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登進研バックアップセミナー34・講演内容
最近、自分をほめたことがありますか?
講師 | 海野千細(八王子市教育委員会指導課主任) |
わが子が不登校になったときの親の思い
今日の第1部の講演のテーマは「最近、子どもをほめたことがありますか?」でしたが、第2部では、子どもをほめるためには、まず親の心が元気でなければ…という視点から、お母さんお父さんが苦しい状況のなかでどう心の安定を図っていくかについて考えてみたいと思います。
まず、子どもが学校に行けなくなったとき、親はどんな気持ちになるのでしょうか。
以下の文章は、お子さんの不登校問題で相談に来られたお母さんたちの思いを、私なりに整理してみたものです。
「子どもが学校に行けなくなった」
ただ、それだけのことなのに、
どうしてこんなにつらいのでしょう。
何も悪いことをしたわけでもないのに、
どうしてみんなの視線がこんなに痛いのでしょう。
自分の育て方のどこが悪かったのか。
「学校へ行く」、ただそれだけのことが、
どうしてできないの。
テストでいい点をとってこいとか、
ちゃんと勉強してこいとか、
授業中、手を上げろなんてことは言わない。
ただ、行ってくれさえすればいいんだ。
どうしてそんなこともできないの。
そんな弱い子に育てたつもりはない。
あの子が学校へ行けなくなってから、
私がどんな思いで毎日を過ごしていたか。
あなたにわかりますか。
このような思いを抱えたお母さんにとって、子どもをほめることがどんなに大変か。「ダメなところはいくらでも思いつくけど、いいところなんてひとつも見つからない」というお母さんもたくさんいます。
子どもの心の壷に穴があいたとき
相談機関などに行くと、「学校や勉強のことは一切口にしないでください」「お子さんをありのままに受け入れてあげましょう」と言われることが多いと思います。これは、ひと言でいうと「子どもを受容する」ということですが、ではなぜ子どもを受容することが必要なのでしょうか。
(ホワイトボードに「壷」と「水道の蛇口」の絵を描いて)この壷は、お子さんの心だと思ってください。そして、水道の蛇口を親だと思ってください。子どもを育てていくときに、親がこの蛇口から子どもに愛情を注ぎ続けていくと、注がれた愛情が子どもの心の壷にたまっていき、人に対する「安心感」「信頼感」が生まれてきます。
親も人間ですから、いつもいつも愛を注いでばかりもいられなくて、ときには子どもを頭ごなしに怒鳴りつけたり、「産まなきゃよかった」と思ったり、親子間でトラブルが起きたりするわけです。すると、子どもの壷に穴があいたり、ヒビが入ったりします。まあ、そうなってもだいたい子どもは元気に育っていくもので、そもそも世の中に無傷な子なんていやしません。みんな傷だらけの人生を歩んでいくのです。それでもなんとか元気でやっていけるのは、壷にあいた穴から漏れ出す量よりも、注がれる量のほうが多いからです。
子どもが学校に入ると、さらにいろいろな出来事にぶつかります。友だちや先生との関係で「自分を認めてもらえた」「受け入れられた」という経験をしたり、反対に、嫌なことや腹の立つこともたくさんあります。人を信じられなくなるような経験をすることもあります。
そのなかで不登校のきっかけになるような出来事――友だちとケンカをした、いじめられた、先生に殴られた、部活の先輩とうまくいかない等――が起こると、その子の壷に穴があいたりヒビが入って、なかの水(安心感や信頼感)がだんだん減っていきます。
すると、子どもは元気がなくなったり、落ち着かなくなったり、あるいは、頭痛、腹痛、発熱といった身体症状があらわれる場合もあります。朝になるとなかなか起きられなかったり、37度ちょっとという微妙な熱が出たりする子も多いのですが、たいしたことはなさそうなので、親としては「頑張って行きなさい」と言ってしまう。そうこうするうちにどんどん調子が悪くなり、ついには学校に行けなくなってしまう、ということになります。
そのとき、その子の心の壷は「安心感」や「信頼感」に代わって、「不安感」や「不信感」でいっぱいになっています。親御さんができることは、この失われた安心感や信頼感を少しずつ増やしていくことに尽きると言ってよいでしょう。こうした安心感や信頼感を高めるはたらきかけを、ひと言でいうと「受容」ということになります。
子どもを「受容する」とは?
受容といわれてもなかなかイメージがわかないと思いますが、簡単に言うと、「子どもが安心すること、喜ぶこと、元気になることをしてあげる」ことです。
注意してほしいのは、あくまで「子どもが」安心する、喜ぶ、元気になることをやるのであって、子どもが主体だということ。親は、つい自分たちに都合のいいことをやってあげたくなるからです。
たとえば、「あなた、勉強が遅れているでしょ。不安だろうから、お母さんが見てあげるわよ」と言ったりする親御さんも多いのですが、それはお母さんが安心することであり、子どものほうは勉強なんかちっともしたくなかったりするわけです。それどころか、勉強をやりはじめると学校での嫌な出来事を思い出すので、気持ちが落ち込んでしまうという子もいます。
お父さんが日曜日に張り切って、「おい、キャッチボールでもしようぜ。いい天気で気持ちがいいぞ!」と誘ったりすることがありますが、これも息子のほうはいい迷惑だったりする場合があります。お父さんは体を動かすことが大好きでも、子どもが同じとはかぎりません。子どものほうは運動が苦手なうえに、他人の目が気になって外に出たくないと思っていたりして、「なんでこんなことやらなくちゃいけないんだよ」とますます元気がなくなったりします。そうするとお父さんは、「こんなに気をつかってやっているのになんなんだ!」と腹を立てて子どもを叱ったりするので、子どもにしてみれば踏んだり蹴ったりです(笑)。
このようにお父さんお母さんの得意技でその子の力になろうとすると、たいがい子どもが嫌がることを押しつける結果になりがちです。親というものは往々にして、子どもが不安になったり、嫌になったり、腹が立つようなことをしたくなってしまうものなんです。
だから、できるだけそういうことをしないように心がけ、そして、子どもが安心すること、喜ぶこと、元気になることをやってあげようとすること。これが「受容」のイメージです。
ですから、受容とは、「ただ黙って見守っている」とか「待っている」ことだけをいうのではありません。日常の小さなこと、ささいなことでもいいのです。たとえば、晩ごはんを子どもの好きなハンバーグにするといったことも、子どもが喜ぶこと=受容につながります。
そして、究極の受容とは、子どもがどんな状態であっても「あなたはそのままでいいんだよ」というメッセージを伝え続けることです。正直、これは人間業(わざ)ではありません。これができた人を、私はひとりだけ知っています。乙武洋匡さんのお母さんです。
乙武さんの著書『五体不満足』には、彼が生まれたときのことが書かれていて、出産後、初めてわが子に会ったお母さんが、両手足のない彼を見て「かわいい」と思ったというのです。まさに究極の受容です。
しかし、普通はなかなかそう思えるものではありません。私自身、家内から今でもそのときのことを言われるのですが、長男が生まれたとき、看護師さんが息子の頭を必死に隠すんですよ。「なんでもないですから」と何度も言うんですが、そう言われたらますます何かあると思うじゃないですか。そうしたら頭が布袋様のようにビョーンと伸びていたんです。だんだん元に戻るので心配ないとのことでしたが、その程度のことでも「えっ?!」と思ってしまうくらいですから、乙武さんのお母さんのように受容することは本当に難しいことだと思います。
「こんな状況でよくやっている」と自分を認めてあげる
実は、お母さんお父さんにも心の壷があります。
そして、子どもが不登校になったとき、親の心の壷に大きな穴があいてしまうことがあります。お母さんの壷に穴があいたとき、お父さんが愛情を注いであげられればいいのですが、お父さんも仕事のストレスでヘトヘトになっていて、とてもお母さんのことまで手が回らないという場合も多いのです。そうなると、子どもの壷に愛を注ぐどころの話ではありません。
そんなとき、どうすればいいか。これはもう自家発電しかありません。つまり、「こんな状況で、よくやってるわ」と自分で自分をほめてあげるわけです。毎日、生活していくだけでもしんどい状況のなかで、「私、よくやってるわ」とまず自分を認めてあげてください。
子どもが不登校になると、お母さんは「私の育て方が悪かったのか」と自分を責めたり、まわりから責め立てられているような気持ちになることがあります。実際、祖父母や親戚、あるいは夫からさえ責められることがあります。専業主婦の場合は、外の世界とのつながりもほとんど子ども関係の人たちで占められていますから、そうしたつきあいも避けるようになったりします。
そうなると、自分が誰からも受け入れてもらえない、認めてもらえない。ましてや、ほめられることなんてありえない、という状況におちいります。
そんなとき、せめて自分だけは、自分を見捨てないでください。自分に少しやさしくなって、自分を認めてあげてください。三度の食事を作るだけで精一杯という日もあるでしょう。夫を見ていて、「私がどんな気持ちで、毎日子どもと過ごしているかわかってるの?!」と言いたくなるときもあるでしょう。
なかには、子どもが学校に行ってないことを、お父さんに内緒にしているお母さんもいます。そんなことがわかったら、お父さんが子どもに何をするかわからないというのです。そうなると、ますますお母さん一人ですべてを抱え込まざるを得なくなります。
このセミナーはいつもお父さんの参加が非常に多いのですが、普通こういう会に行くとお母さんばかりで、お父さんはほんの数人ということがほとんどです。ですから、ご両親が一緒にこういうセミナーに来ることができるだけでも、お母さんにとってはどれだけ心強いことかと思います。今日来ていただいたお父さんには、心からお礼を申し上げます。これからもどうかお母さんを大事に支えてあげてください。
目的は「登校させること」?
今日の第1部では、お子さんをほめる体験学習をしました。ほめることで、お子さんの気持ちにどんなプラスの変化が起こるかも学習しました。しかし、その一方で、ほめることには「副作用」のようなものもあります。最後に、その副作用についてお話をしたいと思います。
ほめ方として理想的なのは、本心からほめることです。心から、「すごいね」「えらいね」「上手だね」と言えれば、それがいちばんいい。でも、本心からほめるというのは、現実的にとても難しいわけです。だって、学校に行かないで、毎日、家でダラダラ過ごしているだけなんですから、とてもほめる気になんかならないですよ。
でも、真面目な親御さんほど、「この前行ったセミナーで、子どもをほめるといいと聞いたから」と、無理やりにでもほめようと頑張るわけです。しかし、そうなると、ほめるということが「方法」や「手段」になってしまうのです。
方法や手段ということは「目的」があるわけで、では、その目的とは何かということです。
たとえば、「登校すること」が目的でほめようとすると、いくらほめても一向に登校しないという状況が必ず起こります。そうなると、親としては「こんなにほめているのに、学校に行かないじゃないの!」という気持ちになりますから、だいたい腹が立つようになっているんですね(笑)。一生懸命に頑張ってほめていた親御さんほど、怒りが爆発します。
これは「ほめる」ことに限らず、「方法」や「手段」についてはみんな同じです。たとえば、本を読んで、そこに書いてある方法を張り切ってやってみたけれど効果が出ないとなると、だいたいわが子に腹が立つんです。
怒ったお父さんが、「お前は、お父さんお母さんがどんな思いで一生懸命やってるか、わかってんのかーっ!!!」と怒鳴り散らして、今まで積み上げてきたものを全部メチャメチャにしてしまい、またゼロからやり直しというのはよくあるパターンです。ゼロならまだマシで、ダイエットのリバウンドじゃないけれど、やっては崩れ、やっては崩れを何度もくり返しているうちにますます状態が悪化してしまった、みたいなことが起こりやすいのです。
今のままでいいと思っている子はいない
要するに、目的を「登校」に置くから腹が立つのです。そうではなく、先ほど「受容」の話で申し上げたように、ほめることによって、「その子が安心したり、喜んだり、元気になること」を目的にしてみてください。そうすると、効果はたちどころにあらわれます。
しかし、ここでもまた副作用のようなものがあって、ほめた結果、子どもが元気でニコニコして、安心して機嫌がいいとなると、「そんなに元気なのに、なんで学校に行かないのよ!!」と、また腹が立ったりするわけです。その気持ちはよくわかりますが、子どもが学校に行くときは、だいたい学期の始まりや学年の始まりなどの“節目”を利用して行きますから、今日元気になったから明日行くというものではないのです。
よく、「うちの子は、学校に行かない以外はほんとに普通なんですよね」と苦笑まじりにおっしゃるお母さんがいますが、ほとんどの子がそういう“元気なのに学校に行けない”時期を経て、再登校に至ります。ですから、やがて来る節目のときに、その子が「よし、頑張ってみよう」という気持ちになるために、そういう時期が必要なんだと考えてみたらどうでしょうか。
そういう時間を過ごしているうちに、子どもは、今、自分が置かれている現実と向き合えるようになってきます。今のままでいいなんて思っている子はまずいませんから、今までは向き合えなかったこと、考えられなかったことも、元気が出てくると少しずつ考えられるようになって、「なんとかしなくちゃ」と思えるようになってきます。
ですから、目的は「登校」よりもっと手前に置いて、お母さんお父さんがその子の壷に愛情を注ぎ続けていくことです。すると、その子がどうなるかは、みなさん自身がほめられたときにどんな気分になるかを考えてみてください。だいたいそれがひとつの目安になります。
たとえば、自分がほめられて気持ちが楽になったとしたら、子どもにもそれと似たような状態が起きるかもしれません。するとさらに、自分に与えられた状況をなんとかしようという気持ちが湧いてくる。それが、自分で問題を解決する力、あるいは解決しようとする力を育てることにつながっていきます。
とはいっても、物事はそう思うようにはなりませんから、あくまで「努力目標」だと思ってください。そのなかで、できることがあったらやってみよう、というふうに軽く考えて、お母さんお父さんがやれることを探していけたらいいなと思います。