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何が心を突き動かす突破口になったのか?

2022年9月11に開催された登進研バックアップセミナー113の第1部の内容をまとめました。




回答者 齊藤真沙美(東京女子体育大学・東京女子体育短期大学准教授)
小栗 貴弘(跡見学園女子大学心理学部准教授)
奥野 誠一(立正大学心理学部准教授)
荒井 裕司(登進研代表)

※講師の肩書きはセミナー開催時のものです。

ステージ1▶ 当初のさまざまな葛藤

①学校に行けなくなった直後、子どもはどんな気持ちでいるのか

●子どもの言葉①

・「学校は行くものだ」という意識が強くて、サボるなんてありえないと思っていた。だから、行かなきゃいけない、でも行けないという状態にものすごく葛藤があった

・学校に行っているのが普通で、行かないのが異常。自分は普通の人間じゃない、と思っていた。

「普通」から外れてしまった子どもの複雑な思い(講師:小栗貴弘)

 上に掲げた子どもの言葉に、「行かなきゃいけない、でも行けないという状態にものすごく葛藤があった」とあります。「ものすごく葛藤があった」というのは、この時期の子どもの気持ちを端的にあらわしている言葉です。
 また、「学校に行っているのが普通で、行かないのが異常。自分は普通の人間じゃない、と思っていた」という言葉も、子どもの苦しさをよくあらわしています。

並大抵の覚悟では不登校になれない

 ちょっと変な言い方ですが、並の覚悟では不登校にはなれません。大きな覚悟をもって、子どもは「不登校」という道を選択しています。大人の目からは「甘え」や「怠け」と見えることもありますが、本人はほかの選択肢が見えないくらい追いつめられています。
 多くの子どもにとって、「学校に行く」のは普通のことでしょう。その普通のことができない自分は普通ではないわけです。安全なレールの上を自らの意思で外れた(外れざるをえなかった)ことから、将来への「不安」におそわれます。
 一方で、不登校によって嫌な出来事を避けることができた「安心感」も同時に感じてしまうのが、不登校の難しいところです。この安心感は不登校の継続要因となることもあります。学校に行けない不安感と学校を休めた安心感、相反する思いを同時に抱えている。そんな複雑な状態が、この時期の子どもの気持ちであると言えます。

●子どもの言葉②

・行きたくない、でも行かなくちゃ、と葛藤していた時期は、朝になると、頭痛、腹痛、発熱に悩まされた。でも、行かないと決めたら、症状がすっかり消えた。

・言葉に出せなかったぶん、それがたまって体の症状として出てきたのかなと思う。

ストレスや生活リズムの乱れによる体調不良をどう改善するか(講師:小栗貴弘)

 頭痛、腹痛、発熱などの身体症状が出たときは、心因的なものかどうかはわからないので、まず医療機関を受診して内科的な病気がないかを調べてもらってくださいとお伝えします。そこで身体的には問題がないとわかったとき、次に疑うのがストレスや生活リズムの乱れによるものです。大人でもほとんどの方は経験があるかと思いますが、心と体はつながっていますから、ストレスでおなかが痛くなるといったことは当然あります。

 そういう場合には、ストレスへの上手な対処法を教えてあげることが必要になります。たとえば、感情を表現することはてっとり早いストレスの発散方法になりますから、カウンセラーに相談に行って言葉で気持ちを表現することにより、気持ちを落ち着かせる方法を学んだり、練習することもひとつの手かなと思います。

 ところが、不登校の場合はそれだけではなく、よくあるのは昼夜逆転などの生活リズムの乱れによる体調不良です。昼夜逆転によって腹痛が起こったり、運動不足によって体力が低下したり…。学校には行けなくても、家での生活習慣や生活リズムをどう整えていくかが、こうした身体症状を改善するためには重要になってきます。

②子どもが不登校になった直後、親はどんな気持ちでいるのか
この時期に多い親の対応は?

●親や子どもの言葉①

・友人に相談されたときは、静かに見守ってあげるのよとか、立派なことを行っていましたが、いざ自分が当事者になってみると、黙って見守るなんてとてもできない。

・行かないんじゃない、行けないんだ。そんな子どもが「どうして学校に行かないの?」と聞かれることは、本当につらいことなんです。

8割の子どもは原因が「わからない」(講師:小栗貴弘)

 おそらくほとんどの親御さんは、わが子が不登校になった直後に「どうして学校に行かないの?」と聞いたことがあるのではないでしょうか。ところが、その質問に対して、明確な答えが返ってくることはほとんどありません。

 不登校になった原因や理由は複雑にからみあっていて、「これが原因です」とひと言で言えるほど単純ではないのです。あれも、これも、それも、学校も、先生も、友だちも、勉強も、家族のことも、ぜんぶ関係があるかもしれないし、ひとつひとつはたいしたことじゃないかもしれないけれど、さまざまな悩みが合わせ技のようになってのしかかってきた結果、不登校という状態にならざるをえなかったのではないかと思います。

「なぜ?」と子どもに聞くときは

 では、不登校の理由や原因を子どもに聞いてはダメなのかというと、要は聞き方なんだろうと思います。私自身もカウンセリングをするときに、一応、「どうしたの?」と聞くことがあります。たまに明確な答えが返ってくる場合もあり、その場合はその原因を取り除いてあげればいい。しかし、8割ぐらいの子どもは「わからない」、あるいは「思い当たることがいくつかあるけど、どれが理由なのかわからない」と答えます。

 問題は、そのあとの親の対応なのかもしれません。多くの場合、親はとにかく原因が知りたくて、「わからない」と言われると、「どうしてわからないの!」「何か言えないことでもあるの?!」「いじめられてるの?」「黙ってないで答えなさい」という感じで、怒る、なじる、問いつめるということになりがちです。
 「わからない」という答えが返ってきたときに私が意識しているのは、自分でもわからないで困っているその子に寄り添って、「わからないよね」と言ってあげる

 要するに、原因や理由を聞いてもいいけれど、「わからない」という答えが返ってきたときは、わからないで苦しんでいる子どもに共感し、寄り添うことが大切なのではないかと思うのです。質問をされるということは、関心を向けてもらっていることでもあるので、聞き方によっては、子どもはそんなに不快には感じないだろうと思います。

●親や子どもの言葉②

・小学生の姉妹がふたりとも不登校。赤ちゃん返り(退行現象)を起こした姉をおんぶしたまま、行きたがらない妹をひきずって教室まで連れていった。

・当初、両親は「何がなんでも学校に行け」という強硬な態度で、無理やり制服を着せられ、玄関から放り出された。「でも、結局は行けないんですけどね」。

学校に行かせようとすることは間違いではないが…(講師:小栗貴弘)

 不登校の初期段階で、学校に行かせようとすることはそんなに悪いことではありません。これまでたくさんの不登校の子どもたちと保護者にかかわってきましたが、初期対応が適切だったために長期化しないで済んだケースがけっこうありました。ですから、学校に行かせてみようとすることは、間違いではないと思います。

 しかし、根本的な問題が解決していないのに無理に行かせようとしても、長くは続きません。初期対応で何度か学校に行かせようとしたけれど、やっぱりダメだったという場合は、私たち大人には見えていない大きな問題が背景にあるのかもしれません。その場合は、いくら無理やりひっぱって連れて行っても、結局は無駄骨に終わるでしょう。
 背景に隠れている根本的な問題が見えないうちは、解決は先送りになるわけですが、時間の経過とともにそれが見えてきたり、本人の成長にともなって自然に解決したり、学校の受け入れ環境が変わることで解決に向かう場合もあります。いずれにせよ、なんらかの変化があってはじめて問題解決への道が見えてくるような気がします。

●子どもの言葉③

・親はそばにいて、不登校のつらさを話すまで待っていてくれればいい(いじめのことを話すと親に見放されるのではないかと、言い出せなかった)。

・もし、この状態を言葉にすることができるのなら、半分は解決しているんだよ。正しいことは、もういい。すべてわかっているんだから。

親子の衝突を通して見えてくるもの(講師:小栗貴弘)

 不登校を経験した子どもたちは、よく親に対して「待っていてくれればいい」という意味のことを口にしますが、それが最善の策かというと必ずしもそうではありません。「待ちつづける」対応とは異なる対応をすることで、早期に解決できたケースも少なからずあります。

 たとえば不登校の初期には、よく親子の激しい衝突が起こります。そして、衝突することで見えてくるものがあります。思春期・反抗期の子どもと親の衝突を思い浮かべるとわかりやすいと思いますが、親が子どもの壁になることは子どもの成長にとって非常に重要で、その壁を乗り越えることが大きな意味をもってきます。
 不登校中の親子の衝突を通して、たとえば、「学校に行かせることがゴールではない」「将来的な自立が大事なんだ」「学校には行けないけど、この子にはいいところがいっぱいある」など、いろいろなことが見えてきます。親御さんは、ぜひ衝突によって気づいたことを大切にしていただきたいと思います。

③医療機関を受診するときに考えておきたいこと

●子どもの言葉

・最初の頃は、「息子がおかしくなった」と思ったらしく、内科から始まって、大学病院の精神科での脳波検査、CTスキャンまで、あらゆる検査を受けさせられました。

・母がメンタルクリニックを受診させようとしたけれど、「僕は病気じゃないから行かない」と断った(不登校=病気、みたいなとらえ方をされるのが嫌でした)。

初期によくみられる身体症状(講師:齊藤真沙美)

 不登校の初期には、よく腹痛、頭痛、発熱などの身体症状があらわれます。その時点では身体的な疾患が隠れている可能性もありますので、まず内科や小児科などを受診してくださいとお願いしています。それによって、ごく稀にですが大きな病気が見つかることもあります。ですから、原因はストレスや心因的なものだと決めつけず、まずは医療機関で内科的な疾患をチェックすることが大事です。
 ただ、「子どもの言葉」にもあるように、病院に連れて行こうとすること自体が、「自分は異常と思われているんだ」「病気なんだ」「おかしいんだ」という気持ちをよびさまし、傷ついてしまう側面があるかと思います。

 くりかえしになりますが、不登校の初期段階で身体症状があらわれることはよくあり、決してめずらしいことではありません。とくに朝方にそうした症状があらわれることが多く、昼過ぎから夕方になると症状が消えて、比較的元気になったりします。不登校の初期にはそのような傾向がよくみられると把握しておけば、身体症状が出たからといって、何がなんでも医療機関を受診する必要はないのかもしれません。

 昼夜逆転を心配して、メンタルクリニックや心療内科に連れて行こうとする親御さんもいらっしゃいますが、昼夜逆転でも睡眠がしっかりとれていれば問題はないと思います。一方、何日も眠れない日が続いているとか、食事もとれない状態となると、きちんと医療機関で診てもらう必要があるでしょう。

起立性調節障害、HSCかなと思ったら

 不登校に関連して、起立性調節障害、HSC(非常に敏感な子ども)、発達障害を心配する親御さんも少なくありません。
 起立性調節障害は、自律神経系のバランスが崩れることによって起こる思春期によくみられる病気で、立ちくらみ、めまい、失神などで朝起きるのが難しかったり、倦怠感や動悸、頭痛などにおそわれたりします。不登校の子どもたちの3〜4割が起立性調節障害を発症しているともいわれますが、起立性調節障害と不登校の関係については、ニワトリが先か卵が先かという議論と似ていて、起立性調節障害だから不登校になったのか、不登校になってから起立性調節障害になったのかは、難しい判断です。

 HSC(Highly Sensitive Child 非常に敏感な子ども)は、疾患や障害ではなく、生まれもったその子の気質と考えたほうがいいかと思います。成人の場合は、childではなくpersonになるのでHSPとよばれ、みなさんよくご存じのロンドンブーツ1号2号の田村淳さんもHSPであることを自身のSNSで公表しています。
 HSCの子どもたちの特徴は、いろいろな刺激に対して過敏に反応すること、共感力が高くて感情的な反応が強いこと、物事を深く考えすぎるほど考えること、ささいな刺激を察知する力をもっていることなどがあげられます。こうした特徴をもっているために、社会や集団の中で生活していると、気疲れしてしまうことが多いかと思います。
 一方、発達障害は脳機能の働きにかたよりがみられる障害で、その特徴によって、自閉スペクトラム症、LD、ADHDなどと診断されます。

病院に行く前に、スクールカウンセラーなどに相談を

 このような疾患や気質、障害が明らかになれば、学校に行けるようになるかというと、それとこれとはまったく別の問題で、原因が明らかになったのだから行けるようになるだろうというかかわり方をすると、結局、前に進めなくなってしまうことが少なくありません。
 しかし、それぞれの症状や特徴が把握できれば、その子を支援するうえで役に立つこともたくさんありますので、不登校になる以前から気になっている子どもの症状や特徴があれば、それがその子のつらさや生活しづらさにつながっている可能性もありますので、医療機関を受診してみることもひとつの選択肢かと思います。
 たとえば起立性調節障害なら、対症療法的にお薬を飲んだほうが楽になる場合もあるでしょうし、発達障害のお子さんも服薬することで気持ちが落ち着く場合があります。

 「病院に行こう」と言っても、子どもはそう簡単に「行く」とは言いません。また、どんな医療機関に行くのが適切なのか、医療機関に行ったほうがいいのかどうかといった判断も難しいと思いますので、事前にスクールカウンセラーや各自治体の相談室に相談してみることをおすすめします。その結果、医療機関に行く必要があると判断した場合には、どんなふうに子どもに話をしたらいいのか、そうしたプロセスも相談したうえで、医療機関につなげられればベターかなと思います。

④カウンセリングを受けさせる前に

●子どもの言葉

・一度、母にすすめられてカウンセリングにいったことがあります。でも、この先生とは合わないなと思って、二度と行きませんでした。

・最初は抵抗があったけど、たまたま出会ったカウンセラーがお姉さんのような感じで、相性がぴったりだった。

なぜカウンセリングを受けさせたいのか?(講師:齊藤真沙美)

 不登校の場合、子ども本人が外出できない、家族以外の人と会うのが怖いなどの理由からなかなか相談につながりにくい側面があります。親のほうは、どこか相談機関やカウンセリングに連れて行きたいけれど、子どもが動こうとしないという話はよく聞きます。

 親がなぜ相談機関に連れて行きたいかというと、たいていは、「学校に行くようにするために」カウンセリングを受けさせたい、逆にいえば、カウンセリングを受ければ学校に行くようになるだろうと期待していることが多いのではないでしょうか。
 しかし、そうした意図で始めると、多くの場合、カウンセリングは続きません。そもそも子ども本人が「学校に戻ること」を望んでいなかったりするので、そういう目的で無理やりカウンセリングに連れて行っても、続かずに途切れてしまうことが少なくないのです。

子どもは何を求めてカウンセリングを受けるのか

 では、子どもたちはカウンセリングに何を求めているかというと、「話し相手がほしい」とか「自分が好きなことを一緒に話せるといいな」といった感じがほとんどだと思います。ですから、「自分の話をじっくり聞いてもらえると、そのあと気持ちがほっこりする」というような感じで相談機関に来る子は、カウンセリングも長く続くし、自然とその先に進んでいけるような気がします。つまり、子どもがカウンセリングに求めているものは何かというニーズに寄り添うかたちで、相談につなげていただくのがいいのかなと思います。

 私たちカウンセラーは、「試しに3回だけ来てみない?」といった提案をすることがあります。はじめてカウンセリングに来るとき、子どもたちはものすごく緊張していることが多いので、「来てよかった」という感想にはなりにくいのですが、3回くらい続けていると、「もう少し続けてもいいかな」という感じになる子も多いので、「まずは3回来てみない?」と話をもちかけるわけです。それで3回来てみたけれど、「やっぱり嫌だ」ということなら仕方がありませんが、親御さんも「試しに3回くらい行ってみようよ。それで嫌なら次から行かなければいいんだから」といった提案をしてみるのもひとつの手かもしれません。

 「子どもの言葉」にもあるように、一度、親にすすめられてカウンセリングに行ったけど、この先生とは合わないと思って二度と行かなかった子もいれば、逆に、最初は抵抗があったけど、行ってみたら相性がよかったので続けるようになったという子もいるわけです。
 私がかかわった中学生の女の子は、毎週カウンセリングにやって来るのですが、まったく学校の話はせず、ひたすら私とモノポリーというゲームをやりつづけていました。その後、通信制高校に進学したとき、「先生が何も聞かずにモノポリーを一緒にやりつづけてくれたことが、私には宝物のような時間でした」と言ってくれました。
 このように子どもがカウンセリングに求めているものはさまざまですから、その子に合わせた対応が必要になってくるのだろうと思います。

カウンセリングに合わないタイプの子

 また、カウンセリングに合わないタイプの子がいるな、と感じることもあります。自分が嫌なら嫌と言えたり、モノポリーをやりつづけていた女の子のように自分が求めている過ごし方ができる子は大丈夫なのですが、カウンセリングの場でもカウンセラーに気をつかって、「求められている自分」を演じてしまうようなタイプの子は、カウンセリングを受けてもかえって疲れてしまいます。そういう子は無理をしてカウンセリングを受けるよりも、家の中で安心できる家族と過ごしたほうがいいのかもしれません。

 最初に申し上げたように、不登校の子どもたちはカウンセリングにつながりにくい側面がありますから、親御さんがカウンセリングを受けるだけでもかまいません。子どもの状態やこれからの対応についてカウンセラーと話をするなかで、親自身が見通しが持てたり、安心したり、落ち着くことで、わが子への対応が変わり、子どもへの好影響となってあらわれることが多いのです。それを続けているうちに、子どもが「お母さんお父さんが相談に行くと、いつも笑顔になって帰ってくるな」「自分への対応が柔らかくなったな」と感じたりすると、「自分もカウンセリングに行ってみようかな」などと言い出すこともがあります。

 なお、親だけで相談に行き、カウンセラーのアドバイスに従って「子どもへの対応を変えてみようかな」と思ったときは、いきなり変えると子どもが不安になったり混乱するので、できれば相談に通っていることをオープンにして、「カウンセラーの先生からアドバイスをもらったから、これから1週間、対応を変えてみるね」などと宣言してから変えると、子どもも安心できると思います。

ステージ2▶ 昼夜逆転、ネット・ゲーム漬けの日々

①なぜ昼夜逆転になるのか?

●子どもの言葉

・寝るとあっという間に明日が来てしまうので、わざと遅くまで寝ないようにしたこともある。

・生活リズムはぐちゃぐちゃ。昼と夜の区別もつかず、今日が何月何日かもわからない。ふとカーテンを開けたら夜だった、みたいな毎日。

・最初の頃は、ほとんど昼夜逆転。規則正しくなったのは、フリースクールに通うようになってから。次の日に何か予定があると、「早く寝なきゃ」と思うからなおる。

昼夜逆転は、「原因」ではなく「結果」(講師:荒井裕司)

 不登校になった当初、自分では学校に行きたいと思っているのに行けないという葛藤のなかで子どもは混乱し、自分自身のことがわからなくなったり、心の葛藤が腹痛や頭痛などの身体症状としてあらわれたりします。
 学校に行きたくないから、朝は起きないで布団を被って時間をやり過ごし、うるさい親と顔を合わせないように日中は部屋から出ず、家族が寝静まった夜中に起き出して何か食べたり、好きなだけネットやゲームをやるという子も少なくありません。そういう生活が、結果的に昼夜逆転につながってしまうのです。

 要するに、昼夜逆転になっているから学校に行けないのではなく、学校に行けないという罪悪感や自己否定感で日々押しつぶされそうになるなかで、昼夜逆転にならざるをえないという状況があるわけです。そんな子どもたちに対して、「朝は○時までに起きる」とか「夜は○時までに寝る」といった家庭内ルールを押しつけても、昼夜逆転がなおるわけではありません。子どもたち自身、いまの生活をいいと思っているわけではないのですから。

 それよりも、子どもたちが家で安心して過ごせるような対応を心がけることが第一です。不安がやわらぎ、気持ちが安定してくると、少しずつ元気や意欲が出てきます。すると自然に生活リズムも整ってくるはずです。親としては、それまで焦らずに待つことが大切です。

②なぜゲームやネットにはまるのか?

●子どもの言葉

・20時間オンラインゲームを続け、8時間寝て、またゲームをする。PCを2台使ってツーキャラクターでやっていたので、とにかく忙しかった(笑)。

・おやじに酒が必要なように、僕にはゲームが必要だった。

・スマホを取り上げられるのは、親友を取り上げられるのと同じ。

ゲームは「悪者」なのか(講師:荒井裕司)

 ひたすら何かにとりつかれたようにゲームをしている子どもを見ていると、親としてとても心配になることと思います。昼夜を問わず、曜日や時間の感覚もないほどゲームに没頭するわが子は病気なのかと疑いたくなるのも無理はありません。

 では、子どもたちはゲームが好きだからはまっているのかというと、決してそうではありません。たとえば、「自分はこれからどうなるのか」「どうすればいいのか」という不安から逃れるためにゲームに夢中になったり、不登校であることを忘れるためにゲームをやりつづける子がいます。まさに「おやじに酒が必要なように、僕にはゲームが必要だった」という心境がおわかりいただけるかと思います。また、ゲームをしながら、「自分はなぜ不登校になったんだろう」ということを考えつづけていたという子もいます。あるいは、ゲームは学校では味わえなかった達成感を与えてくれたと言った子もいました。

 最近はひとりでやるゲームよりも、オンラインでつながった相手と一緒にプレイするのが主流ですから、こんな深夜に自分と対戦している相手は、自分と同じ不登校かもしれないという連帯感が生まれたり、ゲーム仲間に相談に乗ってもらったり、オフ会で実際に会って話をするなど、ゲームがリアルな世界でのかかわりつながる場合も少なくありません。そんな出会いがきっかけになり、バーチャルなゲームの世界からリアルな生身の人間とのかかわりのほうが刺激的で面白いことに気づき、これまで人とかかわるのが苦手だった子どもたちが現実世界への一歩を踏み出すことにつながる場合もあるのです。

ステージ3▶ 親と子の衝突

①親と子の衝突は避けられないのか?

●子どもの言葉

・いちばんつらかったのは、「行きなさい」「嫌だ」という毎日の母とのバトル。行かなきゃいけないのはわかってるけど、足が学校に向かないんだからしょうがないじゃんと、ずっと思っていました。

・一度、めったに怒らない父が怒って、私ととっくみあいのケンカになった。ケンカしてよかったと思う。(父はいつも何も言わないので、どう思っているのか怖かったり、私に興味がないのかなと思っていました。その意味で、父とケンカをしてよかったと思う父もそう思っていたみたいです)。

互いを理解するためのいい経験(講師:奥野誠一)

 「親と子の衝突は避けられないのか?」というこのテーマについて、結論から申し上げると、内容によっては避けられと思いますが、そもそも衝突自体は悪いことではありません。衝突することによって、わが子が抱えていた思いがわかったり、親の対応や考え方を見直すよい機会になったりすることがあるからです。

 たとえば、「子どもたちの言葉」の2番目にお父さんととっくみあいのケンカをした話があります。これは、とっくみあいのケンカをすることによって、お互いが考えていることを率直にぶつけ合うことができたということだろうと思います。その結果、お父さんもお子さんに関心を持っていることがわかったということです。

 いろいろな衝突の仕方があると思いますが、衝突することで親の本音がわかったり、逆に子どもが本音を吐き出して、それを親に受け入れられることで人として受け入れられたという感覚を味わったり、あらためて親の愛情や自分に対する心配や思いを実感するような経験になったりします。一方、親のほうも、わが子が相当傷ついていること、思っていた以上にいろいろなことを考えていたことなどを理解する機会になったりします。

 人間に限らず生物の体は、基本的に脳神経系の働きでコントロールされています。生物は、常にいま自分がいる環境が安全なものか、危険なものかをチェックしています。安全な環境であると判断した場合には体がリラックスモードに入り、危険な環境であると判断した場合には交感神経のスイッチがONになり、体に力が入ります。これは自分を守るための防衛反応であり、「逃げる」あるいは「闘う」ための反応でもあります。
 親と衝突するとき、子どもは自分を守るための防御反応として「闘う」を選択したわけですが、その結果、本音をぶつけ合うことになれば、互いを理解し合うためのいい経験になるのではないでしょうか。

 「子どもたちの言葉」の最初に、毎朝、「行きなさい」「嫌だ」という親子のバトルをくりかえしていたとありますが、「行きなさい」「嫌だ」というやりとりは、不登校の初期のころによくみられます。この時期、子どもたちは「どうして行かないの?」と聞いても自分でも理由がわからないことが多いので、こうしたバトルが起こりがちなのです。
 初期のこうしたやりとりはある程度は必要なことであり、こうした経験を経てはじめて、親は「子どもにいくら『行きなさい』と言っても動けないんだ」とわかるようになるのです。
 ところが、不登校がある程度続いた段階でこうしたバトルが起こると、親も子もけっこうしんどいことになります。ですから、不登校が長引いた段階では、「行く」「行かない」でもめるのはできるだけひかえたほうがよいでしょう。

 そもそも子どもの体が防衛モードに入っているとき、「耳の痛い話」「聞きたくない話」は頭に入ってきませんし、それ以外の情報についてもネガティブに解釈するモードになっています。なぜなら、情報を悪いほうに解釈しておけば、実際に悪いほうに転んでもガッカリしたりショックを受けずに済み、自分をダメージから守れるからです。

 不登校の初期のころ、子どもたちはほとんど本音を言いません。ですから親としては、「行かない理由」を探し求めるのではなく、せいぜい「どうしたの?」と確認する程度にとどめておき、子どもが好きなこと、関心のあるこことに話題を振るなどして、コミュニケーションをはかるようおすすめします。
 この時期、話題はついつい学校や勉強関連に向かいがちですが、そうなるとやりとり自体がネガティブなものになってしまいます。ぜひ、「耳の痛い話」以外の話題でコミュニケーションをとってみてください。あるいは、親自身が好きなこと、関心のあること、趣味の話題などを振ってみてもいいかもしれません。

②思わず怒りが爆発して、子どもを怒鳴りつけてしまったら

●子どもの言葉

・いつものように私が部屋で暴れていたとき、母が私の両肩をつかんで揺さぶるようにして、「帰ってきてよ!」と泣き叫んだことがあります。ものすごいショックでした。

大切なのは「感情的になった自分を許す」こと(講師:奥野誠一)

 「子どもの言葉」にお母さんが泣き叫んだエピソードが書かれていますが、いつもは子どもを怒らないようにしよう、受け入れてあげようと気をつけている親御さんが、思わず感情的になって怒鳴ったり、泣き叫んだり、その後、後悔したり、自己嫌悪にかられたり、罪悪感を感じたり…ということが多々あると思います。

 先ほど子どもの「防衛反応」についてふれましたが、これは親のほうにもあてはまることです。たとえば、自分が思い描いたように子どもが動いてくれないとか、言うことをきかないとき、親として、人として否定されたような気持ちになるのではないでしょうか。そんなときは、親のほうも「防衛モード」にスイッチが入って交感神経が活性化し、感情的になってしまうことがよくあります。
 ただ、それは体そのものが自分自身を守るために働いてくれたと思ってください。親自身が、もう疲労困憊でギブアップ状態になっているのです。だから自分がつぶれないように、自分自身を守るために「防衛モード」にスイッチが入ったと考えるべきでしょう。

 こんなときは何をさておき、まずは、ご自身を労ってほしいと思います。感情的になったときにいちばん大事なことは、「感情的になった自分を許す」ことです。お子さんに謝るのは、そのあとでいい。その際、「感情的になってごめんね。でも、お母さんとしてはこんなふうに思っているんだ」と、正直な思いを伝える機会になればいいのかなと思います。

 不登校のわが子にきついことを言ったりして刺激を与えたらいけないと遠慮しつつかかわっている親御さんも多いと思いますが、声かけなどの刺激自体は悪いことではありません。
 ただし、親御さんが何か声をかけたりしたときに、お子さんが嫌な顔をしたら、それ以上は踏み込まず、すぐにひっこめてください。なんでもかんでも刺激をしたらいけないというわけではなく、こちらの刺激に対する子どもの反応にどう対処するかが重要です。
 不登校の子どもたちへの「望ましい対応」といわれるものは、いつどんなときでも必ず効果を発揮するわけではありません。ですから、うまくいかなかったからと言って、ご自分を否定する必要はまったくありません。望ましい対応へのヒント程度に考えておいたほうがいいかと思います。

ステージ4▶ 長期化にともなう不安への対応

①家での居心地がいいと、ますます学校に行かなくなる?

安全・安心な居場所がなければ元気を取り戻せない(講師:齊藤真沙美)

 家にいて、好きな時間に起き、好きな時間にごはんを食べ、ゲームをやって、YouTubeを見て…といった感じのわが子を見ていると、「こんなにラクな生活をしていたら、ずーっと学校に行かないんじゃないか」という心配が頭をもたげてくることがあると思います。
 しかし、そもそも学校に行きたい(もしくは行かなきゃいけない)と思っているのに行けなくて家にいるのは、家が安全・安心な場所だからです。もし家が安全ではなく安心できない場所なら、子どもは学校にも家にもいられなくなり、どこにも居場所がなくなります。家が居心地がいいということは、プラスに考えるべきことです。

 不登校状態は、よく自動車のガス欠にたとえられます。学校でいろいろと疲れることや傷つくことがあって疲れ果て、エネルギーが切れてしまった状態ですから、しばらく休んで、ガソリン(心のエネルギー)を補給しなければなりません。では、それをどのように補給するかというと、「安心して過ごせる、安全な場所で、安心できる人と過ごす」、そういう時間のなかで心のエネルギーがだんだんたまってくると考えてください。

 ですから、「学校に行ってほしいから、家にいづらくする」とか「家の居心地が悪ければ学校に行くんじゃないか」という考え方は、心のエネルギーを補給するためには、まったく逆効果になる可能性があるわけです。子どもの状態に合わせた登校刺激の与え方については、個々の状況によっても違いますので、ぜひ、そのあたりは身近に相談しやすい専門家やカウンセラーを見つけて、アドバイスを受けながら進めてみてください。

 エネルギーがたまってくると、子どもは家の中でじっとなんかしていられません。逆にいえば、いま子どもが家の中で過ごしているということは、まだそこにいてエネルギーをためることが必要な状態なんだ、と理解していただければと思います。

②不登校という“長期戦”をどうしのぐか

●親と子どもの言葉

・こんなこと、映画や小説ではよくあるストーリーだと思うことにした。子どものために会社を辞めざるをえなくなったときも、勤めていたらできないことがたくさんできるから楽しいと考えるようにした。

・妹の幼稚園バスの送迎に私を連れていってくれて、「あれ?お姉ちゃん、今日学校は?」とママ友に聞かれたとき、母がさらっと「いまちょっとお休みしているのよ」と答えてくれたときは本当にうれしかった。

「消極的受容」によって生まれる心のゆとり(講師:齊藤真沙美)

 不登校が長引いてくると、親のほうは「このままで大丈夫なのか」「この先どうなるんだろう」と不安におそわれる一方で、「まわりが何をやっても、本人が動こうとしないかぎりダメなんだな」という、一種あきらめのような境地に至ることがあります。
 このような心境を「消極的受容」といいます。つまり、いまの状況を積極的に受け入れているわけではないけれど、「まあ、仕方ないか」「当初に比べれば、ずいぶん元気になったし」「生きてさえいてくれれば…」とやむなく受け入れるわけです。ここに至るまでには、これまでずっと悩み苦しんで疲れてしまったこともあるでしょうし、慣れてきたこともあるかもしれませんが、いずれにせよこんな心境に行き着くことが多いように思います。

 消極的受容ができるようになってくると、「どうせすぐには学校に行けないんだから、いまこの状態でできることはないだろうか」「学校に行くこと以外でできることは?」と考えるようになったりします。「親と子どもの言葉」の冒頭にもあるように、子どもが不登校だからこそできることを楽しむといった発想の転換も大事だろうと思います。

 「学校に行く/行かない」という視点で見ていたときはなんの変化もないように感じていたけれど、受容的な気持ちで子どもを見るようになると、「夕飯のあとに家族と話している時間が長くなってきた」とか、「ゲームのジャンルが広がってきた」とか、「部屋に置いてあった参考書を開いた形跡がある」など、ちょっとした変化に気づくようになります。そして、こうしたちょっとした変化の積み重ねが、今後の動き出しにつながっていくのです。

 このように現状を消極的に受容できるようになると、不登校が長期化してくる中でも心のゆとりが生まれ、また、どのようなスタンスで子どもを見守っていけばいいのかがなんとなくつかめてきます。すると、それまで隠していたわが子の不登校について、他の人に話せるようになるなど、親のほうにも変化が出てきます。
 それを象徴しているのが「親と子どもの言葉」に掲げた「母がさらっと『いまちょっとお休みしているのよ』と答えてくれた」というエピソードです。親がそのようにオープンな気持ちになると、子どもも「自分はこのままでいてもいいんだ」と受け入れられた気持ちになり、心のエネルギーがたまっていくという好循環が生まれてくると思います。

③子どもとの距離のとり方

●親と子どもの言葉

・家にいるとどうしてもかまってしまうので、パートで働くことにした。外に出ると、子どもが日中ブラブラしている姿を見なくて済むので気持ちがラクになった。

・四六時中に家にいられると、親に見張られている感じがしてプレッシャーだった。

親が距離をとると、子どもが動きだす(講師:荒井裕司)

 子どもとの距離のとり方はなかなか難しいものです。わが子が不登校になり、顔も見せてくれない、口もきいてくれない、取りつく島もないといった状況が続くなかで、距離のとり方をどうすればいいのかは、悩むところだろうと思います。

 心配で仕方がないから、もっと子どもの側にいるために仕事を辞めようか思っているお母さんもいることでしょう。私が家庭訪問をしている中3の男の子は、小6で不登校になり、中学校にはほんど登校せず、誰とも話をしない状態でした。
 地元でも名の通った旧家で、家屋敷も広いのですが、その子は毎日のように屋敷のどこかに隠れてしまうのです。お母さんはその子がどこかに行ってしまうんじゃないかと心配で、家中探し回っていました。逆に言えば、お母さんが追いかけ回すので、彼はそれを嫌って隠れたりしていたのかもしれません。

 そのお宅にはおばあちゃんとおじいちゃんも同居していました。そのおばあちゃんが、彼との絶妙な距離感をもったキーパーソンでした。実はこのおばあちゃんは、お母さん以上に不登校の彼のことを心配していましたが、「じいちゃんと裏山で畑仕事をしてくるから、帰ってきたらおいしいお茶をいれてあげるね」とメモを残して出かけるなど、その愛情の示し方が実にさりげないのです。このように押し付けがましくなく、「あなたのことを気にしているよ」というメッセージを届けるかかわり方はとても参考になります。

 このおばあちゃんを見習って、たとえば専業主婦のお母さんなら、ときどき友だちとランチに行ったり、趣味のカラオケやお稽古事、映画やコンサートなどに出かけて、お子さんが家の中でひとりで自由に過ごす時間を作ってあげたらどうでしょうか。あるいは、ご夫婦で小旅行に出かけるのもいいでしょう。「留守の間、妹たちをお願いね」と頼んだりするのもおすすめです。いつもお母さんが家の中にいると、子どもは監視されているような気分になることも少なくありません。そして不思議なことに、親が距離をとると、子どもが動き出すことが多いのです。

 一方、フルタイムで働いているお母さんの場合は、よほどのことがないかぎり仕事を辞める必要はありません。仕事中は子どものことを忘れていられるし、気分転換にもなるはずです。実際、先の中3の男の子のお母さんにも、私は「パートでもいいですから、どうか外に出る時間をつくってください」とお願いしました。そうすれば、彼はお母さんによるプレッシャーから解放され、自由にのびのびと自分の好きなことを見つけたり、今後のことをゆっくり考える時間がもてるようになるはずです。

ステージ5▶ 動き出す兆しが見えてきたとき

①動き出すきっかけに共通する要素はあるか

●子どもの言葉

・中2のとき、小学校の同級会があったんですが、自分には連絡が来なくて。不登校だと声もかけてくれなくなっちゃうんだ、これじゃいかんな、と思ったのを覚えています。

・15歳になって、もう子どもじゃないし、不登校にもあきちゃった。というか、何もしないことにあきちゃったし。

・母が学校見学に行こうと声をかけてくれなければ動けなかったと思う。救いの手が下りてきた感じで、いま、それにつかまらないとダメになりそうな気がした。

・母は「高校どうするの?」とか、「この先どうするつもりなの?」ではなく、「何かやりたいことはあるの?」と聞いてくれた。

・高校1年の冬、父が晩酌で泥酔し、トイレの便座にしがみつくようにして、「俺のせいでこんなことになってしまったのか? 何がいけなかったんだ?」と泣きつづけていた。怒られるより泣かれるほうがずっとつらかった。

節目に向けてどれだけ準備ができるか(講師:小栗貴弘)

 私がかかわっていた中学生の男の子は、ずっと相談室登校をしていたのですが、ある日突然、教室に行くようになりました。入学後一度も教室に入ったことがなかったのに…とびっくりして、「なんで?」と聞いたところ、たまたま廊下で好きな子に会って、「どうして教室に来ないの?」と誘われたらしいのです。私たち支援者がいくら頑張っても、こうしたウルトラE級のきっかけはつくれないなあと感心しました。

 具体的なきっかけを考える前に、まず「子どもの言葉」を見てみましょう。「同級会に声をかけてもらえなかった危機感」「そろそろ高校進学に向けて動き出さなければ、と感じていたちょうどいいタイミングで、お母さんが言った背中を押すひと言」「不登校に飽きてしまい、新しい何かを始める準備状態が整ったこと」…。「何かやりたいことがあるの?」とお母さんに聞かれた男の子は、確か「高校に行って友だちをつくりたい」と答えたはずです。そして、最後に「泥酔してトイレで泣きつづけていたお父さんの姿」など、いろいろなきっかけがあることがわかります。

 では、こうしたきっかけがあればどの子も動き出すのかというと、そうではありません。動き出すには、その背景にさまざまな準備が整っていることが条件として必要になります。そして、動き出すきっかけになりやすいのが、卒業、進学、進級などの「節目」です。ただし、準備が整っていない状態で節目を迎えても動けません。
 ですから、「節目」に向けて、「どれだけ準備ができるか」が重要な要素になるわけです。節目にはさまざまありますが、小さな節目としては「学期の変わり目」があり、もう少し大きいのは「学年の変わり目」、そして、いちばん大きいのは「卒業&進学」です。これらはただ待っているだけでやってくる節目ですが、「転校」はこちらが意識的に状況を変える、環境を変えるわけで、みずからが主体的に選びとる節目といえるでしょう。

 学期・学年・卒業・進学の節目にせよ、転校にせよ、準備の整っていない状態ではなかなか学校には通えません。たとえば、いじめによって不登校になった場合、「いじめた子のいない学校なら通えるだろう」と急に転校させても、うまくいかないことが少なくありません。いじめにあった子は、友だち関係、ひいては教師や学校にも不信感を抱いていることが多く、その不信感が癒えないうちに学校(転校先でも)に戻してもうまくいくわけがないのです。

 今日のプログラムの流れに沿って振り返ってみると、不登校の当初は親子の激しい衝突が起こり、そのなかで親御さんが「消極的受容」というかたちで子どもの不登校を受け入れ、その結果、親子関係がしだいに回復し…という感じで変化していくわけです。
 当初の親子の衝突自体は悪いことではありませんが、延々とぶつかり続けていると、どうしても関係は悪化します。学校に行っていない子に対して、親が学校に関する話ばかりしていれば、当然、子どもは話をしたくなくなります。ですから、この時期は、学校とか勉強以外の話題で、親子のコミュニケーションがとれるようになっていないといけないわけです。

 冒頭の「子どもの言葉」のなかに「救いの手が下りてきた」というエピソードがありますが、親子でコミュニケーションがとれていなければ、「学校見学に行こう」という親の働きかけは「救いの手」にはならないはずです。逆に言えば、進学に向けた学校選びの時期に「救いの手」が差しのべられるような親子の関係性が確立されていることがポイントになるわけです。せっかくきっかけが訪れても、そうした親子の関係性が成熟していないと、結局、そのチャンスを逃してしまうことになるでしょう。

子ども自身にどんな準備が整っているか

 親子の関係性以外に、もうひとつ重要なのは「子ども自身のなかでどんな準備が整っているか」です。まずは、学習関係の準備。勉強の遅れは、学校に復帰する際の不安材料になります。勉強の遅れが気になって一歩を踏み出せなかったり、登校したはいいけれど授業にまったくついていけなくてショックを受け、また行けなくなる子もいますので、勉強が追いついていることがひとつの安心材料になるかもしれません。
 また、長期間、家に閉じこもっていると体力も低下しますから、学校に通う体力や一日中授業を受けることができる体力があるかどうか、朝ちゃんと起きられるかという生活リズムの問題、健康面にも不安があるかもしれません。こうした不安がひとつひとつ払拭され、準備が整った状態できっかけが迎えられれば、再登校がスムーズにいくような気がします。

 そうした準備を整えるためには、学校に行っていないことを除いて、なるべく「普通の日常生活」を送れる状態に近づけることが大切になってきます。
 たとえば、親子関係が悪化したままだと、どうしても昼夜逆転が改善しにくくなります。なぜなら、昼間にゲームをやっていると怒られるので親が寝てからやり、朝になると親が起きてくるのでその前に寝るという生活になるからです。もし、親子でコミュニケーションがとれる状況にあれば、「ゲームは昼間○時間ならOK」などと話し合いで決めたり、そうなると睡眠や食事などの生活リズムも整ってきて、いろいろな身体症状も解消されるかもしれません。こうした準備が整ったところで節目を迎えることができれば、動き出すタイミングとしては理想的といえるでしょう。

②動き出そうとするとき、親に求められる対応は?

●親の言葉

・母親の私がお膳立てしたことは、ことごとくパー。すべてうまくいかなかった。反対に、娘が自分で決めてことは最後までやり通している気がする。

期待しすぎず、子どもが動きやすい環境を整える(講師:奥野誠一)

 子どもが動き出そうとするときに親に求められる対応とは、基本的には「うまくいかなかったり、失敗したときに、子どもがあきらめずチャレンジを続けられるように支えること」だろうと思います。応援していることをわざわざアピールするようなことは子どもにとってプレッシャーになりがちですから、あえてする必要はありません。

 「親の言葉」にもあるように、子どもが自分で決めたことは多少困難があってもやり通すことが多いと思いますし、逆に、親が段取りをしたことはなかなかうまくいかないことも往々にしてあるかと思います。
 ただし、親がある程度準備を整えておいたほうが、子どもも動きやすい場合がありますので、必要な情報を仕入れたり、さまざまな選択肢を用意するなど、子どもが動きやすい環境を整えておくのは悪いことではありません。しかし、親ができるのはそこまでで、用意した情報や選択肢に興味を示すかどうかは子ども次第というスタンスが重要です。

 親がほとんどの準備や段取りをしたにもかかわらず、子どもがまったく興味を示さなかったりすると、「こんなに準備をしてあげたのに!」と腹を立てたりしがちですが、ポイントとなるのは、やはり本人の自発的な行動だろうと思います。そして、自発的な行動のベースになるのは、その子が熱中できること、興味・関心のあることですから、それがゲームやアニメだとしたら、どんなゲームやアニメにハマっているのかを聞いてみるなど、子どもが好きなことを軸にしてコミュニケーションがとれるようになるといいですね。

 また、子どもが何か新しいことをやろうとしたときは、それについてどんなことを考えているのか、なぜそれをやりたいのかなどについて、無理のないところで聞いてみるのもおすすめです。新しいことに挑もうとしているわけですから、おそらく本人もなんらかの期待と同時に不安な気持ちもあるはずです。そうしたプラスとマイナスの気持ちを受けとめて、親子でコミュニケーションを交わすことが、新たなチャレンジへの意欲を後押しすることにつながるでしょう。

「失敗してもいいんだよ」というメッセージを出す

 なお、子どもが動き出そうとすることについて、本人が前向きな発言をしたときは、「大丈夫? そんなに無理をしなくてもいいんじゃないの?」といったニュアンスで、「失敗しても大丈夫だよ」という親の思いが伝わるようなメッセージを出すことが大切です。すると、もし失敗したり、うまくいかなかったときに、「親に会わせる顔がない」と思ってしまうような状況を回避できますし、再チャレンジするときの動機づけにもなるかと思います。

 余談になりますが、私が中学生のころに放映されていた『若者のすべて』という萩原聖人さん、木村拓哉さんダブル主演のテレビドラマがあり、先日それを久々にDVDで見ていたのですが、山口紗弥加さん演じる中学生の両親が交通事故を起こして服役し、彼女はそれから学校に行けなくなってしまうというエピソードが出てきました。
 その中学生がいよいよ学校に行こうかなとなったとき、まわりの人たちの喜びようは半端ではありませんでした。そして登校初日、クラスは大変な盛り上がりで、彼女はそのプレッシャーにいたたまれない気持ちになって学校から逃げ出し、心にダメージを受けてしまうというシーンがありました。

 当時はそんなふうには見ていませんでしたが、不登校の子が動き出そうとするとき、まわりの大人たちはうれしさのあまり、けっこう前のめりになってしまう状況をわかりやすく描いているなと思いました。うれしさとともに期待もふくらみ、それがプレッシャーとなって子どもに重くのしかかってくるのです。期待値が上がりすぎると、失敗したときにガッカリした気持ちがついつい顔に出てしまうので、それを見た子どもがまたまたショックを受けるという悪循環になりがちです。

 その意味でも、「失敗してもいいよ」というメッセージは大切です。とはいえ、ガッカリした気持ちを顔に出さないというのは至難の業ですから、もし失敗したら、「残念だったね」とか「悔しいね」と言葉に出して、子どものネガティブな気持ちを共有してあげましょう。それが、再チャレンジへの意欲につながっていくはずです。

ステージ6▶ 不登校を経て何が変わったのか

①不登校は「新しい自分を見つけるためのプロセス」

●子どもの言葉

・これまでは1000人いたら、1000人に好かれたいと思っていたのが、いまは合わない人とは合わないし、嫌われてもいいから、自分に素直に生きようと思っています。

・不登校とは、もとの自分に戻るとか元気になるための充電期間などではなく、まったく新しい状態に移行するための〝進化の過程〟であり、その途中のステージだと思う。

自分と向き合う時間から子どもがつかみとったもの(講師:小栗貴弘)

 「不登校とは、もとの自分に戻るとか元気になるための充電期間などではなく、まったく新しい状態に移行するための〝進化の過程〟であり、その途中のステージだと思う」という言葉は、不登校を前向きにとらえた端的な表現だと思います。
 不登校を単に「学校に行っていない」という事象として見てしまうと、「学校に戻った」ことは、「もとに戻った」「あのころのわが子に戻ってくれた」と感じるかもしれませんが、実はそうではなく、内面的には大きな変化や成長を遂げているということです。
 先ほど、なんらかの節目を迎えたときに子どもが動き出すという話をしましたが、子どもの内面が成長していないのに動き出すことは難しいと思います。ですから、子どもが動き出したということは、成長して新しい自分になっている、バージョンアップしていると考えるとわかりやすいかもしれません。

 それを象徴しているのが冒頭の「子どもの言葉」です。「これまでは1000人いたら、1000人に好かれたいと思っていたのが、いまは合わない人とは合わないし、嫌われてもいいから、自分に素直に生きようと思っています」とありますが、とても自信にあふれており、不登校を経験して新しい自分に生まれ変わったことが伝わってきます。
 その子がバージョンアップした部分は、たとえばストレスへの対処法だったり、新しい人間関係のつくり方、感情のコントロールの仕方、勉強への取り組み方などにもあらわれてくるでしょう。そして、子どもの内面の変化や成長だけでなく、家族関係にも変化や成長がみられることが少なくありません。

 さらに、何よりも大事なのは、子どもが不登校を経験して、友だち関係がスムーズにできるようになったり、気持ちのコントロールが上手にできるようになったり、その結果、勉強にも集中して取り組めるようになったりするわけですが、そうしたプロセスを通して子どもが自信をつけていくことです。自分が悪戦苦闘しながら達成してきたことに対して、子どもが自信をもつことができればベストだろうと思います。

 不登校になると、とにかく自分と向き合う時間がたっぷりありますから、そのつらさから逃げるためにゲームに没頭する場合もありますが、学校に行かないという“普通ではない”選択をした自分と対峙し、「自分は何者なのか」「これからどうしたいのか」「どうなりたいのか」といった問いに向き合うわけです。
 その一方で、学期の変わり目、学年の変わり目、卒業、進学など、さまざまな節目が否応なくやってきます。そのときに、自分と向き合いながらようやく答えが見つかりはじめたあたりで、フライングかもしれないけれど見切り発車的に動き出すこともあると思います。

 それでも自分と向き合って、新しい自分を探しつづけた時間とプロセスは大きな自信につながるでしょうし、それは不登校という挫折体験や自分のマイナス面も含めて、「これが自分なんだ」というものを統合するプロセスなのではないか。そして、そのプロセスを経て、本当の自分が見つかるのではないかと思います。

②子どもの不登校を通して、親自身が変わったり、
家族の関係に変化が起こるのはなぜか?

●親の言葉

・娘の不登校以前と以後では、生きるステージが変わったように思う。なんでも受け入れられるようになったし、自分のことも好きになった。主人のことも前よりずっと好きになりました。

・いつも下ばかり向いていた娘が上を向いて歩けるようになるまで5年ほどかかりましたが、その5年間は決して無駄ではなかったし、不登校を通して家族がひとつになったと感じています。

親が変われば、子どもも変わる(講師:奥野誠一)

 先日、不登校のわが子と向き合ってきた親御さんたちの話を聞く機会がありました。そのとき、ひとりの参加者が、ある親御さんから「子どもを支えるうえで紆余曲折があったけれど、その大変な体験こそが貴重な時間だった」という話を聞き、「自分も後々ふり返ったときに貴重な体験だったと思えるように、わが子にかかわっていきたい」と話してくれました。おそらく会場のみなさまも、その参加者と同じ気持ちだろうと思います。

 多くの場合、子どもの不登校を通して親や家族に起こる変化は、まず、子どもにかかわるなかで、親自身の行動や考え方が変わり、それによって子どもも変わり、家族関係も変わっていくということです。初期、中期、後期とさまざまな段階で、子どもの状態を理解しよう、受け入れようとして心と頭をめぐらせたり、いろいろと対応を試したりするなかで、おのずと親のかかわり方も変わってきます。すると、親の対応が変わってきたことを子どもが感じとり、子ども自身も変化しながら回復していくのではないでしょうか。そのときに、親が自分の考えをごり押しするようだと、子どもは変化しにくいような気がします。

 冒頭の「親の言葉」にもありますが、わが子が学校に行かなくなったり、親の思い描いていたとおりに子どもが動いてくれなくなると、親自身の価値観や考え方とは異なる価値観や考え方を受け入れざるをえなくなってきます。これが先ほどから何度も話に出た「消極的受容」に相当する状況だと思います。
 子どものほうも元気になってくるといろいろ動きはじめるので、親子間でぶつかることも増えてくるかもしれません。そのときに、親の思いと子どもの主張が折り合う着地点を見つける必要も出てくるでしょう。その折り合いをつける作業が、そのまま社会で活動していくうえでの生活スキルになっていくはずです。こうして子どもは生活スキルを身につけ、親がそれに対応していくなかで、親子関係をはじめとするさまざまな場面で変化が起こってくるわけです。

 人間関係や家族関係はひとつのシステムですから、システムの一部が変われば、当然、全体に変化が及んできます。最初のほうで、「子どもがカウンセリングを受けたがらない」という話が出ましたが、子ども本人はカウンセリングに行かなくても、親のほうがカウンセラーといろいろ話す機会をもつことによって、自分自身の心の中が整理できたり、対応が変わってきたりします。すると、なぜか子どものほうも変わっていくということがよくあります。これと同様の変化が家族関係のなかでも生じてきて、家族というシステム全体にさまざまな変化が起こってくるわけです。

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