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不登校ー待っていれば自然に“治る”のか 第1部

 2010年6月13日に開催された登進研バックアップセミナー72の第1部「不登校―待っていれば自然に“治る”のか」の内容をまとめました。

 

講師および聞き手は、以下のとおりです。
講師  小林正幸(東京学芸大学教職大学院教授)

聞き手 霜村 麦(臨床心理士)

 

なぜ、不登校は長期化しやすいのか

霜村  小林先生は私の大学時代の恩師でもあり、ちょっとやりにくい面もありますが、今日は親御さんの代表になったつもりで、いろいろお聞きしたいと思っています。
小林  お手やわらかにお願いします(笑)。
霜村

 今日の大きなテーマは「待っていれば自然に“治る”のか」ですが、このテーマに迫るために、より具体的な5つの小テーマ「なぜ、不登校は長期化しやすいのか」「なぜ、不登校の子どもはプライドが高いのか」「なぜ、原因がわからないことが多いのか」「待っていれば自然に“治る”のか」「不登校の子どもにとって親とはなにか」を設けています。この5つの小テーマにふれながら、本題のテーマにアプローチしてみたいと思います。

 では、さっそく最初の小テーマ「なぜ、不登校は長期化しやすいのか」に入ります。不登校で多いのは、五月雨式に登校と不登校をくり返しながら、徐々に本格的な不登校に移行し、長期化していくケースだと思います。まず、そのときに子どもの心のなかに起きる変化や、登校にブレーキをかける要因についてお聞きしたいと思います。

小林  確かに、ある日突然、学校に行かなくなるケースよりも、五月雨式に不登校が始まるケースのほうが多いと思います。
 熊谷市で不登校を減らす取り組みを行った際、いろいろアドバイスをさせていただいて、3年間で不登校を30%減らすことができました。その取り組みを始める前に、不登校になって2〜3年経っている子どもたちの過去の欠席履歴を調べてみると、約80%が本格的に不登校になる半年くらい前から月に3〜4日程度の欠席をしていることがわかりました。つまり、不登校になった子どもたちの80%は、突然パッタリ行かなくなるのではなく、月に何日か学校を休む状態が続いて、ある時点から本格的に欠席が増えていくというプロセスをたどっているわけです。
 その月に3〜4日程度休むようになった段階で、学校や親御さんが早く手を打っておけば、未然に防げるケースが半分くらいはあると思っています。ただ、不登校というのは、いったん始まってしまうと長期化することが多いのです。
霜村  なぜ長期化することが多いのでしょうか?
小林

 たとえば、今日ここにおられるお父さんたちも、仮病を使って会社をサボったことがあるでしょう? 「今日は体調がよくないので休みます」と上司に電話をしてから、元気ハツラツと釣りに出かける(笑)。これは、いわば元気回復のための「ズル休み」といえます。こういう「ズル休み」の場合は、会社や仕事がそんなに嫌にならないうちに、自分の判断で「今日はお休み」と決めて、元気を取り戻すために一日を有意義に過ごすわけですから、休んだことにあまり自責の念はありません。
 いっぽう不登校の場合は、休んだことに対して自責の念が非常に強い。不登校は五月雨式に始まった場合より、突然パッタリ行かなくなった場合のほうが長く続きやすい傾向があります。なぜなら、不登校は学校で嫌な目にあったことがきっかけで始まることが多いのですが、その嫌なことをじっと我慢してギリギリまでこらえ続けて、張りつめていた糸がプツンと切れたときに、「もうダメだ!」と学校に行けなくなるわけです。そのとき、嫌なことをギリギリまで我慢していればいるほど、そこで休んでしまったことが、本人の心に長く影響する場合が多いからです。

 つらい場所に我慢して行き続けていると、その場所に行かなくて済むという安堵感は、その場所がつらければつらいほど大きくなり、安堵感が大きければ大きいほど、学校に行くことにブレーキがかかりやすくなります。人間を含めた動物全般にいえることですが、つらい目にあった場所には、その後、近寄ろうとしない。これは自分を守ろうとする、とても大切な学習機能です。
霜村  自分を守ろうとして行けなくなるわけですね。
小林

 そうです。不登校の子どもは、まだ「今日は行こうか行くまいか」と迷っている段階では、毎朝、頭の中でつらかったことを思い出しています。熱が出たり、おなかが痛くなるのも、そのせいです。ところが、午後になると妙に元気になる。つまり、「今日は学校に行かなくてもいい」と本人が判断した頃から元気になってくるのです。

 今日は行かなくていいとなると、つらいこともひとまず忘れられる。だから、最初の頃は午後になると「明日は行くからね」とお母さんに言ったりして、親もそれを信じて、「じゃあ、明日頑張ろうね!」と励ましたりするわけですが、結局、翌朝になると同じことがくり返される。
霜村  そのとき感情面でいえば、子どもはどんな状態なのでしょう?
小林

 毎朝、学校であった嫌なことを思い出しているとき、同時に学校の風景や教室の風景なども思い出します。感情は理屈ではありませんから、嫌なことと一緒に思い出したことも嫌になるというメカニズムがあります。すると、好きな先生や友だちのこともだんだん嫌になってきて、ついには学校のシルエットが頭に浮かんだだけで嫌になるということが、毎朝、子どもの頭の中で起こってくるわけです。
 さらに具合の悪いことには、たとえば友だちとトラブルがあって、それが嫌で学校に行きたくないんだけれど、昔、同じような経験があった場合、その過去の出来事が現在の嫌な感情を倍増させることもあります。すると、想像のなかで不安がどんどん強くなって、その不安が毎日積み上げられていくということが起こります。
 ですから、不安になった当初と2週間後の状態を比べると、学校に対するイメージはかなり悪くなり、学校をますます嫌だと感じ、学校に対する不安がどんどん大きくなり、行きにくさが強固なものになってしまうということです。

霜村  欠席が2週間くらいであっても、毎朝、嫌な思いを続けていると、学校に気持ちが向かなくなって、長期化のリスクが大きくなるということですね。

なぜ、不登校の子どもはプライドが高いのか

霜村  2つ目のテーマは、「なぜ、不登校の子どもはプライドが高いのか」です。 

 不登校の子どもたちとかかわるなかでよく感じるのが、プライドが非常に高いということです。たとえば、「遅刻するくらいなら、その日は行かない」とか「内申点で1とか2の評価しかもらえないなら、評価なんかないほうがマシ。だからテストは絶対に受けない」とか……。そうしたプライドの高さというか、「ゼロか100か」といった完全主義的な思考が、登校にブレーキをかけている側面もあるのではないかと思いますが、そんなとき子どもたちの頭の中では、どんな思いがかけめぐっているのでしょうか?

小林

 行動面では学校に行きにくくなり、感情面では学校に対する嫌悪感をもち、不安が連日強まってくるわけですが、それでも子どもたちの頭の中には「学校に行ったほうがいい」あるいは「学校に行かなきゃいけない」という思いがあります。その思いが強いほど、それができないことで、子どもはものすごく自信を失います。
 かつて、この現象を「学校恐怖症」とよんだり、その後は「登校拒否」とよばれるようになりました。登校拒否のなかには「神経症的登校拒否」といわれるものもあります。これは「不潔恐怖」などを伴うケースで、たとえば、手をいくら洗っても汚れているような気がして、何度も洗わずにはいられない状態をいいます。これは、非常に不安が強いために、「○○をしたら落ち着くのではないか」と考え、その○○に執着することで不安を乗り越えようと努力する行動の一種と考えられます。
 軽い症状なら、みなさんも経験しているかもしれません。外出したときに、「カギをかけたかしら」「アイロンのプラグを抜いたかしら」と不安になったりしませんか? 症状が強くなると、カギや火元が心配で心配で、家を出るのに10分も20分もかかるということが起こります。こうした症状を「強迫神経症」といいます。
 先ほどの「ゼロか100か」という傾向は、強迫神経症ではありませんが、メカニズムとしてはとてもよく似ています。

霜村  「ゼロか100か」の完全主義と強迫神経症は、どこが似ているのでしょうか?
小林

 不登校の子どもたちは、「学校に行かなきゃいけない」という思いが強ければ強いほど、学校に行けない現実と、日ごとに学校が嫌になる自分が嫌になってきます。そのいっぽうで、それをなんとか乗り越えなければいけないという思いも強くなってきて、「○○をしたら乗り越えられるのでは」という思いや行動に執着するようになる場合があります。
 たとえば、「○○大学に入らなければいけない。そのためには○○高校に入らないといけない。偏差値の低い高校に行くのは絶対嫌だ!」といった論理のなかで、「途中から行くのは嫌だ。行くなら1時間目からちゃんと行かないと意味がない」などと自分でハードルを高くして、それを乗り越えたらなんとかなるんじゃないかといった、ある種の自分を支える“よすが”にしている傾向がみられます。

霜村  それで自分を支えないと崩れてしまいそうなんですね。
小林

 そういうことです。「プライドが高い」というと自信満々のようですが、実はとても弱くて、自信がないことの裏返しなんです。先ほど紹介した熊谷市での取り組みのなかで、アンケート調査を行ったところ、「親が登校させようという気持ちが強く、子どもも登校しようとする意欲が高いほど、その後が大変」という調査結果が出ました。
 親も子も「学校に行かなきゃいけない」という気持ちが強すぎると、行けないことを「すごくダメなこと」と定義づけてしまって、「ボクはダメな人間だ」という思いを強めることになり、その結果、なかなか学校に足が向かないということになりやすいのです。

霜村  進路選びのときに、「こんなレベルの低い高校に行きたくない」とか「定時制やサポート校は嫌だ。普通の高校に行きたい」というお子さんも多いと思います。親からみれば、「不登校で、ろくに勉強もしてないのに、なに言ってるの」という思いもあるかもしれませんが、それは自信のなさの表れと考えられるということですね。

 

なぜ、原因がわからないことが多いのか

霜村  3つ目のテーマ「なぜ、原因がわからないことが多いのか」に進みます。
 これはお父さんに多いのですが、「不登校の原因がわからなければ、手の打ちようがない」あるいは「原因を取り除けば、問題は解決する」という声をよく聞きます。これに対して、小林先生は、不登校の「発生要因」と「継続要因」を火事にたとえて説明することがあります。あれは、とてもわかりやすい説明ですね。
小林  そもそも「原因を取り除けば、問題は解決する」という考え方が通用する現象のほうが、実は少ないのです。自然現象でも社会現象でも、それは同じです。
 たとえば火事が起こって、原因はタバコの火の不始末だとしましょう。では、消防士が火のなかに飛び込んで、原因であるタバコの吸いがらを撤去したら、火事は消えるか? 消えませんよね。つまり、大変な状況になっているときには、最初に問題が起きたときの状況とは全然違う事態へと発展してしまっているので、原因を追及したり取り除いたりしても意味がないことのほうが多いのです。
 火事を予防するには、スプリンクラーや火災報知器を設置したり、家を耐火構造にして初期消火に備える、つまり早期に手を打つことが重要ですが、予防の段階でやることと、実際に問題が起こって大変な状況になってからやることは違うということです。
霜村

 いじめが原因で不登校になった子が、別の学校に転校してもやっぱり行けなくて、親御さんは「じゃあ、どうすれば行けるのか」と頭をかかえてしまうことがありますが、こうしたケースも火事のたとえで考えるとわかりやすいかもしれません。
 とはいえ親御さんとしては、不登校の原因を知りたいと思うのが正直なところだと思います。小林先生たちが行った、不登校経験者2万6000人を対象とした追跡調査の結果をふまえて、そのへんのお話を聞かせてください。

小林

 この調査は、平成5年の時点で不登校(年間30日以上欠席)だった全国の中学3年生、2万6000人を対象に、彼らが20歳になった平成10年に、現在どのような生活をしているかを訊ねるアンケート調査を行ったものです。そのうち1万9000人とは、電話で話をすることもできました。なお、調査対象となった20歳の若者たちの75%は、学校に通っていたり、就職したり、アルバイトなどをしており、中3のときに不登校だったからといって社会適応ができていないわけではありませんので、ご安心ください。
 この調査で明らかになったことのひとつは、彼らの9割が「不登校のきっかけ」を覚えていたことです。「とくに思い当たることがない」と答えたのは1割に過ぎませんでした。
 きっかけの第1位は「友だち関係」で、これが約半数。2位は「勉強がうまくいかない」で、これは自分が望むところまで到達できないというニュアンスも含まれているので、成績が悪いこととイコールではありません。3位は「先生との関係」で約2割、4位が「部活動」、5位が「学校が合わない」でした。次いで6位は「病気やケガをした」で約1割、7位が「親子関係」となっています。

霜村

 きっかけの1位から5位までは、すべて「学校」に関係していますね。

小林

 そうです。そして、この結果からわかるのは、不登校のきっかけはあるということです。ところが、当初は本人がそれを言わない場合がけっこうあります。
 たとえば、いじめられている場合などは、子どもはなかなか自分からは言いません。なぜなら、いじめられているということは、友だちから「お前が悪い」というメッセージをさんざん与えられているわけで、となると、「自分が悪い」ことが原因で不登校になったことになりますから、まわりの人に聞かれても原因を言えない場合が多いのです。ただし、いじめられていることを話して、その結果、その人が問題を解決してくれるという見通しがあれば、話してくれるかもしれません。
 いじめは学校で起きているわけですから、先生が動いてくれればいちばん効果的なんですが、そもそも「○○さんがいじめるから学校に行くのがつらい」と言えないから不登校になるわけで、先生に言ってもダメだと子どもが思えば、先生には話しません。じゃあ親に言えばいいじゃないかと思うかもしれませんが、親にできるのは先生に連絡することくらいですから、それを受けて先生になにができるかと考えたとき、効果がないと判断すれば、当然、親にも言いません。

霜村  当初は話せなくても、ある程度時間が経ったら、もう打ち明けてくれてもいいんじゃないかと思う親御さんも多いと思うのですが……。
小林

 確かに、学年が変わってクラス替えがあり、いじめた子がよそのクラスになったり、「いまの学校が嫌なら、転校しようか?」といった状況になっても、原因を話してくれない子は少なくありません。思い出すのもつらいような場合、そのつらさを取り除いてくれる人でないと打ち明ける気になれないからです。
 そういう場合はどうしたらいいかというと、原因を過去にさかのぼって取り除くことはできないわけですから、心に突き刺さったトゲの痛みをわかってあげること、そのつらさに寄り添ってあげることが大切です。「ああ、そうだったの。つらい思いをしたのね」となだめてくれて、「大丈夫、人生にはいろいろあるからね」とゆったり受けとめてくれるような相手であれば、子どもはきっかけを打ち明けてくれるでしょう。

霜村

 不登校のきっかけについて話してくれないお子さんは非常に多いのですが、いまのお話を聞いて、子どもは子どもなりに、親御さんが許容量を超えてしまわないように状況を読んでいるからこそ、原因を話さないことがあるんだなと思いました。
 なお、不登校のきっかけとなった出来事によって、かなり重い傷を負っている子どものなかには、無意識のうちに記憶にフタをしてしまい、そのときの状況や出来事を思い出せなくなっているケースもあります。そのような場合には、また違った専門的な対応が必要になってきます。

 

待っていれば自然に“治る”のか

霜村  4つ目のテーマは「待っていれば自然に“治る”のか」ですが、そもそも「待つ」とか「見守る」というのは、どういうことなのか。親はひたすら待ち続けるべきなのか、それとも少しずつなにか働きかけをしたほうがいいのか、あるいは、ものすごく積極的に背中を押したほうがいいのか、そのへんについて聞かせてください。
小林

 最近はあまり言われなくなったかもしれませんが、カウンセラーから「見守ってあげてください」と言われた親御さんも多いと思います。かつて、この「見守る」という言葉が流行ったとき、私はよく親御さんに「見守るって難しいですよね」と言っていました。
 たとえば、中学2年生くらいになると親と距離をとり始めて、「うるせークソババア!」とか言い出したりします。その時期に子どもが浮かない顔をして帰ってきたとき、親がどう対応するかは難しいですよ。霜村さんだったら、どう対応しますか?

霜村  そうですね……私の息子はまだ2歳なので実感がわきませんが、子どもの表情を読みとって、「ちょっと浮かない顔してるね」と声をかけるくらいでしょうか。
小林

 それはパーフェクトの対応です(笑)。
 小学校低学年くらいまでは、嫌なことがあると一部始終を話してくれますが、中学生くらいになると、「どうしたの?」と聞いても、「べつに」「かんけーないじゃん」といった返事しか返ってこなくなります。だから、「浮かない顔してるね」と声をかけても、素直に「うん」とは言わないと思いますが、本当に親御さんに知られたくないのであれば、家に着く手前で表情をとりつくろってから、元気な顔で「ただいま〜」と帰ってくるはずです。そうしないで、浮かない顔を親に見せているわけですから、その表情をとらえて、「浮かない顔してるね」と言うのが、親としては適度なかかわり方といえるでしょう。これが、いわゆる「見守る」かかわり方なんです。

霜村  なるほど。「見守る」ということは、なにもしないこととは違うわけですね。
小林  なにもしなければ、なにも変わりません。ただし、浮かない顔をして帰ってきたときに、「どうしたの?」と言ってしまうと、思春期の子どもは「干渉された」と感じて拒否反応を示します。だから、もう少し軽く、「浮かない顔してるね」と声をかけてあげる。こうしたほどよい触り方を身につけることが大切です。
霜村  ほどよい触り方とは?
小林  実際に子どもに手で触れるときも、こちらがこわごわ触れたりすると、触られるほうは気持ちがわるいものなんです。触れるなら、手のひら全体でちゃんと触ったほうがいい。おそるおそる手の一部で触れると、相手は怖がって身を引きます。すると、双方とも「ごめんなさい」という気持ちになってしまう。
霜村  子どもがひさしぶりに学校に行こうと思ったけれど、やっぱり行けなくて落ち込んでいる場合などは、どんな声かけをしてあげたらいいですか?
小林

 そのとき本人がどう思っているのか、感じているのかを考えて、それを言葉にしてあげるのもひとつのやり方です。たとえば、「行こうと思っていたのに残念だったね」とか「大変だったね」とか、その子の気持ちを読みとって適度な触り方をしてあげる。
 そのときにいちばん大事なのは、親が安心感・安定感、心の余裕をもつことです。親がどっしりかまえて、「大変だったね」と言ってあげれば、子どもも「うん、大変だった」と安心して言えるし、「大変だった」という思いを親と共有できてよかったと感じるものです。いっぽう、親がハラハラドキドキしながら「大変だったわよねー」とか言っても、「なに言ってんだよ!」ということになりがちです。
 親の不安の感情は、そのまま子どもに伝わりますから、親が子どもと一緒に落ち込んだり、崩れ落ちたらダメなんです。親が「やっぱり行けなかった」とガックリ落ち込んでいたら、子どもは「大変だった」と言いにくくなってしまいます。

霜村  親自身も不安でいっぱいなのに、安心感や安定感をもって対応するのは大変ですよね。
小林

 確かに、そう簡単にできることではありません。ただし、「嫌だよね」「悲しいね」「寂しそうだね」「つらいね」「心配そうな顔してるね」といった言葉かけをするときも、子どもと一緒になって寂しくなったり、つらい気持ちになる必要はありません。親は、つい子どもの感情に同調しがちですが、子どもの不快な感情に巻き込まれないでどーんとかまえつつ、表面上は子どもとつながりながら、子どもの感情を受けとめることが大切です。

 「つらさ」や「悲しさ」といった不快な感情は、時間とともに必ず弱まってくるし、他人と共有できると、その弱まり方がもっと早い。親が「つらかったねー」と声をかけていると、時間はかかるかもしれませんが、子どものなかにさまざまな感情が戻ってきます。そのときに、「よかった」「いい顔になったよ」と声をかけてあげてください。そして、「つらいことをひとりで抱えていないで、たまにはこうして口に出すといいと思うよ」と言ってあげると、子どものほうも感情を出しやすくなるし、不登校の原因になっていることも口にしやすくなるはずです。本人が原因について話したときは、そのつらさを大事に受けとめてあげてください。
霜村  そのとき、親御さんのほうも、ひとりでお子さんと向き合っていると煮詰まってしまいがちです。親自身の不安な気持ちを解消する手立てがないと、なかなか状況が好転していかないということもあるかと思います。ですから、親のほうも気持ちを共有できる人を見つけたり、このようなセミナーに参加したり、相談しているカウンセラーがいらっしゃるなら、その方と二人三脚で対応の仕方を考えていくのもいいかなと思います。
小林

 私はよく、「せっかく不登校をやっているのだから、このときしかできないことをやってみたらどうでしょう」とアドバイスしています。学校に行かなくても、学校以外の人たちと関係をつくるチャンスはあるわけで、幸い自由な時間もたくさんある。だったら、家の中にいるよりは、本人が好きなことや興味があることで第三者との出会いが生まれるようにパイプづくりをして、外に連れ出してみるのもひとつの方法です。これを「社会性の拡大」といいますが、そうしたチャンスも不登校中にはあるということです。
 そのためにも、親が世間体を気にして、つきあいを狭くしないことが大切。「うちの子、学校に行ってないのよ」と言える友人を何人かつくれると気が楽になりますよ。すると、「実はうちの子も何年か前はそうだったのよ」と本音で返してくれる親御さんがいるかもしれません。

霜村  これまでのお話で、不登校の子どもたちが回復していくプロセスには、親と子の「感情面」での安定がとても重要だということがわかってきました。その後、気持ちが安定してきて自分を出せるようになってきたときに、次のステップとして「行動面」で外に出ていかなければならない段階を迎えるわけですが、そのときに大切な対応は?
小林

 そういう段階になると、ここが勝負どころといった状況が出てくることがあります。たとえば、別室登校まではクリアできたけれど、まだ教室には入れないとか、「これを乗り越えればうまくいくのに」といったところにさしかかると、子どもは心理的にかなり高いハードルを飛び越えなければなりません。教室の前までは行けるのに、ドアを開けるまで何カ月もかかったという子もいます。まわりからみるとじれったいし、なんでこんな簡単なことができないんだろうとイライラすることもあると思います。
 「明日、学校に行く!」と子どものほうから宣言することもあります。そんなときは、両親そろって「そうか! 頑張れ!」と励ますよりも、たとえばお父さんのほうが「もう少しのんびりすれば?」「無理しないほうがいいよ」といった感じで、後ろにひっぱってあげるといい。両親とも「頑張れ!」とハッパをかけるとものすごいプレッシャーだし、結局行けなかったりすると、子どもは地獄に堕ちたような心境になってしまいます。
 だから、せめてお父さんが「人生は長いんだから、あと1年くらいゆっくりしたらどうだ?」と言ってあげたほうがいい。すると、子どもは「せっかく行くって言ってるのに、なんだこのクソ親父!」と思って、逆に行こうという気持ちが強くなり、翌日、「親父、きのうは学校に行ったよ!」と自慢げに報告したりします。中学生以上になると、父親を出し抜いたことをすごく嬉しいと感じるものですから。
 親の思惑をふりはらっていくのが、この時期の子どもの「発達」ですから、親のほうが「まだ無理なんじゃないの?」と背中をひっぱってあげて、最後は自力で飛び出していくというのが理想です。

霜村  学校側の受け入れ態勢も大事ですよね。学校のなかに親御さんと一緒に動いてくれる先生が多いと、登校しやすい環境づくりや作戦が立てやすくなり、スムーズに再登校にこぎつけられるのではないでしょうか。
小林

 先生を味方につけることも大切です。先生のほうも、子どもが学校に戻ってくれれば嬉しいわけですから。担任の先生だって、自宅に訪ねて行っても子どもが会ってくれなかったりして、傷ついているんです。自分が担任になったとたん不登校になったりすると、自分に原因があるんじゃないかと悩んだり。
 だから、親御さんから「先生、再登校に向けてお手伝いしてもらえませんか?」と言われたら嬉しいはずだし、具体的に手伝えることがあれば、「やりましょう」と言ってくれると思います。直接先生に頼みにくいときは、スクールカウンセラーをつなぎ役として利用してもいいし、そうやっていろいろな先生方の力を活用することがポイントです。

不登校の子どもにとって親とはなにか

霜村  それでは最後のテーマ「不登校の子どもにとって親とはなにか」について、お話を聞かせていただきたいと思います。
小林

 これまで、不登校の子どもは「感情面」「行動面」でどんな状態にあり、親としてそれをどう支えていくかというお話をしてきました。ここでは、子どもの「思考面」での変化と支援についてお話ししたいと思います。
 まず、不登校になると子どもにどんなことが起こるかというと、学校に行けない自分、学校のことをだんだん嫌になっていく自分に深く傷ついていきます。その結果、「自分はダメだ」という考え(思考)が頭のなかを占めるようになります。その裏返しとして、自己中心的になったり、プライドだけが変に高いといった状態が表れてくるわけです。
 では、親はどうすればいいのか。要するに、「自分はダメだ」ということと逆のメッセージをいつも出し続けることです。「自分はダメだ」の逆は、「自分は自分のままでいい」ということです。だから、親としては、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージをくりかえし伝えていくことが重要になります。

霜村  「あなたはあなたのままでいい」なんて、面と向かってなかなか言えない……。
小林

 確かに日常生活で、こんなドラマのようなセリフを言う機会はそうあるものではありません。別に「あなたはあなたのままでいい」なんて言葉を使わなくてもいいんです。親として「あなたはあなたのままでいい」「あなたは大切な存在」という思いをもちながら、子どもを見守っていくことが大切なのです。そういう思いをもちながら接していれば、子どもは必ず親の思いやまなざしに気づきます。そうしたまなざしは、親にしかできないメッセージです。手で触れる、言葉で触れるというやり方もありますが、まなざしで触れるということを重ねていくことが大切です。
 もし、そういう思いを直接子どもに伝えるとしても、面と向かって言うよりは、横並びで座って、一緒にテレビを見るとか、なにか作業をやりながら話したほうが自然にできるかもしれません。手紙で、過去の思い出や楽しかったこと、嬉しかったこと、病気になってどんなに心配したかといったことを伝えるのもいいでしょう。

霜村  一緒にテレビを見ながらなにげなく言うなら、言いやすいかもしれません。
小林  いずれにせよ、「よし、言うぞ!」とかまえるのではなく、なんのてらいもなく自然に心から言えたときに、その思いは子どもに伝わります。親御さんからも、「本心からこの子はこのままでいいんだと思えたときを境に、子どもが急に元気になったんです」というお話をよく聞きます。親の気持ちのありようを、子どもは敏感に察知します。頑張って言葉で伝えようとするよりも、心から「あなたはあなたのままでいい」という気持ちになれるかどうか、それこそがいちばん強い無言のメッセージになるはずです。まあ、親として修行の機会を与えてもらっているようなものですが(笑)、そう思える瞬間が訪れたとき、「この数年間はこのためにあったのか」と思えるでしょう。
霜村  最後に、今日ここにおられる参加者のみなさんに励ましのメッセージをお願いします。
小林

 ひとつの事例をお話ししたいと思います。現在は社会人としてしっかりと自立した生活を送っていると聞いていますが、その子は小学校からずっと不登校で、中学校に入ってからは非行少女になってしまいました。お母さんへの暴力もひどくて、身の危険を感じるほどだというので、一時避難的にワンルームマンションを借りて、お母さんに家出をしてもらいました。その間、お母さんにお願いしたのは、週1回、その子にわからないように家に帰って掃除をして、「お母さんが帰ってきたな」とわかるようにしてほしいということと、その際、小さいときからの思い出を手紙に書いて置いてきてほしいということです。それを毎週続けました。
 最初のうち、その手紙はまったく読まれることなく破り捨てられ、ゴミ箱に入っていました。ところが、しだいに破られることもなくテーブルの上に置いてあるようになり、読んだ形跡もあり……というふうに変わってきて、そのうちお母さんの携帯に短いメールが入るようになったのです。その間、お母さんは、手紙やメールで「あなたは私にとって大切な子だった。そして、今も大切な子」というメッセージを送り続けました。
 親御さんとしてはしばらく大変かもしれませんが、周囲の人からエネルギーをもらって、ご自身の心の安定をはかりながら、お子さんと向き合っていただければと思います。

霜村

 私からも、参加者のみなさまにひとつメッセージをお送りしたいと思います。
親御さんからのご相談でよく、「うちの子は、自分の弱さやダメな部分が気になってしかたがないんです」という話をお聞きします。気になるのは、性格的なことから体型のことまでさまざまですが、たとえば、「太っているから恥ずかしい」とか「やせるまでは外出できない」とばかり言っているというのです。
 そんなとき私は、その子がそれを「笑い」にできるかどうか、ということを考えます。つまり、自分の欠点を笑いにして人に話せるようになったとき、その子はその欠点を強さに変えることができたんじゃないかと思うのです。子どもたちは、そうした強さをどこかで身につけていかなければいけない。

 そのためには、まずお子さんのいちばん身近にいる親御さんが、自分の嫌いなところや弱点をあっけらかんと笑いにできるかどうか。日常生活のふとした場面で、お母さんが料理が苦手だとか、お父さんがメタボだとか、自分のダメなところを「そうなんだよね〜」と認めて、アハハッと笑ってしまえる余裕があるといい。そういうのって「強さ」なんだよということを、子どもに自然に見せてあげられる場面があるといいなと思います。

※続いて、会場からの質問に答える時間になりました。内容はこちらで

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