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動き出せない心のなかに動く兆しをどう見つけるか Part.2

 2015年11月14日に開催された登進研バックアップセミナー95「不登校―動き出せない心のなかに動く兆しをどう見つけるか」の内容をまとめました。

講 師 霜村 麦 (臨床心理士) 齊藤 真沙美
講師:齊藤真沙美(臨床心理士)
齊藤真沙美(臨床心理士)
テーマ4 両親の仲が悪かったり、父と母で対応が違うと、
子どもに悪影響を与えるの?
齊藤  この質問に対する結論を先に申し上げると、もちろん影響はあると思います。学齢期の子どもにとって、一日のうち家庭と学校で過ごす時間がいちばん長いわけですから、そこで受ける影響はそれなりにあると考えたほうがいいでしょう。
 ただ、ご両親の不仲だけがとくに強烈な影響を与えるというわけでもありません。あるお母さんが学校に面談に行った際、担任の先生に「離婚をして家庭内が不安定だからお子さんが不登校になったんじゃないか」と言われ、かなり傷ついて相談に来られたケースがありましたが、不登校は決して両親の不仲や離婚だけが原因で起こるような性格のものではありません。もちろんひとつの要因として影響するとは思いますが、もっと総合的に検討する必要性があるものだろうと思います。
 そもそも不登校とは「学校に行かない・行けない状態」を指すものですから、学校がめちゃくちゃ楽しくて魅力的であれば、普通に考えたら学校に行きますよね。その点から考えても、お子さんが所属している学校、家庭、地域などでの関係性すべてを含めて総合的に考えるべき問題だと思います。

両親の不仲と不登校との関係とは

齊藤  不登校になるメカニズムのなかで、ご両親の不仲がどのような影響を与える可能性があるかについて少しお話ししたいと思います。
 まず、学校は集団生活をする場であり、勉強をする場であるので、当然、子どもにとって楽しいことばかりではありません。嫌いな教科もあるし、できない教科もある。気の合わないクラスメートもいるし、イヤな役割を果たさなければいけないこともあり、みんなで生活している場である以上、それぞれがなんらかの我慢をして過ごしていかなければならないという側面があります。
 そのうえで、「イヤなこともあるけど楽しいこともある」という状況であれば、だいたい学校に対してプラスの思いのほうが強くなりますし、たとえマイナスの要素が大きくなっても周囲のサポートが大きければ、そのサポートに支えられて登校することができます。
 では、なぜ不登校になるかというと、①学校では不快なことやイヤなことが多いうえに、②まわりのサポートが十分に得られない状況が重なった場合に、①+②=「学校に行けない」ということが起こってくるのだと思います。
 この時点で夫婦間の不仲があり、家庭が不安定な状況にあるとすると、子どもにとってご両親がサポート源になりにくい、ということになります。つまり家庭がエネルギーを蓄えたり、安らげる場所になりにくいという点で、サポート力が小さくなっている。そのために学校に行きにくいという状況が起こってきます。
 不登校になる前でも不登校になってからでも同じですが、子どもが元気を取り戻すためには、安心できる環境で安心できる人からサポートを受け、たくさんエネルギーをためていくことが必要になります。そのときに家庭内が夫婦の不仲によって不安定になっていると、エネルギーが十分にたまっていかない状況が起こるため、再び学校に足を向ける状態が整わないという意味で、家庭内の不和は不登校に影響を与えるといえます。
 しかし、不登校とは学校に行かずに家にいる状態であるとすると、もし子どもにとって自分の家がそこにいたくないほどイヤだとしたら、不登校にもなれない状態が起こってくるはずです。なんらかの安心できない状況があるとしても、その子にとって家の中がもっとも安心できる居場所だという認識があるからこそ、不登校でいられるのだと思います。

両親がまったく同じ対応をする必要はない

齊藤  もうひとつ、ご両親の対応が違うと子どもに悪影響を与えるのかという問題ですが、私はお父さんとお母さんがまったく同じ対応をする必要はないと思っています。
 ご両親それぞれに得手不得手があるわけで、この領域のこんなかかわり方は得意だけれど、この領域は苦手というものがあるはずです。むしろ、その得手不得手をふまえて、かかわる場面やかかわる内容について役割分担をしてもかまわないと思います。同じ場面で同じことを言わなければいけないとも思いません。ただし、前提となるお子さんの状態をどう考え、どんなかかわり方で、どんな方向にもっていくかについてはご夫婦で共通認識をもち、そのうえで役割分担をしたほうが望ましいでしょう。
 いつもこのセミナーはお父さんの参加率が高いと感じていますが、教育相談の現場にいると、日頃からお子さんとメインにかかわっているのはやはりお母さんが多いことがわかりますし、相談機関に来られるのもほとんどがお母さんです。
 相談の現場でお母さんからよく聞く話としては、お母さんはなるべくお子さんの気持ちを理解して、その子の状態に応じた対応をしようと思っているけれど、お父さんが不登校という状態をなかなか理解してくれない、という悩みがあります。そのため、お父さんは「学校に行け」と強く促したり、家でダラダラしている子どもを見るたびに怒ってしまい、お母さんが望むような対応をしてくれないという話になることが多いです。そんなときは、お父さんにどんなことなら理解してもらえるか、どんな場面ならかかわってもらえるかについて一緒に考えたりします。
 ご両親の役割分担ということでいえば、一般的に男性というかお父さんは、お子さんの気持ちを情緒的に受けとめることが苦手なので、その子の気持ちを汲み取って、それを言語化したり受け入れていく役割はお母さんにお願いすることが多いです。一方、進路に関する情報収集や学校との面談など、外向きの役割は連絡の調整も含めてお父さんに活躍してもらったり、学校見学やお子さんが興味のある趣味や習い事の送り迎えなどについてもお父さんに協力してもらうなど、実際にやってもらえる役割を見つけて、お願いすることが多いかと思います。

親子ゲンカになったら、両親のどちらかが歯止め役を

齊藤  自分が不登校になったことでご両親がもめている状況は、子どもにとって非常にしんどいことです。それはできるだけ避けたほうがいいし、もめている状況を見聞きすることも、その子の状態によい影響を与えるとは思えません。できる範囲内で、ご両親の対応のあり方について共通理解を深めていく必要があるでしょう。
 ただし、何がなんでも足並みをそろえてやらなくてはいけないと無理をすると、逆に悪循環になることもあるので、お子さんの状態とご両親のとらえ方、どんなことができそうかということも含めて総合的に考え、いまできることをやっていく。そして、お子さんの変化に応じて、対応をまた検討していくことが必要だろうと思います。
 なお、ご両親だけでお子さんの状態を見立てて判断し、対応を検討することはなかなか難しいので、一緒に見守ってくれるカウンセラーなどの専門家がいるほうがよりよい見極めができるのではないかと思います。
霜村  ちょっと追加でお話しすると、親子ゲンカになったときはご両親が同調しないほうがいい場合もあります。
 ケンカというと、どうしてもお母さんのほうがお子さんと接する時間が長いので、感情的に刺激し合って母子のバトルになることが多いように思います。一方、お父さんは家にいることが少ないので比較的冷静にお子さんと距離をとれる面もありますが、その逆もあって、お父さんが子どもにいちいち干渉しすぎるために父子ゲンカになる場合もあります。
 そんなときは、「お子さんの立場に立つ人」と「ニュートラル(中立)な立場の人」というように、ご両親の役割分担が分かれているほうが、お子さんにとってはいいことかもしれません。「まぁまぁ…」と間に入る役割の人を事前に決めておいたほうが争いを避けられるということもあります。
 お母さんは、お父さんに「どうしていつも私の味方になってくれないの?」という思いを抱きがちですが、お子さんとバトルになったときに必ずどちらかが歯止め役になるというルールを決めておくと、夫婦の意見がくい違っても腑に落ちる部分があるのかなと思います。
 いずれにせよ、お子さんにとっては味方がいてくれたほうが自分の気持ちを出せるので、バトルになったときは間にひとり入ったほうが悪循環にストップをかけやすいということも覚えておいてください。
テーマ5 発達障害をもつ子が、感覚過敏などで教室にいること自体が
拷問のように感じられる場合は、無理に学校に行かせるより、
休ませたほうがいいの?
霜村  発達障害のお子さんは、いろいろな音の刺激や肌ざわり、味覚(舌ざわり)などについて敏感で、普通ならまったく不快と感じないレベルの音でも、耐えられないほどの苦痛を感じてしまうことがあります。そのため、人声などでザワザワしたところにいられなかったり、音が少しでもはずれていると歌が聴けなくなったり、味覚が敏感な場合はかなり偏食傾向がみられることもあります。自閉症のお子さんなどは、偏食が過激になると白いご飯しか食べられない、あるいはふりかけご飯しか食べないという子もいます。
 こうしたお子さんの場合、ほかの子と一緒に教室にいること自体がたまらなく苦痛であり、なんの配慮もなしに教室にいなさいということが「拷問のように感じられる」ことは十分に考えられます。

障害が濃いか薄いかによって対処のしかたも異なる

霜村  発達障害は、最近、児童精神科などで診断名として非常に流行っている状況にあります。自閉症スペクトラム、ADHD、アスペルガー症候群など、いろいろな診断名がありますが、発達障害の診察を受けに行くと、おそらくどなたでも何かしらの診断名をつけられてしまうのではないかと思います。要するに、発達障害の有無ではなく、症状的に濃いか薄いか(重いか軽いか)というレベルで判断されがちなので、どなたでも薄いなりに何かしら発達障害の要素があるという判断になるわけです。
 薄いグレー、つまり「ややその傾向がある」と診断されるお子さんもいます。その場合、わが子を本当に発達障害ととらえていいのかという問題もあります。同じグレーでも濃いグレーであれば、まわりの配慮もかなり必要になってきますが、そんなに発達障害的なところに注目せずに、かかわりのなかで改善していくとか不安を緩和していくことで、学校に復帰できるケースも多くあります。
 そのへんはお医者さんと相談するなかで判断していくわけですが、「軽いかな」と思われるような場合は、あまり発達障害的なところに注目しなくてもうまくやっていけることがあります。ただし、検査などを受けて明らかに能力的な凸凹がある場合は、きちっと対処していくことが必要です。

医療機関でできること、教育機関でできること

霜村  では、発達障害のお子さんにどのようにはたらきかけたらいいかですが、医療機関でできることと教育機関でできることはそれぞれ異なります。
 医療機関では、たとえばADHDのように注意力や集中力が続かないために、次々といろんなものに興味が移って落ち着きがなく、多動の傾向があるお子さんの場合には、そうした行動をコントロールするための薬が処方されます。その子のもつ傾向がさまざまな不適応の問題を大きくしているのであれば、薬を飲んでコントロールすることも必要になってきます。こだわりの強さや感覚過敏などの症状を薬でマイルドにしていくことも医療機関では行われています。
 発達障害のお子さんがどんなところで生きづらさを感じているかというと、感覚過敏や落ち着きのなさ以外に、社会性を学習することができにくいという点があげられます。具体的には、コミュニケーションのトレーニングが落ち着いてできないとか、理解のしかたにかたよりがあるために「相手がどう思っているかを察する」「言っていいことと言わないほうがいいことを判断する」「空気を読む」といった点で難しい面があります。明らかに目に見えるものや数値で表せるようなものなら理解できるのですが、相手の表情を読んだり雰囲気を察知することが苦手なために、集団のなかで社会性を学ぶことが困難になりがちです。その結果、クラス内で浮いてしまったり、学年が進むと面倒くさい存在として扱われたり、いじられたりすることが起きやすくなります。
 そうした苦手なことを克服するための学習方法はたくさんあります。いわゆる「ソーシャルスキルトレーニング」といわれるもので、主として人間関係や人とのコミュニケーションをどのようにうまくとっていくかという学習ですが、最近はこれを学校のなかで行う環境ができてきています。通級指導学級というクラスに通って、小集団のなかでソーシャルスキルなどの学習をするわけです。
 このように医療機関でできることと教育機関でできることが別々にありますので、必要性に応じてそれぞれの対応をきちっとやっていくことが大切です。

もしかしたら…と思ったら地域の教育相談所へ

霜村  発達障害があることが明らかで、ソーシャルスキルトレーニングや治療を受けたほうが本人の生きづらさが和らぎ、生活しやすくなるのであれば、学習や治療を行いながら学校生活に戻っていくようにすることもできます。
 「どうしてみんなボクを怒るんだろう」「なぜこんなにからかわれるんだろう」「どうしてこんなふうになっちゃうんだろう」という疑問について、本人にわかりやすく説明し、解釈を助けてあげることも大切です。また、ソーシャルスキルの学習はくり返すことで身についていくので、できれば小学生のうちからこうしたトレーニングのできる環境を用意してあげることが望ましいでしょう。
 現在、発達障害があるのかどうか不安を感じているのであれば、まずは教育相談室などに出向いて、お子さんにどんな特徴があるのか相談してみてください。その結果、場合によっては検査等を受けて、そうした特徴が客観的にあるかどうかを調べ、地元の医療機関につなげてもらうこともできると思います。
齊藤  いま霜村先生のお話にもありましたように、公的な教育相談所でもお子さんの能力のバラつきなどについて検査をすることができます。医療機関ではありませんので診断をすることはできませんが、医療的な配慮が必要と考えられる場合は適切な医療機関を紹介することもできますので、「もしかすると…」という心配があり、そのことでお子さんがしんどい思いをしている現状があるようでしたら、教育相談所を活用するのもひとつの手だと思います。
テーマ6 動けない子の心のなかで、ひそかに動き出しているものに
気づくにはどうしたらいいの?
齊藤  今日のメインテーマであるこの質問には、私と霜村先生の二人でお答えしたいと思います。
 私たちカウンセラーは、お子さんの不登校について相談を受けたとき、その子の心のなかにあるものをなんとか知りたいと思いながら接しています。しかし、心のなかは目に見えないので、何を手がかりに心の動きを知ろうとするかというと、その子の言動を手がかりにせざるを得ません。ところが、今日のテーマは「動けない子の心のなかで、ひそかに動き出しているものに気づくにはどうしたらいいの?」ですから、動きがまったく見えない状況のなかで動きの兆しを探していこうというわけで、これはかなりの難問です。
 でも、もしそこで何かが見つかれば、親御さんにとっては安心材料になるでしょう。変化の兆しが少しでも見えれば先の見通しがもてるし、少しずつでもプラスの方向に進んでいることがわかればサポートしやすくなり、その子の状態に合わせた支援方法も検討しやすくなります。
 では、そうした兆しに気づくためにはどうしたらいいのかということで、2つの視点にしぼってお話をしたいと思います。

いろいろなタイプの「ものさし」をバリエーション豊富にもつ

齊藤  変化の兆しを見つけようとするとき、私たちは、その子のある時点との違いを探そうとします。「1カ月前はこうだったけど、最近はこんなふうになってきた」という具合です。
 しかし、見る人が何を「変化」と考えるかで、同じ現象でもとらえ方がまったく違ってきます。たとえば、「学校に行く/行かない」という「ものさし」で見たら、去年も行っていないし、今年も行っていないという子は、「まったく変化がない」ということになります。しかし、もっと細かく刻んだ「ものさし」で見れば、じつはなんらかの兆しが出ていたり、新たな変化に気づくことがあるかもしれません。
 このセミナーでも参加者の方々に「お子さんの変化」についてアンケートを書いていただいたことがあります。その結果は、参考資料の「最近、お子さんになにか変化はありましたか?」に掲載されていますが、これをご覧になると、みなさんがこれまで兆しや変化と思っていなかったけれど、「これは当てはまる!」と思うものがけっこう含まれているのではないでしょうか。自分の努力だけで、子どもを見る「ものさし」の目盛りや尺度を変えるのはなかなか難しいものですが、どういう視点で見ていくといいのかという手がかりがあると、毎日の生活のなかでお子さんの状態をより細かく見ていくことができると思います。
 たとえば、お子さんが家のなかで一日どんな過ごし方をしているか考えてみてください。「勉強もしないし本も新聞も読まない。テレビをただボーッと見ている」と見てしまえばそれだけですが、じつは、自分の部屋から出てきてリビングにいる時間が長くなったとか、同じテレビでも見る番組が変わってきたとか、食事をしたあとお皿を流しに下げるようになったとか、いろいろな変化が出てきていたりします。
 身だしなみについても、お風呂やシャワーに入る回数が増えたり、髪の毛が伸び放題だったのが床屋さんに行くようになったり、そこまでいかなくても、ちょっと髪型を気にするようになっただけで大きな変化でしょう。エネルギーがたまってくると、このように外向きの変化が出てくることがよくあります。
 興味・関心にも変化が起きてきます。ずーっとゲームをしていることに変わりはなくても、ゲームソフトに変化が出てくることがあります。たとえば、最初は一方的に敵を倒すゲームばかりだったのに、いつの間にかロールプレイングゲームや何かを育てるゲームをやるようになったり、オンラインゲームで対戦相手とやりとりをするようになったり……。受け身的なゲームソフトから能動的なものに変わったりする場合もあり、自分からはたらきかけようとする姿勢が出てくるだけでも大きな違いです。

その子の言動の背後にどんな意味があるのか

齊藤  一方で、状態が逆戻りしているんじゃないかと思うような変化もあります。たとえば、不登校になった当初、自分の部屋にこもりがちだった子が、少しずつ家族のいるリビングに出てくるようになったのに、中3になったら再び部屋にこもってしまったというケースがあります。一見後退しているように見えますが、本人に話を聞くと、中3になって進路情報がまわりから入るようになり、ご両親もソワソワしはじめたことから焦りが出てきて、進路についてふれてほしくないので自分の部屋にこもる時間が多くなったというのです。
 これは以前、部屋にこもっていたときとは意味が違っています。現在、部屋にこもっているのは、そろそろ進路について考える必要があることを自覚している証拠でもあります。しかし、まだ準備が整っておらず話し合える段階ではないから、自分できちんと考えるために自室にこもったのだろうと思われます。
 このように子どもの表面的な言動だけではなく、その背後にどんな意味があるかを考えることで変化を見ていく必要があるかもしれません。
 こうした兆しや変化は、毎日一緒に生活していると気づかなかったり見逃してしまうことも多いので、友だちやカウンセラーなど、日頃から悩みを話せる相手を探しておくのもいいでしょう。友だちに「ぜんぜん変わらなくてイヤになっちゃう」とグチをこぼしていたら、相手から「あらっ、1カ月前とずいぶん違うんじゃない?」と指摘され、そこで初めてわが子の変化に気づくこともあります。
 相談室でも、お母さんの「なんの変化もないので報告することもありません」というひと言から面談が始まることがありますが、こちらが日常生活について質問するとじつは変化していることがあり、親御さんも私からフィードバックされて初めて変化に気づいたりします。その意味でも、まわりの人たちのサポートを活用することが大切になってくるといえるでしょう。

自分のなかの"変化"に気づく

齊藤  わが子の変化や動く兆しを見つけようとすると、子どもにばかり目が向きがちですが、自分自身に目を向けてみると、自分の変化に気づくことがあります。それはお子さんの変化との相互作用のなかで、お母さんのほうも変わってきたという場合が多いのです。コミュニケーションはやりとりであり相互作用ですから、どちらか一方だけがずーっと変化しつづけるということはありません。だから、ときには親御さん自身が、自分の変化に目を向けてみるのもひとつの方法かもしれません。
 面談中、とても緊張するお子さんがいます。そんなときは私のほうも「こんな言葉をかけて大丈夫かな」と腫れものにさわるような感じになってしまうのですが、ふとしたときに「あれっ? 私、自然にこの子に声をかけている」と感じることがあり、会った直後の強い緊張がゆるんでいることに気づく場合があります。そう思いながら、その子の様子を見ていると、その子の緊張感も緩和されて表情が柔らかくなっていたりします。こんなふうに自分の変化を起点にして、お子さんの変化に気づくこともあります。
 あるお母さんは、お子さんがイライラしているとき、それまではビビってなんの言葉かけもできなかったのに、あるとき、「イライラしちゃうよね〜」と言えたそうです。でも、ご本人はそんな自分の変化に気づかないことが多いのです。そこで、私が「そんな言葉をかけられるようになったんですね」と伝えると、そこで初めて「あっ、そういえばそうですね!」と気づいてうれしそうな顔になったりします。さらにいえば、こうしたお母さんの変化は、じつはお子さんの変化と呼応して起っていることかもしれないので、そんな視点も大事だなと感じます。

誰にとっての望ましい"動き"なのか

霜村  私のほうは、齊藤先生と少し違う視点からお話をしたいと思います。
 今日のメインテーマは、お子さんの動く兆しや変化にどう気づくかですが、私が申し上げたいのは、それは「誰にとっての望ましい"動き"なのか」ということです。じつは、子どもにとっての望ましい動きと、親御さんにとっての望ましい動きは、まったく反対であることがよくあります。
 そもそも不登校になったこと自体、子どもにとっては、置かれた環境における自分のポジションをフルに活用して、そこにある関係性や自分の問題をなんとか変えたいというメッセージであることが多いように思います。
 臨床心理士の世界で神様のような存在である、故・河合隼雄さんは「(子どもの)自己実現のはじまりは、悪のかたちをとってあらわれる」「『いい子』を育てる教育に熱心な社会では、子どもが創造的であろうとすることさえ悪とされることがある」(『子どもと悪』岩波現代文庫)とおっしゃっています。
 私自身、いろんな相談を受けたり、いろんなお子さんと出会うなかで、そのことを思い起こしてみると、大人にとっての望ましさとまったく相反するようなかたちで子どもの個性があらわれてきて、それがその子が自立したときに「あのことがあったから、いまの私がある」と認識され、その子にとって宝物のような経験になっていたりすることがあります。つまり、いまの自分にたどりつくには、「悪」や「問題」と思っていたことが、じつはなくてはならないものだったというのです。
 そして、いわゆる「不登校」というものが、そうしたメッセージである場合があるということです。
 私は相談を受ける際、「誰のどんな不安を解決してほしいのか」を考えるようにしています。子どもが不登校になったという現象だけを見て、その場で問題を解決しようとすると、大人にとって望ましい動き、つまり、再登校するとか、生活リズムを整える、不登校になる前の状態に戻るといったことが目的になります。しかし、その状態に戻っていくことが、果たしてお子さんにとって望ましいことなのかどうかは検証する必要があるだろうと思います。
 子どもの動く兆しを見つけたいのは親の側であって、子どもはそんなことは意識していません。動く兆しを見つけたいというのは、結局、大人が「安心したい」ということなんだと思います。
 それはなぜかというと、出口の見えない不安のなかに親御さんがいらっしゃるからです。不安のまっただなかで、「こんな毎日がいつまで続くのだろうか」「どうしてこんなにしんどい思いを続けなければいけないのだろう」「こんな毎日から少しでも抜け出したい」「終わりが見えるといいな」「終わりがわかっていれば、そこまで頑張れるんだけど……」という思いが強いからだろうと思います。

子どもが自分の問題を解決しようとするときに起こる"困った行動"

霜村  そうした不安を解消したいがために、動く兆しを見つけたいという気持ちはよくわかります。お子さんだって、いつまでもご両親を困らせたくないし、自分としても早く不登校を終わらせたいと思っているはずです。以前のような姿を親御さんに見せたい、状態が戻りつつあることを示したい気持ちもあるでしょう。
 そんな思いからなんとか頑張って再登校したけれど、本質的な問題が解決されていないために、また不登校に戻ってしまうということがよくあります。最初にお話しした、いい子すぎて疲れてしまうケースですが、「自分」というものがよくわからないうちに集団の中に入っていっても、また疲れて戻ってくることをくり返すだけということが少なくありません。
 そういう子どもが自分の問題を解決しようとするとき、どんな変化が起こるかというと、感情的な反応が強くなったり、激しく泣いたり、一時的にものすごく荒れたり、赤ちゃん返りの現象がみられたり……というように、親にひどく手をかけさせるような困った行動が出はじめることが多いのです。一見、問題が悪化しているように思えますが、じつは子どもが自分自身の本質的な課題を解決しようとしているために起こる、非常に望ましい動きだったりするわけです。
 一時的には状態がひどく悪化して大変ですが、そうした行動には必ず終わりが来ます。いずれ落ち着きを取り戻し、最終的には再登校というかたちをとることが多いのですが、親御さんから見ると、あれは一体なんだったんだろうと思うほど、自分をコントロールできるようになってきます。
 この時期、子どもは、困った行動をあえて親御さんの前ですることで手をかけさせようとしたり、いい子ではない自分でいても親が自分を見捨てないかどうか試すような意図をもって、いろいろな行動を突きつけてきます。このとき、大人にとって望ましい動きを見つけようとすると、「やっぱりいい子じゃないとダメなんだね」という失望につながって、解決を難しくしてしまうことがあります。

親はその子の最初の"専門家"

霜村  お母さんというのは、なんとなく感覚的にそうしたお子さんの要求がわかることがあります。ところが、お父さんは「なんでこんなに悪くなってしまったんだ?」と驚いてしまい、受け入れられないことが多いのです。そんなとき、そのつど起きてくる問題を点検しながら、お子さんが突きつけてくる課題に「これはNO」「これはYES」という判断を一緒に考えてくれる人が身近にいると、親御さんの苦しさも軽減されるかなと思います。
 私たちもそうした作業を一緒にするわけですが、お子さんの最初の専門家は親御さんなので、子どもの行動の意味や背景にあるメッセージを解決していくにあたっては親御さんがいちばんの上級者なのです。その点、私たちカウンセラーはまったくかないません。そうした作業が順調に進んでいくと、解決する時期はかなり早く訪れると思います。そういう意味でもカウンセリングというのは、お子さんにとって必要としいうよりは、親御さんがどう対応していくかを探るうえで必要なものかもしれません。
 今日のメインテーマの「動きをどう見つけるか」ということでいえば、自分たちにとって望ましい動きばかりを期待しないで、お子さんのなかで起こっている変化をどう肯定的に意味づけしていくかという方向のなかで、かかわりを進めていかなければいけないのだろうと思います。

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