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登進研バックアップセミナー98・講演内容

「不登校になってよかった」は本当か? Part.1


2016年9月22日に開催された登進研バックアップセミナー98「『不登校になってよかった』は本当か?」の内容をまとめました。

ゲスト:不登校を経験した2人の若者
講 師:海野千細(八王子市教育委員会学校教育部教育支援課相談担当主任)
※ゲストの方々のお名前は仮名、年齢等はセミナー開催時のものです。





海野  今日は不登校を経験したお2人と不登校をめぐる疑問や問題について話し合っ ていきます。私は、親御さんが聞きたいと思っているであろう質問を2人に投げかけたり、2人の問いかけに答えたりしながら、今日のテーマである「『不登校になってよかった』は本当か?」に迫っていきたいと思います。
 本題に入る前に2点ほど付け加えさせてください。まず1点目。2人の話はそれぞれのかけがえのない体験から生み出されたものであり、一般的に“正しいこと”を語ろうとしているわけではありません。ご家庭のわが子を理解するうえでの、あくまで参考としてお聞きください。2点目。できれば思い出したくないことやふれたくないことについても、2人は勇気をもって話してくれると思います。ここだけの話として大切に耳を傾けてください。
 では、2人のゲストに自己紹介をしていただきます。
岩川

 岩川と申します。よろしくお願いします。現在20歳で、大学では教育学を専攻
しています。将来的には教師になろうかと思っています。家族構成は、両親、大学生の妹と高校生の弟の5人家族です。
 完全に不登校になったのは中学2〜3年の頃ですが、小学生の時から学校に対する苦手意識がありました。小3の時、突然引っ越すことになって、親からなんの相談もなく転校させられたので、なかなか受け入れられませんでした。転校先の小学校では友人ができず、学校になじめなかったうえ、前の学校と比べると遠慮がないというかグイグイくる子が多く、「転校生だ!」とアプローチしてくることに耐えられなくて週1〜2日は休むようになりました。
 小6の時、小学校に入学した弟が発達障害であることがわかり、特別支援学級に通っていました。それに対して、弟の同級生も、妹の同級生も、自分の同級生も差別的な態度をとっていて、いろいろ傷つけられたことも学校になじめなかった理由のひとつで、学校そのものが嫌いになっていきました。

 学校は休んでも塾には通っていたので、中学は私立中高一貫校(男子校)に進みましたが、学校に対する苦手意識は消えないままでした。大学受験を意識し、いつも駆け足で勉強しないといけないような学校の空気にもなじめませんでした。どの授業でも生徒を指して答えさせる先生が多く、答えられないと起立させられ、「お前はいつも立ってるな」と全員の前で見せしめ的に言われました。クラス内でも「落ちこぼれ」のようなレッテルを貼られ、そんな視線に耐えられなくなり、中2から決定的に行けなくなってしまいました。
畑中

 畑中と申します。よろしくお願いします。現在18歳、専門学校でダンスの勉強
をしています。卒業後はダンスを通じて多くの人に笑顔を届けたいと思っています。家族構成は、両親、高2と小6の弟の5人家族です。
 私は学習障害があるので漢字や計算が苦手で、小学校の勉強についていけなくなったことで友だち関係にも余裕がなくなり、あまり学校には行きたくありませんでした。でも、6年生の時に特別支援学級に通うようになってから精神的に安定し、その流れで中学校は通常学級に在籍していました。
 小学校、中学校と合唱部に入っていたんですが、中学校の合唱部は全国大会に出場するようなレベルだったのでレギュラー争いが激しく、顧問は見た目が可愛いくて自分好みの生徒をレギュラーにするような傾向があり、平気で後輩の悪口を言う先輩も多くて、好きになれませんでした。

 部活のことに加えて、中2になるとクラス内でいくつかのグループが生まれました。孤立するのが怖くて無理して合わないグループに入っていたら、グループ内でいじる対象が自分に集中してしまい、つらくなって時々休むようになりました。ただでさえ勉強についていくのが大変なのに休むとよけいにわからなくなると思い、無理して通ったこともありましたが、中2の3学期から完全に行けなくなり、合唱部も中1の秋にはやめました。家にいても、学校であった嫌な出来事がフラッシュバックして、記憶が飛びそうになることが何度もありました。

     

不登校は甘えやわがまま、怠けではないのか?

海野  では、早速ですが質問に入りたいと思います。
 最初に2人にお聞きしたいのは、不登校は甘えやわがまま、怠けではないのかということです。2人のお話からは、かなりつらかった様子がうかがえるのですが、よく相談の場面でお母さんから「最初はつらそうに見えたけど、そのうち好き勝手に一日を過ごして、学校に行かないだけであとは普通に元気なわが子を見ていると、本当に悩んでいるのか、ただの甘えやわがままではないのかと思ってしまう」という話を聞くことが多いので……。
畑中  私は、不登校は甘えやわがままではなく、一時的な避難、逃げというか「休憩」というかたちでとらえていました。それまでは、しがみついてでも頑張っていましたが、しがみつくのもすごくエネルギーが必要なので長く続けられない。それで疲れてしまって一時的に休憩する。その状態が不登校だと思っています。
海野  しがみつくのも疲れちゃって、その疲れを癒して元気を取り戻すために必要な時間が不登校というイメージでしょうか。岩川くんはどうですか。
岩川  不登校に至るまでの間にあった、つらいことから自分を守る「自己防衛」の手段が不登校ではないかと思います。つらいことがたくさんあって、もうどうしようもないと自己防衛に走っている状態を、甘えやわがままじゃないのかと追い打ちをかけるのはよくないし、不登校とは自分を守らないとやっていけないというまわりへのサインだと思うから、そこを責めるのではなく、どう対応すべきかを考えるのが大事なのではないかと思います。
海野  岩川くんが言いたいのは、不登校は自分を守らないとやっていけないというサインなんだと、つらいから自分を守っているのであって、そのことをいくら責めても、その子の頑張ろうという力にはまったくならないということだよね。つまり、どうしてその子が自分を守らざるを得ないのかというところをよく理解してほしいということなんだろうね。
岩川  今度は僕のほうから質問したいと思います。不登校になって間もなくの頃の話ですが、朝になると行きたくないので、「おなかが痛い」とウソをつくことがあったのですが、実際におなかが痛くなったり、熱が出たりすることもありました。でも、午後になると自然に治ってしまったりする。あれはどういうことだったのでしょうか。
海野  畑中さんはどうでしたか。登校しようとするとおなかが痛くなったり熱が出たり、午後になると治ってしまったりということはあった?
畑中  私も朝になるとおなかが痛くなったり頭が痛くなることはよくありました。今、考えてみると、学校でつらい思いをしていることを母に話すと、ただでも学習障害のことで心配をかけているのに、よけいな負担をかけることになると思ってなかなか口にできなくて。あと、そのことを話すと学校との関係も悪くなるんじゃないかとかいろいろ考えてしまって、言葉に出せなかった分、それがたまって体の症状として出てきたのかなと思っています。
海野  畑中さんがおっしゃるように、心と体は別々のものではなく、つながっていると考えてみるとわかりやすいかもしれません。
 心が苦しくなった時、「苦しい」「つらい」と言えると体の症状に表す必要がなくなる。でも、畑中さんのように、お母さんにこれ以上心配かけられないとか、学校との関係が悪くなるんじゃないかとか、いろいろな事情で心の苦しさをうまく言葉で表現できないと、体の苦しさ、たとえば痛みや発熱といった症状でその苦しさを表す、と考えるとわかりやすいと思います。
 よく子どもが登校する時間になるとおなかが痛いと言うので、じゃあ病院に行こうとすると昼過ぎには痛みがなくなってしまうといったことがあります。そうすると仮病じゃないかと子どもを責めたくなるんですが、実は本当に痛いんです(岩川くんのように仮病という場合もありますが……)。
 そういうことが何度もくり返されるようなら、本当に体の病気だったりする場合もあるので、一度、病院で診てもらって、体に異常がないということがはっきりすれば、何か心につらいことがあるのではないかという立場で接していくことが必要になります。

     

不登校の子どもと父親はなぜうまくいかないことが多いの?

海野  2つ目の質問です。このセミナーでは、これまで何度も岩川くんや畑中さんのように不登校の体験談を話していただく機会を設けてきましたが、とくに女の子の場合、お父さんとの関係がうまくいかないケースが多いのです。お2人のご両親との関係はどんな感じだったのか聞かせください。
岩川  不登校になると普通は部屋にひきこもったりするのでしょうが、うちは父が厳しくて、学校を休んで家の中にいるだけで怒鳴りちらされ、口答えすると殴る蹴るというような感じだったので、制服を着て、食事代だけもらって「行ってきまーす」と家を出て、まっすぐゲームセンターに通う日々が続きました。不登校なのに家の中にいられないのはつらかった。どこなら落ち着いて過ごせるのか、居場所の確保にはものすごく悩みました。
 父親の権威を振りかざすことは今も続いていて、不登校だったことで「できそこないは偉そうな口をきくんじゃねえ」といまだによく言われます。親戚の集まりなどでも見せしめのようにボロクソに言われ、プライドなんかあったもんじゃない感じです。父は幼い頃に母親を亡くしていて、子どもへの接し方がわからないのではないかと言う親戚もいますが、父の接し方にはっきり苦言を呈する人はいないのです。
 母は、不登校の自分を擁護しようものなら父から一緒に怒られるような状況だったので、見て見ぬふりをしてゲームセンターに送り出してくれていたのかなと思います。自分は不登校、妹も弟の発達障害の影響もあって不登校、弟は発達障害ということで、母はふさぎ込んでいた時期もあり、軽いうつ病になったり、当時の家庭環境はよくなかったと思います。
畑中  父との楽しい思い出は小さい頃しかなく、それ以降は話もしたくない存在でした。精神的にいちばんキツかったのは中2の頃、母が交通事故で3カ月入院した時で、それまでいっさい聴く耳をもたなかった父との関係がさらに悪化してしまいました。父もどう接したらよいかわからなかったようですが、父と2人きりになる時間に耐えられず、弟2人と外出して気持ちをまぎらわせたり、できるだけ父と顔を合わせないようにしました。母はいつも話を聞いてくれる心の支えのような存在で、父が子どもを怒鳴ったりすると母が盾になり、私たちをかばってくれました。
 岩川さんもそうですが、不登校の子どもと父親は、どうしてうまくいかないことが多いのでしょうか。父親と母親の違いはどんなことなのでしょうか。
海野  大きく言うと、3つぐらいのことが考えられると思います。  1つは、父親は職業人としての経験から不登校のわが子の将来を悲観しやすいんじゃないでしょうか。父親は、会社でたとえば営業成績が上がらないと上司にガンガン怒鳴られたり罵倒されたりしている。下手をすれば給料やボーナスを削られたり、リストラされるかもしれないといった状況の中で、毎日心身をすり減らしている。そういう立場からすると、一日中だらだら好きな時間に起きて好きな時間に食べて好きな時間に寝ている(かのように見える)子どもに対して、「そんなことで世の中に通用すると思っているのか!」と心配よりも怒りのほうが先に立ってしまう。とくに息子の場合、自分に引き寄せて考えがちなので、甘ったれるな!と、圧力はより強くなりやすいのです。
 2つ目は、父親は子どもとのコミュニケーション経験が浅いことが多く、つい乱暴な会話になりやすいと言えるのではないかと思います。朝、子どもが寝ているうちに家を出て、子どもが寝てから家に帰るといった生活をしているお父さんがけっこう多いのではないでしょうか。休みの日は疲れきって子どもの相手をするどころではない。普段、子どもと言葉もろくに交わしていないから、不登校になったからといってどうしていいかわからない。お母さんから「あなたからも、あの子に何か言ってよ」と言われて、「学校に行けないなら家を出ていけ!」なんて言ってしまう。すると、子どもは貝のように口を閉ざして部屋にひきこもってしまったりする。そうするとお母さんから「どうしてあなたはそんな言い方しかできないの!」と逆切れされたりして、もうやってらんねぇよ、みたいな気持ちになることも多いのではないでしょうか。
 3つ目は、男性と女性の特質の違いからくるのではないかと考えられます。もちろん個人差もあるとは思いますが、私を含めて男性のほうが相手の気持ちや情感がわかりにくい。論理とか理屈でわかろうとする。相手が言ったことだけにこだわって、その言葉の背後にある気持ちなんてほとんど考えようとしないところがあるように思います。たとえば、お母さんが今日の子どもの様子を話していると、お父さんはまだるっこしくて聞いていられない。「で、いったい何が言いたいんだ? 結論から言え! そんなことをグチグチ言ったって何も始まらないだろう!」といった展開になりやすく、こうしたやりとりを子どもとの間でもくり返してしまうことが多いのです。

     

不登校になると、なぜ人と会うのが嫌になるの?

海野  3つ目の質問です。これも親御さんの相談を受けているとよく話題になるのですが、不登校になると人と会えない、会いたくない、あるいは外に出られない、出たくないということがあると思いますが、それはどんな心理状態なのでしょうか。畑中さんにお聞きします。
畑中  きっかけは、私に対するいじりがいつ始まるかわからないという不安からでした。それで暗い顔をしていたら、母に「そんな顔してると、あの子は暗いと言われるよ」と教えられたので、だったらいつも笑って明るくしていようと思いました。すると今度は「どうしてそんなにヘラヘラしているの?」と言われてしまって、「じゃあどうしたらいいの?」「どんなことをしても何か言われるんじゃないか」という気持ちになり、人に会うのが怖くなりました。
 たとえば、洋服屋さんに行って試着した時に店員さんが「お似合いですよ」と言ってくれても、「本当は似合わないと思っているんじゃないか」と感じてしまう。精神的にもっと不安定になってくると、通りすがりの人と目が合っただけで、「どうして私のことを見たの? 私が悪目立ちしているから?」と思ったり、それがエスカレートしてくると、こんなに疲れてしまうなら外に出たくない、人とも会いたくないと思うようになりました。
 中2の3学期から完全に不登校状態になり、中3から相談学級に週2〜3回通いました。知らない人と接するのが嫌で、本当は電車にも乗りたくなかったのですが仕方なく電車に2駅乗り、そこからバスで15分程度なんですが、できるだけ人と会わないように、バスに乗らず40分くらい歩いて通っていました。
 日曜日には母と買い物などに出かけましたが、見知らぬ人とすれ違うのが嫌で、人の目にふれないように隠れるようにしていました。家にいても中学校であった嫌なことがフラッシュバックして記憶が飛びそうになることが何度もありました。それはどこにいても起こりそうで不安でした。
海野  それはつらかったね。家にいても学校での嫌なことがフラッシュバックして記憶が飛びそうになるというのは、畑中さんが受けた心の傷がかなり深刻だったということだと思います。
畑中  私は、不登校中に外に出るのも嫌で、道路で見知らぬ人とすれ違うのも避けたいくらい。友だちや知り合いの人とも会いたくなかったけど、岩川さんのように、外に出かけるのも友だちと会うのも平気だった人もいます。その違いはどういうことなのでしょうか。
海野  それは心の傷つき方、受けたダメージの度合いの問題と考えてみたらどうでしょうか。どんな出来事をどう感じるかは、その人の感性やこれまでの経験の質にもよると思うけど、心の傷がある程度浅ければ、かかわりのあった人とは会えないけど、それ以外だったら気にならない、平気ということがあると思います。でも、心のダメージがかなり深刻になると、かかわりのあった人だけでなくあらゆる人に対して、かかわりたくない、拒否したいという気持ちになってしまいます。畑中さんの「記憶が飛びそうになる」というのは、本当に深刻だったと思います。

     

不登校中、どんなことがいちばんつらかった?

海野  不登校中は気持ちも落ち込んでいるから、いろんな嫌なことが続いたかと思いますが、なかでもどんなことがいちばんつらかった? 話せる範囲でかまいませんので、その時、どう対処したかも聞かせてください。
岩川  中学生の頃は、家と学校という狭いコミュニティのなかで生活していて、そのなかで両親と本音で話し合える状況でもなく、学校でも厳しい先生が多くて自分の心中を吐露できない。自分の気持ちをまわりに伝えられないのがキツかったです。自分の思いは自分の胸の中にため込むしかなく、ゲームセンターでの遊びが唯一のストレス発散の逃げ道になっていました。
海野  自分の心情を吐露できなかったということですが、できることなら吐露したいという思いがあった?
岩川  その頃、両親から怠けているとか、学校にも行かずに遊んでいるみたいな言い方をされることが多く、自分はつらい思いをしているのに、どうしてわかってもらえないんだろう、どうして本当の気持ちを聞いてくれないんだろう、親ならもっと話を聞いてくれてもいいじゃないかという思いがあって、誰かに話したい、誰かに聞いてほしいという気持ちはありました。
 その一方で、自分の気持ちを話すことで誰かにバカにされないだろうか、恥ずかしい思いをしないだろうかという不安もありました。自分のなかでそうした相反する気持ちがせめぎ合い、悩んでいたように思います。
海野  そんな時、スクールカウンセラーとか相談機関の人に話を聞いてもらおうとか思ったことはなかった?
岩川  そういう気持ちはありませんでした。電話相談にしても、直接会って話すカウンセラーの人でも、相手がどういう気持ちで自分に接しているかわからないし、しょせん赤の他人じゃないかと。
 一度、母に連れられて精神科を受診したことがあって、そこでカウンセラーと話をした時、「日頃、つらいことはないかな?」「なぜ学校に行けないのかな?」などと聞かれても、「どうしてでしょうね?」と答えるくらいで(笑)、「あなたに俺の何がわかるんだよ?」という感じで、心を開いて本音で話す気にもなれませんでした。
海野  「気持ちをわかってほしい」と思う一方で、「本当にわかってもらえるのか」という思いもあり、話す気にもなれなかったということかな。
 畑中さんはどうでしたか、いちばんつらかったことは?
畑中  家にいてもどこにいても何をしていても、母と楽しい話をしていても弟と遊んでいても、嫌な時の記憶がフラッシュバックすることがいちばんつらかったです。意識的に思い出すわけではなく、勝手に突然一気によみがえってくるんです。それが起こると記憶が飛びそうになり、気を失うまではいかないものの何がなんだかわからなくなってしまうのがつらくて……。それと、この状態をどう母に伝えればわかってもらえるのか、どう伝えれば母の負担にならないかなどと考えたりして、うまく言葉が出てこなかったこともつらかった。
 フラッシュバックが起こりそうな時は、まず眼を閉じて何も見ないようにして落ち着くまで動かないようにするしかありませんでした。自分の声を聞いても起こるため声も出さないで、自分の手や体を見ていても起こることがあるので、あらゆる情報をシャットアウトするようにしました。いまだにつらかったり精神的に疲れたりすると、その状態になりそうな時があります。
 いちばんひどい時はそういう状態が長く続いたので、安定剤を処方されて、ずっと横になっているような時期もありました。その状態になると母が私の名前を呼んでくれて、私が気がつくと「大丈夫だよ」と言ってくれるんですが、大丈夫じゃないのに大丈夫という言葉を聞きすぎて、「大丈夫」という言葉が嫌いになりました。
 いちばん下の弟はまだ幼かったし、長女として手本を示さなければいけないのに何もできなくて、真ん中の弟がいちばん下の弟に勉強を教えたりしているのを見て、お姉ちゃんなのに頼りがいのない自分を責めたりもしました。
海野  畑中さんは、そこまでつらい状態になっていてもお母さんに気をつかったり、自分のことを責めたりしていたんだね……。

     

不登校は親の育て方が“原因”だと思うか?

海野  次の質問です。これも相談場面でよく耳にするのですが、お母さんが「子どもが不登校になったのは、私の育て方が悪かったせいではないか」と自分を責めたり、お父さんや親戚の人から「おまえの育て方が悪かったから不登校になった」と言われたり、ということがあるんですね。お2人は、不登校は親の育て方が“原因”になっていると思いますか?
畑中  母は、私が学習障害ということがわかってから私のことを理解しようと、いろんなところに勉強に行ったり、相談に行ったり、ネットで調べてくれたり、動いてくれました。不登校になった時も話を聞こうとしてくれたし、つらい思いをしているから少しでも楽しい思いをさせようと買い物に連れて行ってくれたり、「犬を飼ったら楽しいかもね」とか架空の話をして楽しませてくれたりしました。もちろん考え方の違いなどでぶつかることもありましたが、母は子どもの頃からずっと心の支えになっていました。
 不登校は、家族以外の人との関係やトラブルによって起こることが多いと思うので、すべて両親が原因だったり、負担すべきことではないと思います。
岩川  不登校の原因はいろいろあると思いますが、原因が100あるとしたら、100すべてが親が原因とは言えないと思います。自分の場合もそうでしたが、学校の環境とかまわりの気になることなどがあって、そのなかに親のことも関係してきて、つらい思いをしたわけですから。
 親の育て方というか、親の子どもへの接し方は子どもを悩ませる要因のひとつになると思います。たとえば、不登校中に子どもに厳しく接することによって不登校に拍車をかけるというか、不登校で子どもがつらい思いをしているところに、さらにその気持ちを増幅させてしまうことはあると思うので、不登校を長引かせたりこじらせる一因になっているかもしれないと思います。
海野  “原因”という言葉はすごく誤解されやすいけど、原因を「きっかけ」と「背景」の2つに分けてみると少しわかりやすいかもしれません。
 家庭での両親とのかかわりが不登校の「きっかけ」になることはゼロとはいわないものの、そう多くはないと思います。両親とはうまくいかないけれど、友だちと過ごすのが楽しいと言って登校している子はたくさんいます。それよりも、学校でうまくいかないことがあるから、行くのが嫌になるというほうが一般的でしょう。今、岩川くんが言ってくれたのは不登校の「きっかけ」というよりも、学校に行きにくい状態が起こった時の親の接し方が大きな影響を与えるということですよね。
 岩川くんの場合、不登校のきっかけのひとつは、中学校の先生が授業で一人ひとりを指して、わからないと立ってろと言われ、まわりからも「答えられないヤツ」という眼で見られるようになったことだと思いますが、なかにはそういうことが起きても気にしない子もいるわけです。そう考えると、やはり自分の育て方が悪かったから学校に行けなくなったんじゃないかと考えるお母さんはけっこういると思うんですが……。
岩川  そこは子どもの個性とか感性の問題だと思います。育った環境の問題もあるかと思いますが、同じ環境で育ってもきょうだいで感性がまったく違うこともあるわけで、いくら親が努力したところで変えられるものではないような気がします。逆に、授業中の先生の対応が嫌だったと感じたことが個性だと思ったほうがいいかなと。
畑中  “原因”というと、不登校になったこと自体が「いけないこと」「悪いこと」としてとらえられていると思います。私にとっての不登校は「ちょっと休憩」みたいな意味合いだったけど、その子にとって「必要なもの」としてとらえられれば、不登校になったから親の育て方が悪いとか原因という考え方にはならないような気がします。
 中3の時に通っていた相談学級では、校長先生が積極的にかかわってくれたんですが、相談学級の卒業式のあいさつで校長先生が「名誉挽回」という言葉を口にした時、ああ、この人は最後まで不登校のことをわかってなかったんだなと思いました。相談学級にかかわりながら不登校はよくないことだと思っている人がいるくらいだから、親を含めた大人が不登校をプラス要素として考えることは簡単なことではないのかもしれません。
海野  今、畑中さんが言ってくれたことはとても大切で、悪いことの原因を調べようとすると、原因になった事や人が責められる、ということになっていきます。要するに、不登校が「問題」であるとか「悪いこと」だという認識があるからお母さんが自分のことを責めたりするわけで、不登校はいいことだと考えるのはなかなか難しいかもしれないけど、その子の成長にとって必要なものと考えれば、不登校をめぐる状況は大きく変わるでしょうね。
 私たちは、何か問題が起こると、「原因がわかれば解決できる」と思いやすいから、なんとか原因を特定しようとします。でも、実際に学校に行けなくなった子に、どうして行けなくなったと思うかと聞いても、よくわからないことが多いんです。
 たとえば、ここに木が立っていると思ってください。そこにピューと風が吹いてきてその木が倒れたとします。この木が倒れた原因は何か、どうしてこの木は倒れたのかと聞かれたらなんと答えますか? 木の根っこが弱っていたとか、地盤がゆるかったとか、風が強かったとか、つまり、なんとでも言えるわけです。そして、それが正解かどうかもわかりません。
 クラスのある子が不登校になって、担任の先生がいろいろ原因探しをして、実はその子がいじめられていたということがわかった。それで先生がいじめていた子たちを謝らせて、いじめられていた子と和解させたとする。それでその子が登校できるようになると思いますか? もちろん登校できる子もいないわけではないけれど、多くの場合、登校できません。先生に言いつけた仕返しをされるんじゃないかと思って、逆に登校しにくくなる場合だってあります。
 人の心の問題は1+1=2というほど単純ではありません。原因探しをしても原因がわからないことのほうが多いし、たとえわかったとしても、それが必ずしも解決に結びつくとは限らないんです。原因探しに多くのエネルギーを注ぐくらいなら、その子が安心していられるためにどうしたらいいかを考えるほうがきっと建設的だと思います。
※この続きは、「Part.2」 で読むことができます。

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