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不登校―「このままでいい」と思っている子はひとりもいない
2021年10月17日に開催された登進研バックアップセミナー110 in 仙台の第1部の内容をまとめました。
講師:奥野雅子(岩手大学人文社会科学部教授)
今日ここにいらっしゃるみなさんは、お子さんの不登校で悩むなかで、子どもを愛するとは、人を愛するとはどういうことかという課題に直面しているのではないかと私は思っています。
お話の本題に入る前に、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は東北大学薬学部を卒業後、薬剤師として13年間勤務し、その後、夫の転勤に伴って渡米し、アメリカの大学院で心理学を学びました。この経験が私の大きな転機となりました。人生、何が起こるかわかりませんね。
帰国後、仙台に戻って再び薬剤師として働きながら東北大学大学院教育学研究科に入学し、博士課程在学中から臨床心理士として、仙台市のスクールカウンセラー、精神科病院の相談業務、現在の東北医科薬科大学(旧東北薬科大学)の学生相談を担当していました。
博士論文を書き上げてからは、広島に3年間単身赴任した後、東日本大震災の2年後に「いざ東へ」という思いから、岩手大学の公募に応じて東北へ戻ってきました。専門は臨床心理学、家族心理学、コミュニケーションです。現在、学外業務として、岩手県中央病院の小児科と精神科に週1回勤務しており、不登校や発達障害のお子さんと保護者のカウンセリングを行っています。
不登校を支援していて感じること
長年、仙台市でスクールカウンセラーを続けてきて、また、岩手県立中央病院や岩手大学の「こころの相談センター」で不登校の子どもたちを支援するなかで感じていることは、不登校の子どもたちの心のセンサーがとても優れているということです。だから、“普通”の子どもたちに見えないことが見えている。たとえば、中1の不登校の子と話をしていたら、担任の先生を評して、「あの先生さあ、保身だよね」と言ったんです。カウンセラーの私は、担任が自己防衛のために保守的になっていることを感じていましたが、ほかの先生には見えないことをその子はズバリ言ってのけました。
そんなことから、私は不登校の子どもたちとは襟を正して向き合わないといけない、いいかげんな姿勢ではこちらの本性が見抜かれてしまうと思っています。不登校の子どもたちには、いろいろなことを教えてもらいました。後ほどふれますが、「なぜ、学校に行かなければいけないの?」という問題意識をもてること自体、センサーが優れている証拠だと思っています。
今日は5つの小テーマにふれながら話を進めていきますが、そのひとつに「なぜプライドが高いのか」があります。その理由は、これまで話してきたように優秀だからです。まして不登校になって、本来のあるべき姿とはかけ離れた状態にある今の自分を支えるには、プライドを大事にすることが必要不可欠です。
そして2つ目の小テーマ「なぜ、子どもはカウンセリングを受けたがらないのか」ですが、学校に再登校するための手段として、親御さんに「カウンセリングを受けなさい」と言われると、どうして不登校になったのかなど、まだ気持ちの整理がついていないのに、なぜ他人に話をしなければいけないのかという気持ちになるのは当然です。それに、家に閉じこもって外に出られない子が多いので、カウンセリングに行くこと自体かなり難しいといえます。ただし、「学校に行かせよう」という意図が感じられない場合には、そういう子どももカウンセリングに顔を出すことがあります。
子どもはカウンセリングを受けなくてもかまわない
ちょっと爆弾発言になるかもしれませんが、不登校の子どもは必ずしもカウンセリングを受ける必要はありません。カウンセリングは、親御さんが受ければ十分です。臨床心理士、公認心理師としての私の専門は、家族療法(ブリーフセラピー)という心理療法です。この心理療法の基本は、不登校に関していえば、その子と関わっているお母さんお父さん、あるいはおばあちゃんおじいちゃんと話をすることによって、問題を解決に導くことができるという考え方です。
親御さんは、よく「問題を抱えた本人がカウンセリングを受けないと事態は改善しない」と考えがちですが、不登校の子どもと家族とはコミュニケーションという相互作用を行っているわけですから、その子と直接話をしなくても、その子と関わっている人と話をすることによって、その相互作用に変化が生まれます。親と子の相互作用が変わるわけです。
ですから、お子さんの不登校で悩んでいるのなら、お母さんお父さんがカウンセラーに相談すればいいし、嫌がるお子さんの首に縄をつけて無理やり連れてくる必要はありません。実際、私が岩手県立中央病院や岩手大学で相談を受けるときも保護者面談がほとんどです。
それから、わが子が不登校になったことで家庭内にさまざまな混乱が生まれますが、それが親子関係や家族関係を見直すことにつながるケースが多いということも覚えておいてください。本当に子どもを愛するとはどういうことか、そんな根源的なことまで考えざるを得なくなり、親も子も今までとらわれていた価値観を打ち破り、家族関係が大きく変化・進化するチャンスになるのです。だから、子どもが不登校になったご家庭は、結果的に幸せになることが多いのです。
コントロールできない状況を受けとめる力
「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)さんという精神科医の著書『ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力』のタイトルから来ている言葉ですが、何かが「できる能力」ではなく、「できない状況を受けとめる能力」のことです。
現在のコロナ禍は、まさにこの能力が必要とされているといえます。ワクチン接種や行動制限をしてなんとか対応していますが、どうやっても感染を防ぎようのない部分があります。この状態が1年半も続いているなかで、私たちにはコントロールできない状況を受けとめる能力が必要になってきます。そして、実は不登校の子どもたちこそ、この能力をもっていると思っています。
一般的に世の中で期待される能力は「ポジティブ・ケイパビリティ」、すなわち迅速に問題を解決できる力、パッと記憶できる力、サッと行動できる力などです。こうした力は、学校教育や職業教育で訓練され、社会的にも高く評価されやすい能力です。
ところが、「ポジティブ・ケイパビリティ」があるだけでは、人間は幸せになれません。コロナ禍のような状況に直面したときには、「答えの出ない事態に耐える力」や「できない状況を受けとめる力」が問われてきます。不登校の子どもたちが置かれた状況、つまり「これからどうしたらいいのかわからない状況」は、まさに「答えの出ない事態」そのものであり、子どもたちはそういう状況を受けとめ、耐える能力を発揮している真っ最中です。
親の目からは、わが子の成長が止まっているように見えるかもしれませんが、一生懸命あがいて、罪悪感や劣等感を抱えながら、頑張って耐えているのが実情です。言葉を換えると「ネガティブ・ケイパビリティ」を磨いている状態ですから、この「ネガティブ・ケイパビリティ」に着目すると、子どもたちの違った側面が見えてくるかと思います。
学校に戻ることが幸せとはかぎらない
私は大学の授業で学生に向かって、「なぜ、子どもたちは学校に行かないのか」「なぜ、子どもたちは学校に行くのか」「なぜ、子どもたちは学校に行かなければいけないのか」という質問をすることがあります。多くの学生は、「なぜ、学校に行くのか」なんて考えたこともありません。
私もスクールカウンセラーをしていたとき、子どもたちから「なぜ、学校に行かなければいけないの?」とよく質問されました。みなさんも、お子さんから質問されたことがあるかと思います。
私自身、その答えはわからないのですが、子どもにそういう質問をされたときには、「なぜ、学校に行かなければいけないのかという疑問をもつこと自体、すごいね」と言います。そんなことを考えもしないで学校に通っている子どものほうが圧倒的に多いわけで、“普通”の子どもたちが何も感じていないことに疑問を抱くのは、やはりすばらしいことです。
その質問に対して、よく大人が言う答えは、「勉強については、学校に行かなくても塾に通ったり家庭教師をつければ解決できるけど、友だち関係やソーシャルスキルを身につけるにはやはり学校に行ったほうがいいのでは?」といったことでしょう。しかし、別に学校に行かなくても友だちはできるし、ソーシャルスキルも身につけられるので、学校に行くための説得力のある理由にはなりません。
たとえばアメリカでは、学校に行かなくても家庭で勉強すればOKな「ホーム・エデュケーション」というシステムが確立されていて、学びの選択肢のひとつになっています。また、日本のスクールカウンセラーに相当する「スクールサイコロジスト」が学校に毎日来ていて、子どもたちの心理面のサポートという面では日本より30年進んでいるように思います。
不登校状態から再登校できるようになればそれに越したことはないかもしれませんが、学校に行くようになることがすべての解決策ではないと思っています。私はスクールカウンセラーとして、その子と家族の幸せとはなんだろうという視点で支援しています。もちろん再登校という形で学校に戻る子もいますが、学校に戻らずに別の選択をする子もいます。それぞれの幸せの形があるのかなと思っています。
原因は何かよりも、どう解決するかを考える
次に「なぜ原因を言わないのか」という小テーマにふれたいと思いますが、はっきり申し上げて不登校に原因はありません。ところが、担任の先生も親御さんも「どうして学校に行かないの?」と原因を問い詰めたりしがちです。
なぜ、原因を問い詰めてしまうかというと、私たちは学校教育を通して「なんらからの原因があるから→ 結果がある」という考え方が身についているからです。そのため、何か物事が起こったときは、必ず「原因はなに?」という思考パターンになってしまいます。
このパターンは、往々にして「悪者探し」「犯人探し」になりやすいのですが、いくら探そうとしても探し出せないことがほとんどです。不登校の子どもたちに「原因は何?」と聞いても答えが返ってこないのはわからないからです。小中学生に聞いても当然わからないし、高校生でもわかりません。
ただ、まわりの大人がしつこく聞いてくるので、とりあえず「○○さんにいじめられた」「先生に嫌なことを言われた」などと言ったりすることもあります。すると、親御さんや担任の先生はその原因を排除すれば解決すると思って対策を講じるわけですが、複雑な要因が絡み合って不登校になっているので、その原因を排除したからといって、学校に戻ることは難しいのです。
では、どうすればいいか。原因を追及して悪者を探すのではなく、「どうしたら解決するのか」を考えればいいのです。家族療法の考え方は、「原因 → 結果」という直線的な思考ではなく、循環的(円環的)に考えるのが一般的です。
たとえば、お母さんが小学生のお子さんに「勉強しなさい」と言うと、「そうやって勉強しなさいと言うから、勉強する気がなくなるんだ」と言い返してきます。逆に、お母さんは、「あなたが勉強しないから、勉強しなさいと言ったんでしょ」と反論します。
これは、お母さんから見ると、「子どもが勉強しないから → 勉強しなさいと叱る」という因果関係です。逆に、お子さんから見ると、「お母さんが勉強しなさいとうるさいから → 勉強する気がなくなる」という因果関係になります。親も子も「原因 → 結果」という直線的な思考で状況をとらえているわけです。
これを円環的に見てみましょう。子どもが勉強しない → お母さんが勉強しなさいと叱る → 子どもが勉強する気をなくす → 子どもが勉強しない → お母さんが勉強しなさいと叱る → という循環になります。まさに無限ループですね。親と子の相互作用が悪循環になっているわけです。
どんなときにうまくいっているのかを観察する
これを解消するにはどうすればいいか。たとえば、お母さんが何も言わないのに、お子さんが勉強をしていることはないでしょうか。それはどんなときかを観察してください。これが「解決志向アプローチ」という考え方の「例外探し」という手法です。
「そういえば、近所の人からドーナツをもらったので、娘が学校から帰ってきたときに『ドーナツ食べる?』と聞いたら、ランドセルからプリントを出してドーナツを食べてから宿題をやっていました」という「例外」が見つかったとします。そうしたら、その例外的にうまくいったことをもっと続けてみましょう。このような解決手法を親御さんのカウンセリングを通して試してもらって、親と子の関係性を変えていけばいいわけで、原因は何かという「悪者探し」をする必要はまったくありません。
結論的に言うと、原因を追及することが悪いのではなく、親御さんが子どもを前にして、「原因を追及する科学的な見方」になっているのか、そうではなく「原因を追及しない哲学的な見方」をしているのかについて自覚的になっていれば十分だと思います。
私は科学を否定しているわけではありません。たとえば、発達障害は脳の特性が原因であるという見方はきちんと認めたうえで、その子がどういう環境やどういう関わりのなかで症状が促進されたり抑制されたりするのかについて観察する、というのが私の立場です。
不登校についても、どのような関わり方をすると登校するのか、逆にどんな対応をすると登校しないのかを突き詰めていくと、解決の糸口が見えてくることがあります。
「発達障害」というラベルは社会的な環境によって生まれる
不登校の「原因」ではなく、その背景にある「要因」はいろいろあると思います。
「学校要因」では、教師との関係、授業についていけないなどの学業不振、友人関係や部活内の上下関係など。「家庭要因」では、親子関係やきょうだい関係における心理的葛藤、親御さんの教育に対する考え方とのギャップ、虐待やネグレクトなどの生育環境の問題などです。
「本人要因」としては、発達障害を含む発達に関わる問題、ストレスや不安、うつ傾向などのメンタル面の問題、昼夜逆転など生活習慣の問題、ゲームやスマホなど興味関心の問題などがあります。さらに、「社会的要因」として、目標や生きがいが阻害されたり、大切にしてきた価値観が崩れたりする問題などです。
今、虐待の話をしましたが、私は虐待の問題にも関わっていて、最近は「優しい虐待」といわれるものがありますが、ご存じでしょうか。たとえば、月曜日はピアノ、火曜日は水泳、水曜日は英語、木曜日はダンスといった感じで、毎日休みの日がないくらい習い事や塾の予定を入れて、英才教育という名の大きなストレスを子どもに与えている状況のことです。そうした背景によってエネルギー切れを起こし、不登校になったり、身体症状があらわれる場合もあります。そういうケースでは、ストレスの緩和を目的として、習い事を週2回に減らすなどの対応を親御さんにお願いすることがあります。
ここで不登校の背景のひとつである発達障害について少しお話をします。発達「障害」というとちょっときつい言葉ですが、発達の「特性」と考えてください。特性という「何かができて何かができない」という面でいえばみんながそうですから、すべての人が何かしらの発達障害だと言えます。
しかし、「○○はできるけれど、△△はできない」という特性をもった子どもが、学校という集団生活に適応するにはけっこう苦労を要します。ですからその子の特性を、担任を含めた学校全体、そしてクラスメートにも理解してもらって、時間をかけて具体的な関わり方を学び、その子の苦手な部分を援助していく必要があります。
ADHD(注意欠陥/多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)など発達障害のラベリングはいろいろありますが、何かしら不適応がないとラベリングはできません。
逆に言うと、日本では発達障害といわれている子どもが、アメリカに行ったら発達障害といわれなくなる可能性があるわけです。つまり、発達障害というラベリングは、社会的な環境がつくるものなのです。
どんな発達の特性があろうと、環境に順応していたら、病院には行きませんし、発達障害ともいわれません。なお、知的障害を含む発達障害の場合は、特別支援教育の領域に入ります。
初期の身体症状のうちに手を打つ
不登校の初期にはよく、体がだるい、熱がある、頭が痛い、おなかが痛いといった身体症状が起こり、それで学校に行きたくない感じになるわけですが、そういう症状が起きたら学校を休ませるほうが賢明です。
これらは神経症的な症状ですが、よくウソを言っているのではないか、仮病ではないかと疑われます。それは、「おなかが痛いから学校を休みたい」と子どもが訴えたとき、親御さんが「じゃあ休んでいいよ」と言うと、腹痛がパタッと止まるからです。頭痛や発熱で休みたいと言ってきたときも同じです。
これはどういうことかというと、人間は脳はだませても体はだませないからです。私たち大人は日常的に脳をだましつづけています。仕事で疲れきっているのに、「大丈夫、疲れてない。この仕事をやらないと」と脳をだましつづける。すると、ある日突然、体が悲鳴をあげて、登社拒否になったり、過労自殺という悲劇につながったりします。
大人に比べ、子どもはメンタル面のストレスが正直に体の症状としてあらわれやすく、症状を薬などで一時的に抑えることはできても、後で激しく再発します。ですから、倦怠感、発熱、頭痛、腹痛など体の悲鳴に耳を傾け、初期のうちに学校を休ませるなどの対応をすることがとても大切になります。
学校の先生などは、こういう朝に起こりがちな身体症状について、「クセになりますから無理にでも学校に来させてください」と言うことがありますが、重要なのは親の判断であって、「初期症状が出たら、これ以上、エネルギーが枯渇しないように休ませる」ことが賢明だと思います。そうしないと、ある日突然、文化祭の翌日から行けなくなる、といったことが起こります。
なぜ昼夜逆転になるのか
不登校が長期化してくると、生活リズムが昼夜逆転し、ひと晩じゅうゲームをやったり、スマホをいじっているような生活になりがちです。親御さんは「昼夜逆転だから、学校に行けないのでは?」と考えがちですが、昼夜逆転は、夜の静寂のなかで学校に行かなくてもいい時間を自分なりに過ごす適応行動でもあります。
「自分の将来はどうなるんだろう」「進学できる高校はあるのだろうか」など、さまざまな不安を抱えながら、自分ひとりの時間を満喫している状態でもあるので、親御さんにとっては許しがたいところもあるかもしれませんが、できるだけ肯定的な眼で見てあげてほしいと思います。
また、不登校の子どもたちは、ほかの子たちが登校してくる朝の時間帯がもっとも苦手です。できれば、その朝の時間帯は眠ってやり過ごしたい。だから、ひと晩じゅう起きていて、朝方に寝て、昼過ぎに起きるという生活パターンになりやすい部分もあります。
先ほど、初期症状が出たら学校を休ませたほうがいいという話をしましたが、逆に、症状が出ても「学校に行きなさい」と言いつづけたらどうなるかというと、多くは自分の部屋にひきこもるようになります。それでも登校刺激を続けると、食事をとらなくなります。さすがにそうなると、親御さんも健康状態が心配になり、ようやく「学校なんかどうでもいい」「生きているだけでいい」という気持ちになってきます。
だた、親も子もそこまで追い詰められるのは切ないですから、やはりポイントは、初期段階で学校を休ませること、そして、相談機関などで支援を受けることだろうと思います。
子どもたちはどんな回復過程をたどるか
①「静かなひきこもり」の時期を支えるもの
次に、不登校の子どもたちの回復過程についてお話ししたいと思います。
まず、初期の段階として、「静かなひきこもり」の時期があります。昼夜逆転が起こるのもこの時期です。エネルギーが枯渇しているときは、とにかく他人と接触したくないのです。
ただし、この「静かなひきこもり」の時期はずっと続くわけではなく、その間にエネルギーが少しずつたまっていくと、次の段階に進みます。そのためには、昼夜逆転も含めて、「静かなひきこもり」を親御さんが認めることが大切です。
具体的には、お子さんがひきこもっていても、できれば一緒に食事をしたり、テレビを見て世間話をしたりして、時間を共有すること。そうすることで、「あなたが学校に行こうが行くまいが、私はあなたを大切な家族の一員として一緒に生活することを認めるよ」というメッセージを送りつづけることだと思います。それは「静かなひきこもり」の時期を支え、その子の存在を包み込むことにつながります。
②「豊かなひきこもり」の時期に起こる変化
こうした時間を過ごしているうちに少しずつエネルギーがたまってくると、「豊かなひきこもり」の時期に移行します。
「静かなひきこもり」の時期には、マンガは読めても本は読めません。ゲームはできても、知的な活動ができるほどのエネルギーはありません。だから、マンガやアニメを見たり、ゲームをやったりする、昼夜逆転の生活になりがちです。ただし、そういう生活が楽しいからやっているわけではなく、「これからどうなるんだろう」という不安から逃れるためにやっていることがほとんどです。
そして、そういう生活が認められることによって、たとえば、絵を描いたり、本を読みはじめたり、新聞をめくってみたり…という行動を見せるようになり、「豊かなひきこもり」の時期に徐々にシフトしていきます。「豊かなひきこもり」といっても、まだひきこもり状態ですから、人とは会いたくないし、友だちとも連絡をとりたくないことに変わりはありません。
それでも親御さんから見ても、「表情がいい感じになってきたな」と思える時期で、この時期を象徴する出来事のひとつが、お風呂に入るようになることです。お子さんによっては、1カ月くらいお風呂に入れない生活が続くほど、エネルギーが枯渇することもあります。男の子の場合、髪も切らずに肩まで伸びることもめずらしくありません。
③それぞれの段階に応じて対応を変える
「豊かなひきこもり」の時期を経て、やがて登校準備期に向かいます。この時期になると、友だちとラインでやりとりを始めたり、学校やクラスと関係のある人たちとも連絡を取ったりしはじめます。担任の先生からの電話にも出るようになったり、家庭訪問に来たときに会うようになるのもこの時期です。
そして、再登校を迎えるわけですが、ここで、最後の小テーマ「見守るだけで回復するのか」という問題についてお話ししたいと思います。まず、親御さんの対応については、これまでお話ししたそれぞれの段階に応じて変えていく必要があります。見守ることが必要な時期と、意識的に親御さんの気持ちを伝えてもいい時期があります。
たとえば、「豊かなひきこもり」の時期に、友だちと遊びに行くようになったなどの変化が見られるようになったら、学年の変わり目に、「お父さんとお母さんとしては、新学期から学校に行ってほしいと思っているけど、最終的にはあなたの判断だからそれは任せるよ。何か困っていることがあったら相談してね」というように、親御さんの気持ちを伝えてもいいと思います。要するに、お子さんの様子、状態を見ながら、対応を変化させていくわけです。
今、わが子がどの時期にあるのかについては、ご両親で話し合ったり、スクールカウンセラーや援助してくれる方々と話し合いをして見定め、対応を変えていくことが望ましいでしょう。
家族関係は進化していくもの
不登校は、子どもが学校に行こうとするときに家庭で生じる問題ですから、支援の流れとしては、まず家族への支援から始めて、学校でできることへとバトンタッチするというイメージです。不登校という落とし穴にはまった子がいる場合、私たち支援者が家族への支援を通して子どもを持ち上げてから、学校がひっぱり上げる感じです。家族への支援だけでは不十分であり、学校だけの支援でも解決しません。
たとえば、私がスクールカウンセラーとして子どもとの信頼関係を築くと同時に、親御さんもお子さんとの関係を見直し、理解し合えない状況を変えることで信頼関係を取り戻していくことが最優先されるべきでしょう。
誤解をしないでいただきたいのは、お子さんが不登校だからといって、みなさんの親子関係が悪いわけではありません。みなさんが採用している親子関係のルールが今の状況にそぐわなくなっているのではないか、ちょっと前の、お子さんがもっと幼かった頃のルールをそのまま使用しているのではないか、というだけの話です。
親子関係はどんどん変化、進化していくものです。お子さんが赤ちゃんのとき、幼稚園のとき、小学生のとき、中学生のとき、高校生のとき、大学生のとき、それぞれ親子関係は変わってきているはずです。
私は、息子が中学生のとき、登校前に「歯を磨いた?」「宿題はやった?」「体育着は持った?」とやってしまい、「うるせーな、くそババア、死ね!」と言われて、けっこうショックでした(笑)。
ここで問題なのは、息子が小学生のときの親子関係を、中学生になってもひきずっていたということです。それで息子にしっぺ返しを食らいました。それは私の関わり方が悪いということではなく、私が少し前のルールを採用していただけのことです。
ですから、もし高校生のお子さんとトラブルを起こしたい親御さんがいたら、まあ、そんな方はいらっしゃらないと思いますが(笑)、お子さんが小学生のときの親子関係ルールを使えばいいわけです。「夕方の5時までに帰ってきなさい」「おこづかいは500円」といったルールを持ち出せば、例外なく親子間にトラブルが発生します。
逆にいえば、親子関係に歪みが生じて、しっくりいかなくなったら、それまでの親子関係のルールを変えることです。私が息子に「うるせーな、くそババア、死ね!」と言われたとき、「親に向かって何を言ってんの!」と言い返したりすれば、悪循環になってしまいます。
ちょうどその頃、私はアメリカから日本に帰ってきて家族療法を勉強していたときだったので、とっさに英語で「きみだっていつか死ぬよ」と返したところ、息子は「フンッ」と反応しただけで学校に向かい、とりあえず悪循環は避けられました。その後も何度か親子関係が危機的状況になったことがありましたが、家族療法に救われた印象が強いです。その意味では、臨床心理学は「人を幸せにする学問」だと思っています。
アプローチの方法を変化させる
不登校の子どもへのアプローチは、その子の状態に応じて、学校無刺激 → 学校関心刺激 → 学校刺激 → 登校刺激、というように変化させていくことが望ましいと考えています。
先ほどご説明した「静かなひきこもり」「豊かなひきこもり」の時期には、「学校無刺激」のアプローチで、学校に関する情報はいっさい与えない対応が求められます。次の「学校関心刺激」とは、「学校でこんなことがあったらしいよ」というように、学校に関する間接的な情報をちらっとにおわせる対応のことです。その次の「学校刺激」とは、先にお話しした、「親としては新学期から行ってほしいけど、最終的にはあなたが決めていいよ」といった関わり方です。その際、すぐに答えを求めずに、「少し考えてみて」という対応が望ましいでしょう。そして、最終的には、「登校刺激」で背中を押すことに行き着きます。
これらのアプローチ方法をどう変えていくかについては、ご家族で話し合ったり、スクールカウンセラーなどにアドバイスを求めることが大切です。不登校の子どもたちが支援を必要としているのは当然ですが、子どもたちを支援している親御さんも支援されることが重要だと思っています。ぜひ、スクールカウンセラーをはじめ、あなたを支援してくれる人を見つけて支えてもらってください。
不登校支援は、保健室や相談室の先生、図書室登校、別室登校、適応指導教室など、さまざまな学校の資源を有効に活用し、お子さんに合ったアプローチを話し合いながら模索していくことが大切です。学校と連携すると同時に、この登進研のような支援機関との連携も欠かせません。
最後に、私は「幸せに生きるための心理学講座」をYouTubeで配信しています。第1回から第26回まであり、どれも5〜15分程度で見やすくなっています。第4回は「親子関係の仲が良すぎる問題」、第26回では「親ガチャ」問題を扱っています。もしよかったら、ご覧いただければと思います。ご清聴いただき、ありがとうございました。