され、あれよあれよという間に勝手にルールを決められ、守らなければさらに叱られる。でも、ゲームをしていないとつらい、怒られるのもつらい、という踏んだり蹴ったりの状態です。
ルールを決める際には子どもの意見を取り入れ、本人が「これなら守れそうかな」という内容にすること。そして、ゲームについて話し合うときには、子どもがゲームをしたがる気持ちを理解し、ゲーム自体を否定するような言葉を使わないよう気をつけることも大切です。
発達障害のある場合など、ゲームに限らず、自分の行動をコントロールすることが難しかったり、時間の感覚を把握することが苦手なお子さんもいます。その場合は、本人と一緒に予定表を作る、そろそろ時間だよ、と知らせるタイマーを利用するといった対応も有効だと思います。
親自身の不安や焦りが強まると、苛立ちも強まる
わが子がゲームに過剰に依存している、ゲーム障害ではないか、と心配されている親御さんも多いと思います。寝ること、食べること、トイレすら忘れてゲームに熱中し、自分がやめたくてもやめられないというレベルだったり、不登校になる前からそのような状態だった場合は、家庭だけでは対応がむずかしく、医療機関に相談したほうがいいかなと思いますが、単にプレイ時間が長いだけであれば、心の回復にともなって改善していくことが多いです。
* * *
最後に、子どもがゲームに熱中しているのを見てキーッとなる場合は、大人側の不安や焦りが強まっているときだと思います。親御さんが、自分の気持ちを話せる場所や相手をもつことで、子どものゲーム時間そのものは変わらなくても、それが以前より気にならなくなったということも多いので、ひとりで抱え込まないようにしていただけたらと思います。
【思い込み3】「見守る」って黙って見ていること?
・よく「見守ってあげましょう」「登校刺激はせず、見守ることが大事」とか言われますが、黙って見守って一年、なんの変化もありません。相変わらず好きな時間に起き、好きな時間に食べ、好きなことだけしています。このまま見守るだけでよいのでしょうか。
見守るだけではわがままになる?(講師:海野千細)
最初に結論から申し上げると、「見守る」とは、放っておくことでも、監視していることでもありません。では、どういうことかというと、「その時々の子どもの状態に応じて必要なことを与えられるように待機していること」といったイメージをもっていただければと思います。
ここで下の図をご覧ください。図の下半分にある、子どもの状態がマイナスというのは、養生が必要だったり、安静にしていることが必要だったり、場合によっては、危険な状態でなんらかの隔離が必要といった状態のことです。その状態から徐々に回復してプラマイゼロになり、そこからしだいにエネルギーがたまってきたときに何が必要かというと、子どもが安心していられて、楽しく元気になるような働きかけを必要とするというイメージがプラスの状態です。
見守ることのベースにあるのは「その子を認める」「その子の存在を大事にする」
このあたりのことを、事例を交えて、もう少しわかりやすくお話ししたいと思います。
だいぶ昔の話ですが、当時、小4の男の子が、お母さんに連れられて相談に来ました。最初の相談は、家庭内で親御さんの財布からお金を抜き取ってしまうという内容でした。そのうち、その子が家電量販店で万引きをするようになりました。ポケットラジオとか、当時のウォークマンのようなものを万引きしたようです。その後、小5の1学期の半ばころから学校に行けなくなってしまいました。「ボクはもう親の期待に応えられないんだ」と自分を責めるような話をよくしていたのが印象に残っています。
一方、お母さんは小さいときからその子を精神的に強い子に育てたいという思いから、非常に厳しく接してきた経緯がありました。「ああしてはいけない」「こうしてはいけない」「こうでなければいけない」など、お母さんにはそうした思いを持たざるを得ない、いろいろな事情があったようです。
そんなお母さんの対応が、その子にとってはつらかったのでしょう。しだいに「自分が自分ではいられなくなる」ような状態に追いつめられていきました。そして、小6のときに自宅の2階から飛び降りようとして、その後、精神科に入院し、隔離されるような状況になりました。ところが、入院がよいきっかけになり、その子は「自分は自分のままでいいんだ」という感覚を病院の中で取り戻し、安心して生活できる状態に戻っていきました。
このような状態の子どもには、休息、保護、あるいは安静、養生といった働きかけがとても重要になります。それが「見守る」ことのいちばんのベースにある「その子を認める」「その子の存在を大事にする」ということだと思います。この男の子は、中学校を卒業してから写真の専門学校に進学し、現在はカメラマンとして働いています。
* * *
次に、中学校に入学してすぐ学校に行けなくなった女の子の事例をお話ししたいと思います。
この女の子は、中学入学後、クラスの女子グループにうまく馴染めず、女子のなかで浮き上がってしまい、不登校になりました。お母さんは、担任の先生にお願いして女子との関係を調整してもらうなどいろいろ頑張ったのですが、子ども同士の問題ですから、大人が介入してもなかなかむずかしい状況でした。結局、お母さんとしても、学校に戻す方向で働きかけるのは困難だろうと思ったとき、家庭内で自分は何を言ってあげられるだろうと考えたそうです。
この女の子はお母さんの手作りパンが大好きでした。そこで、「パン作りを勉強してみるのはどう?」と勧めたところ、近所のパン教室に通うようになりました。大人対象の教室でしたが、お母さんが教室の人に頼んでくれたそうです。教室の生徒さんはみんな大人ですから、中学生のその子はとても可愛がられて楽しそうでした。この子はスポーツも大好きで、小学生の頃はスイミングスクールに通っていました。しばらく休んでいたけれど、体がなまってきたのでまた行ってみようと通いはじめたら、昼間のスイミングスクールはおじいちゃんおばあちゃんだらけで、そこでまた孫のように可愛がられ、だんだん元気になっていきました。
その後、2年くらい遅れて通信制の高校に入り、18歳を過ぎた頃に運転免許をとって、現在はドライバーとして家業を手伝っています。
親が望むものからいちばん遠いところから動きが始まる
このように見てくると、見守るとは「ただ何もせずに見ている」ことではなく、その子の様子をよく見て、その子がその時々に必要としているものは何かを判断し、働きかけていく、ということが非常に大事になってくることがわかります。
その働きかけをわかりやすくいうと、子どもが「安心すること」「喜ぶこと」「楽しいと感じること」は基本的にしてあげたらいいです。逆に、子どもが「怒ること」「嫌がること」「不安になったり怖がること」はできるだけひかえたほうがいい。これらも大事な「見守る」ことのひとつの側面です。
こう言うと、お母さんお父さんは、「わがままになるんじゃないか」「ますます学校に行かなくなるんじゃないか」と心配されるかもしれません。しかし、子どもが元気になってきたときに何を始めるかというと、まず学校からいちばん遠いところから動きが始まると思ったほうがいいです。あるいは、親が望むものからいちばん遠いことからやりはじめたりします。「勉強」とか「学校に行く」といったことは、最終段階でようやく出てくる。その前に、自分でいろいろ興味のあるものから始めるわけですが、それがゲームだったり、だいたいは親が嫌がるようなことに取り組みはじめて、そこからだんだん元気を取り戻していくわけです。
たとえば、先ほどの女の子の例でも、「パン教室」「スイミングスクール」「ドライビングスクール」というように、彼女が歩んできた道はみんな、なんらかのかたちで学校や教育にかかわることにつながっていたんだなあ、と振り返って思ったりします。そんなふうに視点を変えて考えてみたらどうかなと思います。
【思い込み4】進路は必ず本人が決めないとダメ?
・進路選びは本人の意思を大切に、とよく言われますが、子どもはどんな高校に行きたいかを考えられるような状態ではありません(高校の話をするだけで部屋にこもってしまう)。パンフレットなどを見せても見向きもしないし、もちろん学校見学にも行けません。やむをえず親が選ぶしかない状態ですが、それはいけないことなのでしょうか。
・先日のセミナーで、通信制高校の保護者を対象とした高校選びに関するアンケート調査の結果を説明していただきましたが、「学校選びは本人の気持ちを第一に」とアドバイスする親御さんが圧倒的に多いようでした。本人が決められるような心理状態ではないときはどうしたらよいのでしょうか。
親と子の進路決定までのかかわり(講師:荒井裕司)
一般的な中学3年生であれば、進路については、先生による「進路指導計画」に基づいて、「自己理解」「進路の計画」「進路情報」「職業観」などを組み合わせて、職場体験や高校見学などを計画します。こうした活動を通して、子どもたちは将来の夢や希望を抱くことになります。
しかし、不登校で学校とのかかわりを絶っていたり、そうした機会を与えられない子どもたちは、その準備ができません。また、学校がすべき役割を親御さんが代わりにしなければなりませんが、その子の状態によって対応は異なりますから、親御さんはわが子の状態をしっかり観察し、判断する必要があります。
子どもと進路について話し合いができる場合
進路について子どもと話し合いができる場合は、子どもの気持ちをじっくり聞き、「何が好きなのか」「どんなことに興味があるのか」「将来の夢は何か」「どんな仕事をやってみたいのか」などを無理のないように聞き出すことが大切です。
進路を考えることは、「自分という人間を見つめ直し、自分の将来についてじっくり考えること」です。また、「不登校から抜け出すチャンス」ともいえますが、親としては本人と話し合い、本人の希望に合う条件の中からいくつかの学校に絞り、パンフレットを取り寄せ、学校見学会に参加したうえで、本人が納得する志望校を決定するのが望ましいと思います。
しかし、大学生だって、卒業後の進路をちゃんと決められなかったり、やりたい仕事が明確になっている人はあまりいないわけですから、高校生の段階でそれがはっきりしている生徒なんてなかなかいませんよね。
そこで私たちは、子どもたちに自分の進路や職業をイメージしてもらうために、下図のような「マインドマップ」をよく使います。これは、自分の考えや好きなもの、嫌いなものなどを図にして、自分の中に混然としている情報を整理する方法のひとつです。
たとえば、下の図の右側の「K・Y君」は、スポーツが好き→サッカーが好き→ポジションはミッドフィルダーが好き、水泳も好き→とくにバタフライが好き、というように、どんどん好きなものが明らかになっていきます。趣味はアニメやゲームや車、音楽はヴァイオリンやピアノが好き、勉強で好きな科目と苦手な科目など、どんどん思いつくままに書き足してつなげていくと、自分の心の中や頭の中にあるものが整理されて明確になってきます。
その結果、K・Y君は、英検の資格を活かした仕事に就きたい、その仕事をしながら楽団などに所属して音楽もやりたい、車の業界に入ってアメリカで仕事をするのもいいな、音楽業界でなんとかやっていけるかも、公務員も悪くないな…といった方向性がなんとなく見えてきます。
左の「O・Mさん」は、マンガ、映画、歌、ダンス、甘いもの…と、さまざまなジャンルに興味をもっています。甘いものが好きだからパン屋さんもいいかも、教師もいいかな、と就きたい職業も具体的に見えてきます。
子どもと話し合いができない場合
このようにして、子どもたちの趣味や希望に合わせて、進路選択を一緒に考えていければいいのですが、問題は子どもと話し合いができない場合です。
ここでひとつお願いがあるんですが、どうせ話し合いができないんだから、とあきらめるのではなく、この状況をなんとか改善できないか、話し合いができるような親子の信頼関係をうまくつくっていけないか、ということをあわせて考えていただきたいと思います。
私が家庭訪問を続けていた、ひきこもりの男の子がいます。遠方のため、そう頻繁には通えませんから、訪問したその夜はビジネスホテルに泊まり、翌日もう一度訪問して、東京に帰ってくるようにしていました。当初は部屋からまったく出てこなくて、声も聞けませんでしたが、何度か通ううちに、私が部屋の外から声をかけると返事をしてくれるようになりました。
お母さんは、その子がいつ部屋から出てきても好きなものを食べられるようにと、好物のインスタントラーメンやインスタント焼きそばをたくさん用意してあるんです、と教えてくれました。私は、それは子どもにとってうれしいかもしれないけれど、それよりも、作りたての熱々の焼きそばを用意して、「今、作ったから食べない?」と声をかけてください。「あったかいご飯と焼き海苔と鮭の焼いたのがあるから、一緒に食べようよ」と声をかけてください。それをしてくれたら、彼の心も変わるかもしれないと何度も言い続けました。
そんなある日、お母さんからメールが届きました。昨年暮れ、私は彼に年賀状を書いたのですが、そのことについてでした。お母さんが「荒井先生から年賀状が来たわよ」とドア越しに言うと、その子が「どうせ印刷の年賀状だろ?」と返してきたそうです。「違うわよ、全部手書きよ。富士山と初日の出の絵も描いてあるわよ」と答えたら、その子は「そうなんだ」とつぶやいて、年賀状を取りに部屋から出てきたというのです。
私たちは、ついつい「もうこれくらいでいいだろう」とあきらめてしまいがちです。しかし、あきらめるのはまだまだ早いんです。どのような状況になっても、なんとかして信頼関係を取り戻せないかということを考えていただきたいと思います。
第三者の協力を求める方法も
自己肯定感が低下していたり、自己嫌悪が強い状態では、子どもは将来のことなど考えられません。しかし、「自分はどうなってしまうんだろう」「自分はダメな人間だ」「自分には未来がない」などと思いながらも、その一方で「なんとかしたい」という思いは強くもっているはずです。親御さんとしては、そんな子どもの様子を観察しながら、体調の安定した日や心のおだやかな日に、少しずつでも声かけをし、アドバイスをしてあげることが大切です。
また、ピアサポートのようなボランティアの若者に協力してもらいながら、「誰もみんな進路については迷ったり悩んだりしている」「大丈夫、あなたのやりたいことはきっと見つかる」「自分の好きなことや楽しいと思うことを将来の仕事につなげたらいいんだよ」「ひとまず高校に行ってそこで考えてもいいんだよ」などと子どもに伝えてもらうことで、もやもや感を取り除いたり、プレッシャーを外してあげられるといいでしょう。親御さんとの関係がむずかしい場合でも、このようにして誰かひとりでもその子が信頼できる人がいれば、その人を核にして、その子の心を開いていき、新たな信頼関係につなげることもできます。
もちろん、親御さんが学校のパンンフレット集めや情報収集をしたり、親御さんだけでも学校見学に行って雰囲気をチェックしたり、子どもに合いそうな学校を探しておいて機会をみて伝えることなども大切です。その際、大学受験の実績などに目を奪われ、親の思いを子どもにぶつけたり、無理強いをしないことです。できれば「余裕をもって高校生活を楽しませてやる」くらいの気持ちがちょうどいいように思います。
子どもの状態に寄り添った励ましや支援を続けていくうちに、光は必ず見えてきます。
【思い込み5】親が元気じゃないと子どもは元気になれない?
・どこへ行っても「お母さんさえ笑顔でいれば大丈夫」と言われますが、笑顔ももう限界です。夫は、子どものことは母親まかせ。私は仕事を辞め、子どもの不登校を受け入れよう、見守ろうと思って頑張ってきたつもりですが、何も変わりません。どうしたらいいかわかりません。母親は、いつも笑顔で元気じゃないといけないのでしょうか。
自分らしくいられることを大切に(講師:齊藤真沙美)
突然ですが、みなさんは元気ですか? 今、うなずいてくださった方もいらっしゃいますが、「元気ですか?」と聞かれたら、「元気です」としか答えられないところがありますよね。私は体育大学に所属していますが、うちの学生はさすがにエネルギッシュで、「ああ、元気だなあ」と感心します。対して、私はというと、家族に「お前は、一年のうちいつ絶好調の日があるんだ?」と言われるくらい、基本、低調なタイプです。
お母さんが、元気で笑顔でいるに越したことはありません。ですが、「元気になろう」と思ってなれるものではありませんし、無理に元気を装ってつくり笑顔をしても、お子さんから見れば不自然だったりもするでしょう。
ですから、「元気でいよう」とするのではなく、「自分らしくいよう」としてはどうでしょうか。そのためには、不安になったりイライラしたら、人にグチをこぼしたり、身体を動かしたり、好きな俳優さんのドラマを観てストレスを解消することも必要です。そして、自分が心地よく、充実感が得られる時間を過ごしてください。仕事をしたり、趣味の習い事をしたり、スポーツをしたり…人によってさまざまだと思います。
子どもと「適度な距離」を置く
お子さんが不登校になったことをきっかけに、仕事を減らしたり、パートをやめたりするお母さんもいらっしゃいます。とくに不登校の初期の段階は、お子さんが非常に不安定で混乱した状況にありますので、その子が安心・安全に過ごせるように衣食住の環境を整えたり、体調不良がある場合にはそのケアをする必要もあるでしょう。ですから、お母さんが自宅にいることを求められる時期もあるかもしれません。しかし、そのような状態から少し時間を経ると、家の中ではある程度安定して生活できるようになってきます。
その時期になると、逆に親も子もお互いに「適度な距離」をとることが必要になってきます。お子さんが家の中では元気なのに学校には行けないとか、一日中何もしないでゴロゴロしているという状況は、やはりお母さんにとってはイライラのタネになります。そんなときは少し距離をとって、お母さん自身がリラックスできたり楽しめる時間を過ごすことをお勧めしています。
仕事を再開したり、カルチャースクールに通うなど趣味の活動を始める方もいます。今はコロナ禍で、外で何かをするのはむずかしい状況ですが、オンラインでできることもずいぶん増えてきました。家でヨガ教室に参加したり、Zoom飲み会をしたり…。家族の方もいらっしゃるなかで微妙な部分もあるかと思いますが、何か自分が少しでも気持ちが楽になるようなことを始めるのもいいかなと思います。
自分のために生きる
そんなことを考えているなかで、思い出したケースがあります。
きょうだいで不登校になって、はじめてお母さんが相談にいらしたときは、お兄ちゃんが中2だったと思います。お兄ちゃんのほうが先に学校に行けなくなり、当初はかなり混乱した状態で、家で暴れることもあったそうです。その暴力が弟くんに向いたりして、お母さんは家から離れられない状況になった時期もあります。その後、弟くんが小2で不登校になりました。
お母さんは、もともと養護教諭(保健室の先生)をされていて、弟くんが生まれてから正規の職員を辞め、非常勤になりました。その後、お兄ちゃんの不登校と家庭内暴力が起きたことから完全に仕事を辞め、家で過ごすようになったとのことです。お父さんの協力がなかなか得られず、きょうだいで不登校になったり、お兄ちゃんが不安定な時期は、本当に大変だったと思います。
そのうちお兄ちゃんが、家でかなり落ち着いて過ごせるようになってきました。それで、今後は少しずつ距離をとってやっていきましょうか、という話になったとき、かつてはエネルギッシュに仕事をしていたお母さんだったので、さて、どんな話が出るかなと思っていたら、「大学院に行こうと思います」とおっしゃって、すごくびっくりしました。もともと養護教諭をしていて、わが子の不登校も経験し、もう少し教育について学びを深めて、この先、後進を育てられるような仕事をしていきたいと思うようになった、ということでした。お母さんは、このことを家族に宣言して、家や図書館で勉強をするようになりました。ちょうどその頃、お兄ちゃんは中3になって進路を考えなければいけない時期でした。
お母さんが自分の先を見据えて、その目標に向かって頑張っている姿は、このお兄ちゃんに大きな影響を与えました。そこから少しずつお兄ちゃんと進路の話ができるようになり、本人が「普通科に通うのはむずかしいと思う」と言うので、都立のチャレンジスクール(不登校の子どもたちを積極的に受け入れている高校)を受けると決め、お兄ちゃんはチャレンジスクールを、お母さんは大学院を目指して、親子で勉強する生活が始まりました。
家庭内がとても落ち着いてきたので、弟くんも「自分には相談室が必要なくなってきた」ということで来室を減らし、学校に別室登校をするようになりました。いろいろな意味で、家族のそれぞれが、それぞれの道を前に向かって進むようになったことを実感したケースでした。
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自分らしく充実した日々を過ごしていると、そんなお母さんの姿は、子どもには活き活きして見えるかもしれません。心地よさがかもし出され、自然と笑顔が出てくるかもしれません。その姿は、きっと子どもに安心感を与えることにつながります。元気かどうかにとらわれるよりも、何かお母さん自身がリラックスできたり、楽しかったり、「こんなことをしてみたい」「こういう自分でありたい」ということに向かって、少しでも近づいていけるように動きはじめることが、お子さんに心地よさや頑張ろうという気持ちを与えることがあるのではないかと感じています。
【思い込み6】カウンセリングは受けたほうがいい?
・子どもにカウンセリングを受けさせるべきか迷っています。親としては行かせたいのですが、子どもは行く必要性がわからないと言っています。思春期外来も予約がなかなか取れないので(2〜3カ月待ち)、問題がどんどん先送りになってしまいそうで心配。
・子どもが不登校になった直後から市の教育相談センターに通っていますが、いくら誘っても本人は行こうとしません。親だけカウンセリングを受けても、本人が受けないと意味がないんじゃないかと思う今日このごろです。
なんのためにカウンセリングを受けるのか(講師:海野千細)
カウンセリングルームや教育相談室などの相談機関に子どもが通うことによって、再登校するようになったという経験談を耳にされることもあるかと思います。そうすると、うちの子もカウンセリングを受けさせて、学校に行こうとする気持ちが少しでも芽生えれば…、と思うのは当然のことでしょう。
ただし、結論を先に申し上げると、カウンセリングというのは、「学校に行かせるため」にするわけではありません。カウンセリングを「登校させるための手段」と考えると、本末転倒になってしまいます。
「必要のある人」が受ける
たとえば、ある中3の男の子のお母さんが、わが子が卒業できるかどうか、卒業できても入れる高校があるかどうか、もし進路が見つからなかったらどうなってしまうんだろうと、気が気でない思いで相談に来られて、息子さんをなんとか相談に連れてこようとしました。しかし、息子さんはその誘いをまったく受け入れませんでした。お母さんが相談に来るときは、必ず息子さんに「相談に行ってくるからね」と伝えてくださいとお願いしていたので、そのアドバイスどおり息子さんに「相談に行ってくるから」と声をかけると、息子さんは「どうせオレの悪口を言いに行くんだろ。そんなとこに行くのはやめちまえ!」と強い口調で答えたそうです。
ところが、継続的に相談をして半年くらい経ったとき、その息子さんがお母さんと一緒にひょっこり顔を出したんです。「えっ!? 無理やり連れてこられたの?」と聞いたら、「そういうわけではない」ということでした。それで1時間ほど話したところ、息子さんがボソッと口にした言葉は、「こんなことならもっと早く来りゃよかった」でした。でも、その後は一度も相談室に顔を見せませんでした。結局、中学生のうちには再登校はできませんでしたが、都立のチャレンジスクールに合格して、その後は情報関係に興味をもっていたことから、その関係の勉強をしているということでした。
もうひとつは、中2の女の子の事例です。お母さんと一緒に相談に来たのですが、お母さんは疲れきっている感じでした。自宅から遠い職場に朝早くから出勤し、月50時間も残業をしているとのことで、そのせいか相談をしている間にお母さんが眠ってしまうこともありました。
その女の子は、若い女性の相談員に担当してもらったのですが、その子は毎回、話したくて話したくてたまらない感じでやってきました。アニメが大好きで将来は声優になりたいという夢をもっていて、アニメや音楽など興味のあることについて、自分の話を聞いてもらえるのがうれしくて相談に来ているようでした。家庭内でそういう話をすると、聞いてくれないどころか、お父さんから「何を考えているんだ!」と怒られるのだそうです。
この子は最終的に再登校はできませんでしたが、中学卒業後に近所でアルバイトをするようになり、自分でお金を貯めて声優になるための学校に進みたいと話していたようです。
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この2つの事例をふまえてお話をすると、カウンセリングや教育相談は、本人が「話したい」「聞いてほしい」というものがない場合に受けてもまったく意味がないというか、逆に、「させられ体験」がマイナス方向にはたらいてしまいます。
よく学校の先生から「カウンセリングを受けてみたらどうですか?」と勧められたりするかもしれませんが、本人が必要と感じて受けるのであれば非常に意味があります。とくに2つ目の事例の女の子は、誰にも話を聞いてもらえない状況がありました。アニメにはいろいろなジャンルがあって、子どもによって興味の持ち方も異なるので、友だちでもなかなか話の合う子が見つからなかったようです。そんななかで、相談員がとても興味をもって自分の話を面白そうに聞いてくれるということが、この女の子には本当に“よい薬”になったんだろうなという気がします。要するに、カウンセリングや教育相談は、「必要のある人」が受ければいいんだということです。
「話を聞いてもらえた」という体験がその子の力になる
もうひとつ、お子さんが来られずに、親御さんの相談だけやっているうちに、その子が元気になっていく例を、私はたくさん見ています。
たとえば、最初の男の子の事例のように、お母さんだけが相談機関に通っていても、そのことがどうやら自分にとって決してマイナスにはならないな、ということがわかってくると、その子も相談に来るようになったりすることがあります。
あるいは、お母さんが相談室に通っていることが自分にとってプラスになった、たとえば、以前より自分のことを理解しようとしてくれるとか、自分が嫌がることをしなくなった、と感じている子は、本人は相談室に来なくても、それなりに動き出すという例をいくつも見ています。
ですから子どもを無理に相談室に連れていかなくても、お母さんが相談員の方と、家でどのように接したらその子の力になれるのかを相談するだけでも、だいぶ違うのではないかと思います。
それから、中学生くらいまでのお子さんが相談室に来る場合は、「自分は学校に行けなくて困っている。どうしたらいいのか」という相談よりも、とにかく自分の話を聞いてほしいと思っている子がほとんどです。ですから、大人が考えているような相談のイメージで、相談機関を利用しようとしている子どもはあまりいないと考えたほうがいいです。楽しく自分の話ができて、それを大事に聞いてもらえたという、その体験そのものがその子の力になっていくと考えてみたらどうでしょう。
【思い込み7】目標は「再登校」なのか?
・学校に行けなくなってから、毎朝「今日は行ってくれるか」と思いながら過ごしてきましたが、半年以上、行く気配がありません。古臭い考え方かもしれませんが、「学校は行って当たり前」「行かないといけない所」だと思っています。よその子はみんな行っています。一日も早く行けるようになってほしい。そのために親ができる対応を教えてください。
再登校を目標とすることの危険性(講師:大谷早紀)
「目標は『再登校』なのか?」というテーマを見て、「それ以外に何があるんだろう」と思われた方もいらっしゃるでしょう。子どもが不登校になってから、数えきれないほど、あるいは毎日、「どうしたら行けるようになるのか」と悩みつづけてきたことと思います。
まず前提として申し上げておきたいのは、学校へ行くことは子どもの「権利」であって、「義務」ではないということです。学校は、何がなんでも行かなくてはいけない場所ではありません。
また、文部科学省が全国の小中高、教育委員会などに向けて出した通知では、「不登校は誰にでも起こりうる」ことであり、「問題行動ととらえてはならない」こと、「登校のみを目標にするのではなく、本人が自らの進路を主体的にとらえ、社会的に自立することを目指す必要がある」と記されています。また、「不登校の時期は、休養や自分を見つめ直すなどの積極的な意味をもつことがある」とも示されています。
とはいえ、「学校は行かなければならないもの」という価値観は根強いものがありますし、学校へ行ってほしいという願いそのものに蓋をする必要はないと思います。
「不登校になれる」ということ
私は、「不登校になる」ということは、「不登校になれる環境が整っている」ことだと思います。たとえば、きょうだい2人、あるいは3人がみんな不登校になってしまったというご相談を受けることがありますが、そうなると学校側は「家庭に何か問題があるのでは?」と考えがちですし、親御さんも「なぜうちはみんな不登校なんだろう」「私の育て方が悪かったのか」と自分を責めて悩み苦しみます。
でも私は、そのようなご家庭は、不登校状態の子どもを「抱えることができる」環境なのだととらえています。本当に家に居場所がない子は不登校になることすらできずに、もっと大変な道をたどることもあります。不登校とは「家にいられる」ということでもあるのです。
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まずは、家で安心して楽しく過ごせるようになることが大切です。ひたすら休む、趣味に打ち込むなど過ごし方はそれぞれ違うと思いますが、学校へ行っていないからといって、その時間が「空白の時間」なわけではありません。また、子どもは「今よりもよくなりたい」という力が強いので、ゆっくり自分の時間を過ごすなかで何かしら次のステージを見つけることが多いです。
その結果、学校に行こうと思うこともあるでしょうし、どうしても行けない、あるいは行きたくないのであれば、他の道を探すことになります。どのような道があるかというと、小中学生の場合は、自治体が設けている「適応指導教室」や、民間の「フリースクール」などの場所が用意されています。また、高校生の場合は、通信制高校(通学型の通信制高校もある)やサポート校など、不登校を経験した子どもたちが無理のないペースで通える高校も増えてきています。たとえ数年にわたって不登校であったとしても、大学や専門学校へ進学したり、就職することは十分に可能です。
「登校できた/できない」の二択の評価では測れない成長がある
たとえ学校に行けなくとも、子どもたちは確実に前に進んでいます。そうした子どもの小さな成長を感じとることも大切です。大人の側が子どもの変化や成長を感じとり、それをプラスにとらえるようになると、子どもは安心して、いろいろなことに挑戦できるようになります。
しかし、再登校のみを目標にすると、「登校できた/できない」という二択の評価になってしまいます。犬の散歩に行くようになった、お風呂に入るようになったなど、登校以外の変化を見落としてしまいかねない、少し危険な目標でもあると思っています。
もうひとつ、再登校を目標とすることの大きなデメリットは、「親御さん自身がつらい」ということです。不登校生活が続いているかぎり目標が叶うことはありませんから、いわば「毎日負けている」ようなものです。そんな日々が続くのは、本当につらいと思います。
再登校する際に気をつけたいこと
再登校できた場合に気をつけたいこととして、私は、学校に「1日も休まず行く」ことではなく、「頑張る日と休む日のバランスが取れるようになる」ことが大切だと思っています。というのは、休まず学校へ通うことを目標にすると、休んだ日は「負け」になってしまいます。そのことに心が折れて、ぱたっとまた行けなくなる子もいます。何よりも「休んではいけない」と頑張りつづけている状況は、その子が学校に行けなくなる前の、ギリギリのところで踏ん張っていた状況とあまり変わりません。そこで無理をしすぎると、燃料切れになった時点で再び不登校になり、さらに自信をなくしてしまうこともあります。
それよりも疲れた日は休み、行けそうな日は行く。そんなふうにすると、たとえ休んだとしても、それは「自分の状態を見て、休むことができた」というプラスの経験になります。そうして行ったり行かなかったりをくり返しながら、気づいたら「最近休んでないな」というくらいがちょうどよい再登校の仕方なのかなと思います。
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私は、子どもが無理せず楽しく気楽に暮らせるようになることが目標で、再登校はその結果のひとつだと思っています。力が入っているとき、無理をしているときは、本当の目標は見えてこない気がします。心が追いつめられているときに立てる目標は、「こうしたい」よりも「こうしなければならない」という目標であることが多く、子ども自身の願いよりも、焦りや義務感から来ていると感じます。心が安定してくると、自然と目標が見つかります。
その目標は、「高校に行きたい」とか「勉強がしたい」など大人が喜ぶようなものではなく、「渋谷に行ってみたい」とか「インスタを始めたい」といったことかもしれません。でも、そうしたところから道がつながっていくのだと思っています。