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不登校―解決の突破口はそこにある!


2021年11月28日に開催された登進研バックアップセミナー111 in 仙台の第1部の内容をまとめました。

講師:若島孔文(東北大学大学院教育学研究科教授)

 みなさんは、「太陽の法則」をご存じでしょうか。じつは、子どもたちとのかかわりを考えていくためのヒントがここにあります。子どもたちの変化・成長を促すために、私たち大人ができることは何か。たとえば、ものの見方を少し変えるだけで、子どもたちへのかかわりは変化していきます。

 そこで、この講演では、「太陽の法則」についてお話ししたいと思います。植物が太陽の光に向かって成長することはご存じのとおりです。子どもたちに変化・成長してもらうために、私たち大人は太陽の光を当てていくのです。では実際に、太陽の光を当てるとはどういうことなのか、その具体的な方法と、そのヒントについてもお話しします。

 まず、私たちのこころが求めているものは何かを考えるために、エドワード・デシ博士の「こころのニーズ」についてお話しします。次に具体的な事例として、女子中学生の「社交不安」に対する介入のひとつをご紹介します。そして最後に、解決志向のアプローチについて、そのなかの「例外」という考え方に焦点を当ててお話ししたいと思います。

 以上をまとめて、ここでは「太陽の法則」と名づけました。子どもたちの変化・成長を促すために、私たち大人ができることは何かを考えるヒントになれば幸いです。

 不登校は個別性の高い問題ですから簡単に解決できることではなく、時間がかかる側面があります。ただ、不登校のいろいろなケースにも共通する要素がありますので、それを中心に話をしていきます。うちの子の状況とは違うなと感じられる部分もあるかと思いますが、その点についてはご了承いただければと思います。

大人にとって望ましいという視点をはずして子どもを見る

 小さい子どもにとって、大人がやってはいけないと思うようなこと、たとえば、いろんな物を舐めたり、触ったり、走り回ったり、飛び跳ねたり、いたずらをしたり、ケンカをしたり、それらすべてが勉強です。子どもたちの身体(脳や神経も)は、それらの体験を通して発達し、成長していきます。そうした一連の行動を大人が抑制すると、子どもは発達しないし、成長もしません。

 お子さんが学校に行けないことで勉強が遅れてしまうと心配する方が多いと思いますが、国語、算数、社会、理科などの教科学習は、意欲さえ戻ればいつでもできます。いまでなくてもいいわけです。心身の発達と成長を考えた場合、それよりも、いろいろなことを体験して学ぶこと。これは、そのときでなければいけないこともありますから、学校には行かなくても、できれば外に出て遊んだり、運動をしたり、活動をすることが大切になってきます。

 以前、フリースクールに通っている子どもたちと保護者を対象に講演をした際、「うちの子はやりたいことがないんです」という話を何人かの保護者から聞きました。そこで、そのフリースクールにはちょうど10人の子どもたち(中学生)が通って来ていましたので、私は直接、子どもたちに「必ずしも…」という話をしてみました。たとえば、「友だちは大切な存在だけれども、必ずしも友だちは必要なのだろうか?」といったことです。

 つまり、いままで正しいと思っていたことに対して疑問を投げかけ、異なった視点から物事を考えてみるという発想を提示したわけです。これを、私が専門とする家族療法という考え方では「リフレーミング」とよんでいます。

 そこで、「必ずしも友だちは必要なのだろうか?」について考えるために、子どもたちの後ろに座っていた保護者の方々に、「今年、中学校時代の友だちと連絡をとった方は?」と質問したところ、手を挙げたのはたった一人でした。このように、大人になれば中学のときの友だちとまだつきあっている人なんてほとんどいないわけで、友だちなんかいなくても大丈夫とも考えられます。

 その後、話題になった「やりたいことがない」に関連して、10人の子どもたちに「好きなことがある人は?」と聞いたところ、10人全員が手を挙げました。具体的にはマンガやゲーム、アニメなどでしたが、全員が好きなこと、やりたいことがあるにもかかわらず、なぜ保護者の方々は「やりたいことがないんです」と言ったのでしょうか。

 ふと思ったのは、「親御さんが望んでいることに合致するやりたいことがない」ということなのではないかということです。ここで大事なのは、「大人にとって望ましい」という視点を外してみること、子どもが好きなこと、やりたいことの内容を問題にするよりも、なんでもいいから「やる気があるかどうか」を重要視するということです。

ポジティブな評価が肯定的なコミュケーションにつながる

 私は現在、東京都杉並区の不登校対策チームのメンバーとして、スーパービジョン(事例研究などを通してカウンセラーのスキルを高める研修や指導を行うこと)を担当しています。ここ仙台市では公立小中学校の巡回相談員として学校関係者の相談にものっていますが、学校現場からいま取り組んでいるケースが出てきて、どう対応すべきか検討する際、臨床心理士や認定心理師などの専門家は、往々にして当事者のネガティブな部分にばかり眼が行き、ポジティブな部分を評価することができにくくなる場合が多いのです。

 そんなときは、「私自身、人間として凸凹で足りないところだらけです」と話すようにしています。人は神様ではなく、親御さんもお子さんも学校の先生もみな不完全な存在です。そこから出発しようということです。そうした感覚をもっていないと、子どものいいところ、変わろうとする原動力になり得る資源が見えてきません。ネガティブな見方をしている人がカウンセリングをしても、いい結果は出ないのです。

 親御さんは、子どもに何を伝えればいいのか、子どもをどう理解すればいいのかだけでなく、子どもが元気になる、笑顔になるようなかかわりをすることが重要です。子どもが元気にならなかったら、不登校はいつまでも解決しません。そのためにも、チャンスを見逃さないことがポイントになります。

 東日本大震災以前の話ですが、公立中学校のグラウンドを原付バイクで走り回っていたグループがありました。そのリーダーの男子生徒が学校に来るとクラスが荒れてしまうというので、別室で授業をすることになっていて、まさに別室登校でした。

 かなりのワルだったのですが、年輩の先生が担当になった際、一緒に別室に向かう途中で、ハアハア言いながら階段を上っていた先生に対して、その生徒は「俺のベルトにつかまっていいよ」と言ったそうです。そのとき、「いや、いいよ」と拒絶すれば大きなチャンスを逸することになり、せっかく見えてきた解決の光が闇に隠れてしまいます。

 そうではなく、「悪いね、ありがとう」と言ってベルトにつかまるという反応ができるかどうか。これが、その生徒と肯定的なコミュニケーションを築けるか否かの大きな分かれ道になります。そうした関係が生まれれば、一度、築かれた関係は増幅して、その後、先生に対して暴言を吐くこともなくなり、良好な関係を維持できるようになるでしょう。

 私の研究室には優秀な論文を書いている学生が多く、指導教官としては、「一所懸命、頑張っているなあ」という見方をしています。しかし、自宅から通っている学生のなかには、部屋が乱雑で掃除もしないでだらしないと親御さんから見られている学生もいるでしょう。「まったく、だらしないんだから」と親御さんから言われたら、学生は「うるせー、ほっといてくれよ」という対応をすることになり、それに準じた人間関係が醸成されていきます。同じ人間でもどの部分を見るかによって、コミュニケーションのとり方が変わってくるわけです。

「こころのニーズ」を妨げないアプローチ

 「内発的な動機づけ」という言葉の生みの親であるエドワード・デシというアメリカの天才心理学者がいます。彼が提唱した「こころのニーズ」という概念によれば、老若男女、健康であろうと病気であろうと、障害があろうとなかろうと、すべての人間のこころが必要とすることは、以下の3つであるとされています。ちなみに、この3つの「こころのニーズ」は、丹念な研究とデータの積み重ねによって結論づけられたものです。

①自律性:自律的でありたい! 人は自律的でありたいと願っている。
自分のことや自分の身の回りの小さな環境を自分でちゃんとコントロールできていると感じられたとき、自分は自律的であると感じることができる。
②有能感:有能でありたい! 人は有能でありたいと願っている。
③関係性:他者とかかわりたい! 人は他者とかかわりたいと願っている。
たとえば、ひきこもっている人でも、ネットを通じて社会や他人とかかわりたいという欲求をもっているはずである。

 私たち大人が子どもたちに何かアドバイスをするとき、この3つの「こころのニーズ」を妨げないやり方で言葉をかけていくことが必要になってきます。

 ひとつ例をあげてみましょう。以前、新聞に次のような投書が載っていました。ある女性が両親のことについて書いたもので、「お母さん、そんな問題ではないでしょ!」というタイトルがついていました。

 その女性の父親は、家の中をパンツ一丁で動き回る“習性”があるようで、夏のある日、ピンポーンと宅配便の人が来たときも、「は〜い」とパンツ一丁のまま玄関に出ていきそうになったとのこと。そのときお母さんが「お父さん、そんな格好で出ていっちゃダメでしょ! ××だから」と言ったそうです。この「××」ってなんだと思いますか?

 一般的に考えれば、「みっともないから」が妥当な線でしょう。ところが、このお母さんが言ったのは「蚊に喰われるから」(笑)。すごいでしょ! 娘さんからすれば、「お母さん、そんな問題ではないでしょ!」かもしれませんが、このお母さんの対応は非常に優れていて、お父さんの尊厳を傷つけない絶妙なニュアンスで諌めています。

 「みっともないでしょ」とか「ズボンぐらい履きなさいよ」と言われると、お父さんの「有能感」が傷つけられますし、お母さんに命令され、コントロールされているような感じがして、「自律性」も損なわれてしまいます。でも、「蚊に喰われるから」と言われると、「心配してくれたのかな」と思うわけです。するとお父さんは反発することなく、ズボンを履くという行動をとりやすくなる。このお母さんの言葉がけが、「こころのニーズ」を妨げないやり方になっていることがよくわかります。

子どもの肯定的な側面を見ることで変化が起こる

 先ほど、中学校のグラウンドを原付バイクで走り回っていたワルの生徒の話をしましたが、彼だってワルの部分がすべてではありません。「ベルトにつかまっていいよ」という優しい面もあったように、いろいろな側面を持っています。

 このように、現実は多面的であり、人間は多面体であるということです。うちの大学の院生も同様で、家に帰ればただのだらしない若者にすぎないかもしれませんが、研究を続ける大学院生としてはとても優秀です。ところが、相手の悪い面ばかり見ていると、悪いフィードバックばかりが行われるという悪循環に陥ります。それを防ぐには、相手の肯定的な側面(健康、資源、能力)を見つけてフィードバックしてあげることが大切です。

 私は、基本的に親御さんのカウンセリングを中心に行っていますが、ある不登校のお子さんがカウンセリングに同席したいということで、親御さんと一緒にやってきたことがあります。その子はスポーツキャスターの松岡修造さんを中学生にしたような感じで、後光が差しているように輝いていました。

 オーラのある「ミニ松岡修造」の登場によって親御さんの存在がフェードアウトしてしまうほどで、こんなに輝いている子に出会ったのはカウンセリング歴27年の私も初めてです。会った瞬間、これからいろいろ問題は起こるかもしれないけれど、基本的にこの子は放っておいても大丈夫だと思いました。

 でも、親御さんはそのことに気づいていません。この子の「不登校」というネガティブな側面ばかりを見ているからです。その子のどこを見るかによって評価は変わるし、フィードバックできるものも異なってきます。

「よいところのない子ども」は絶対にいない

 ダイヤモンドを思い浮かべてください。ダイヤモンドは多面体の構造にカットされて、どこか一点に光を当てれば全体が輝くようにできていますが、私は人間も同じような側面があるのではないかと思っています。その人のよい面に光が当たり、プラスに評価されれば、その人全体に変化が起こる。つまり、その人の肯定的な側面を見て、ポジティブな評価をフィードバックすることによって、その人の行動が変容していくということです。

 よく、「うちの子にはよいところがまったくありません」とおっしゃる親御さんがいますが、それはお子さんに対する見方がネガティブになっているからであって、肯定的な側面がないという子どもは絶対にいません。ネガティブな見方をしているから、肯定的な側面が見えていないだけのことです。

 「傾聴」など、現代のカウンセリング理論の礎(いしずえ)を築いたひとりが、アメリカの臨床心理学者、カール・ロジャーズです。彼は「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件」という論文のなかで、カウンセラーが「無条件の肯定的関心(配慮)」をもって接しているとき、相談者に自己開示などの変化がみられるようになると書いています。

 これは、たとえば親御さんが、不登校のお子さんに接するとき、「学校に行かない」というネガティブな側面を指摘するのではなく、「いま、どんなことで困っているの?」など、子どもの問題意識や興味関心について肯定的な関心をもって接することによって、少しずつ子どもの態度が変わっていくということを意味しています。

プレッシャーから解き放たれると動ける「こころのパラドックス」

 何年か前の10月頃、中3の女の子がカウンセリングにやってきました。高校受験まで半年もない時期でしたので、最初の面接で「学校に行くために努力(気力)を費やすのと、高校進学のために努力(気力)を費やすのでは、どちらがよいか」と質問し、彼女の意思を確認したうえで、「行かなくてもいいんじゃないか」とアドバイスしました。この段階で中学校に行くことは「目標」ではなく、ある種の「手段」にすぎないわけですから。

 結局、この子は再登校ではなく、家で受験勉強をする道を選びました。すると、「学校に行かなければ」というプレッシャーから解き放たれ、猛烈に勉強をしはじめたのです。「追い詰められると必死になる」の逆パターンですが、気楽になることで逆に動けるようになるという「こころのパラドックス(逆説)」の好例でもあります。

 たとえば、「明日から学校に行く」と子どもが言った場合、本気で行こうと思えば思うほど、頭痛や腹痛が起こって行けなくなってしまうことが多いのです。そんなときには、「行くと言ったのにどうして行かないの!?」と責めるのではなく、「本当に行こうとしたんだね」と言ってあげてください。

 驚いたことにこの女の子は、2回目の面接のとき、あれから何回か登校していることがわかりました。こういうときよくあるカウンセラーの反応は「えっ? 学校に行ったんだ。えらいね」ですが、私は「なんで? 行かなくてもいいって言ったじゃん」でした。そう言わないと、その子がいまの気楽な気持ちを維持できないと思ったからです。

 その2回目のカウンセリングで気持ちが楽になったこともあって、彼女は対人不安(社交不安)というか対人恐怖、つまり他人にどう思われているかが気になってしまうことを話してくれました。私は、彼女が「他人に悪く思われるのが嫌だ」と感じていることを確認したうえで、「悪く思われる原因がなければ、悪く思っている相手のほうに問題がある」ことを伝えました。

 さらに、彼女が他人から悪く思われる理由があるかどうかを確かめるため、社会規範をどのくらい守れているかをチェックできる「対人不安や恐怖を治すための社会規律のチェックリスト」(下の表を参照)による確認を行いました。

対人不安や恐怖を治すための社会規律のチェックリスト
1 買い物の際、お金を払って物を買った
2 公共の場で、大声を出したり迷惑をかけたりしなかった
3 時間など約束を守った
4 あいさつやお礼をした
5 正直であった(うそをつかなかった)
6 報告・連絡・相談をした
7 身なりを清潔にしている
8 人に笑顔で接している
9 人を傷つけることをしなかった
10 人の考えを聴ける

 最初に1〜8までの8項目を彼女に提示し、9と10は空欄にしておいて、彼女自身に項目を考えてもらいました。チェック項目の作成に一緒に関与することによって、それを遂行するモチベーションを高める意味があるわけです。  そして、この10項目について、毎日チェックしてもらうことにしました。これらをチェックして自分に悪い点がなかったら、相手のほうに問題があることになります。

 2週間後の3回目のカウンセリングで、「他人のことが全然気にならなくなりました」と彼女は報告してくれました。また、私が「学校に行かなくてもいい」と言っているのに、定期的に学校に通っていることも教えてくれました。進学についても、自分で調べて単位制高校を受験し合格したと連絡を受けて、カウンセリングは終了となりました。

「自己肯定感」は高くなければいけないのか

 この中学生の女の子に対するカウンセリングのポイントは、「リフレーミング」という手法を使ってものの見方を変えてみたことです。

 「人の目が気になる」というとき、認知行動療法などでは少しずつ段階を踏んで人の目が気にならないような練習をしてみようということになると思います。一方、私のアプローチは、「自分の行動が人とのかかわりのなかでちゃんとしているかどうかをチェックしてみよう」ということでした。

 その結果、自分はちゃんとしているのに人から悪く思われるのは、その人に問題があるからだと考えることができるようになります。人を気にする前に自分の行動の良し悪しをチェックし、そこに問題がなければ悪く思われる原因はないのだから、人のことを気にする必要はないという発想の転換です。

 この「リフレーミング」という手法は、不登校の子どもたちとかかわるうえで、とても重要な考え方です。先ほど、「必ずしも…」という話をしましたが、たとえば、「友だちは必ずしも必要か?」「悩まないことが正しい成長の仕方か?」「自己肯定感は高くなければいけないのか?」「劣等感が強いことはいけないことか?」など、不登校のカウンセリングでよく親御さんから出てくるキーワードをとってみても、見方や考え方を変えれば、「必ずしも正しい」とは言えない、「必ずしもいけないこと」とは言えないことがわかると思います。

 この考え方は、いわゆる「常識を疑う視点」に近くて、「人を肯定的な眼差しで見ることが大切?」「人のために行動できることが大切?」「コミュニケーションの上手さは大切?」なども、その例としてあげることができます。

 リフレーミングを活用することで、子どもだけでなく、親御さんの気持ちも楽になることがあります。心理学の研究では、自尊心や自己効力感が高いほど健康度が高いとされていますので、おのずと自尊心や自己効力感が高いほうが望ましいという考え方が一般的になりがちですが、果たしてそうでしょうか。

 自己効力感が高そうな人として思い浮かぶのは、先ほど話に出た松岡修造さんとか、トランプ前大統領も高そうですが、たとえばクラスのほとんどが松岡修造さんやトランプ前大統領のような子どもばかりだったらどうですか?(爆笑) そんなクラス、嫌ですよね。

「この子には不登校が必要なんだ」という考え方からスタートする

 「悩まないことが正しい成長の仕方か?」についても、たとえば、不登校の子どもたちも親御さんも将来への不安を抱えていますよね。不登校だけでなく、うつ病や依存症への対応でも同様ですが、「その不安を減らしましょう」と考える前に、「いま、自分には不安が必要なんだ」「いま、この子には不登校が必要なんだ」と考えることからスタートしてほしいのです。

 ちなみに、こうした逆の考え方からスタートできるカウンセリング理論はほとんどありません。認知行動療法にしても、不安や不登校を“治そう”とします。

 ちょっと脱線しますが、以前、認知行動療法の学会に招待されて、ロールプレイでカウンセリングのデモンストレーションを行ったことがあります。かつて酒を飲んでは暴力事件を何度も起こしたことがあるアルコール依存症のヤクザの元若頭で、現在は生活保護を受けて暮らしている男性へのカウンセリングという設定でした。

 他の先生方は全員正統的な、依存症を“治そう”とするアプローチをしていましたが、私はまず、「これからどうしたいですか?」と聞きました。すると、元若頭は「酒をやめたいです」と答えました。そこで私は、「これまで高級車に乗ったり、好きなことをやり放題の生活をしてきたのに、いまは生活保護を受けながら窮屈そうな生活を送っているわけで、そのうえ大好きな酒をやめたら、何が楽しいんですか? 酒をやめてしまったら楽しいことがほかにあるんですか?」と聞きました。

 いきなり他の先生方とは真逆なアプローチからスタートしたので、彼はとまどいながら「散歩です」と(笑)。私が「散歩なんか楽しいんですか?」とツッコミを入れると、「散歩していてよく出合う犬がいて、寄ってくるので、撫でてあげたりするのが楽しみです」ということでした。そこで、私は「犬に好かれるタイプですか?」というところから入っていきました(笑)

 このケースでのリフレーミングは、「その人からアルコールを奪えばいいというわけではない」という考え方をすることです。たとえば、うつになって会社を休まざるを得なくなった場合も、ある側面から見れば、そうやって休むことがその人にとって必要だったのかもしれない。うつにならなかったら、もっとひどい状況になっていたかもしれないとも考えられます。

 不登校も同じで、学校を休むことがその子にとって必要だったのかもしれないし、子どもが学校に行かなくなることで、親御さんがもっと子どものことを理解しようとするきっかけになったりもするわけです。まず、不登校は、自分たち親子にとって必要なことなんじゃないかというところからスタートする。これが見方や考え方を変えるリフレーミングの本質的なところです。

「例外」は必ず存在する

 次に「例外探し」の話をします。たとえば、不登校で自分の部屋からなかなか出てこない生活を送っている子が、なぜかおじいちゃんが遊びに来たときだけ部屋から出てきて、おじいちゃんと楽しそうに話をしているといったことがあったりします。

 親御さんは、学校に行かないことだけに気をとられているので、「あの子はいつも部屋から出てこない」と思いがちですが、「例外」は必ずあります。部屋から出てきた、みんなと楽しそうに話をしたという「例外」に着目して、それがどんなときなのかを考えると、解決のヒントが浮かび上がってくることがあります。

 この事例では、「おじいちゃんが来たとき」に部屋から出てくるわけですから、たとえば、おじいちゃんが遊びに来る頻度を多くしてもらって、家族みんなで話す機会を増やすなど、その子の気持ちが和らぐ環境をつくっていくというやり方が考えられます。

 このように、子どもの日常生活や行動をよーく観察していると、いつもなら部屋から出てこないし、ろくに口もきかない子が「積極的に話しかけてきた」「近くのコンビニに買い物に出かけた」「リビングで家族と一緒にテレビドラマを観ていた」などの例外が発見できるはずです。

 そういう「例外」が見つかったとき、その子はどんな心境だったのかを考えたり、その「例外」がもっと頻繁に起こるような環境を設定したり、その子の不安な気持ちや興味関心について話をする機会をつくるなど、「例外」をきっかけにして子どもとかかわる接点を多くすることができるわけです。つまり、可能性のあるところに光を当ててみるということです。

 ある男子高校生のケースですが、お母さんがカウンセリングに来られたとき、「ご本人は来られないんですか?」と聞いたところ、以前も心療内科を受診したことがあるようで、「医者やカウンセラーがいろんなことを言ってくるけど、自分のほうが賢いから自分で治せるし、お母さんについていっても意味がないから一緒に行かなくてもいい」と本人が言っていたとのことでした。そこで、私は本人に次のような手紙を書きました。

 「お母さんから話を聞きましたが、あなたのような相談者に突然来られても困ります。あなたのカウンセリングをするには準備も必要ですので、しばらくカウンセリングには来ないでください」。そうしたら次の回のカウンセリングにお母さんと一緒に顔を出しました(笑)。「なんだ、こいつは?」と思ったんでしょうね。

 このように、子どもの気持ちを動かすには「力」が必要なんです。それは力づくという意味ではなく、子どもに対する影響力という意味です。家族療法では、お父さんとお母さんの協力によってその影響力を大きくしたり、ふだんは影の薄いお父さんの出番を増やしたりと、家族の力を生かしてアプローチをしていきます。

 人間が生きていくということは、問題→解決のくりかえしと積み重ねでもあります。問題を解決するには、子ども本人だけでなく、親御さんの気持ちや考え方、家族というシステムが「変わること」と、その変化を受け入れることが必要になってきます。

 子どもの気持ちや言動には必ず変化が起こります。「変化」は気づく人がいて初めて変化として認められるわけで、子ども自身は確実に変化しているのに、まわりが気づかないだけということが少なくありません。
 そして、最後の結論として「状況が好転することを期待する気持ちが変化を促していく」ということを申し上げて、講演を終えたいと思います。

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