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【2組の親子によるトークライブ】子どもに聞けなかったこと、親に言えなかったこと Part.2

登進研バックアップセミナー56 第1部抄録(2006年11月23日開催)

ゲスト

A子さん(19歳、大学生)+A子さんのお母さん(以下、A子ママ)
B男さん(19歳、大学生)+B男さんのお母さん(以下、B男ママ)

司 会

海野 千細(八王子市教育委員会教育指導課心理相談員)

助言者

荒井 裕司(登進研代表)

※ゲストの方々の年齢等は、セミナー開催時のものです。

 

高校選びで決め手になったこと

海野

 A子さん、B男さん、不登校中、勉強はどうしていましたか? 先々のことを考えると、親としては勉強の遅れが非常に気になるわけですが…。

A子さん

 私は勉強はあまり好きではなかったし、成績もそれほどよくなかったので、不登校になってからはまったく勉強しませんでした。

 でも、フリースクールに通うようになってから時間割の中に「学習の時間」というのがあったので、そのときに教科書やテキストを自主的にやっていました。すると、フリースクールの先生が勉強をよく見てくれるようになって、いろいろ教えてもらいました。
 サポート校に入ってからは、もちろん勉強する時間は大幅に増えました。長い間、学校で授業を受けることから遠ざかっていたので、教室で机に座って授業を受けるという当たり前のことがとてもうれしかった。

B男さん

 私立中学での経験から勉強が嫌いになっていたので、不登校中は勉強は一切しませんでした。
 ですから中1の夏あたりで知識のレベルが止まっていて、サポート校に入学してからはそこからやり直しをした感じです。クラスメートもみんな同じようなレベルで、勉強がちょっと遅れぎみな感じなので、共通の連帯感みたいなものをもって勉強できたのはすごくうれしかったです。

 私立中に入学したばかりの頃、同級生たちがみんな塾に通っていて、「せっかく合格して楽になったのに、なんでまた塾に通ってるの? なんなのこの人たち…」と不思議に思ったことを覚えています。

 勉強については、今でもまだ不登校中に抜け落ちた部分を完全に取り戻せたとはいえない状況なんですが、人並みに大学に行って、普通に生活できていることが大事なので、そこは今後の課題かなと思っています。

海野

 親として進路について気になっていたのはどんなことですか?

A子ママ

 まず、「学校に行っていないのに中学校を卒業できるのか」という不安がいちばん大きかったです。フリースクールに行くようになってから「フリースクールに通った日数は、在籍校の出席日数にカウントされる」と聞いて安心しました。

 高校進学については、一度、東京都の教育相談センターに「受験できますか?」と電話で問い合わせたことがあります。幸い「受験はできる」ということでしたが、とにかく勉強が追いついていないので、実際に受験するのは翌年になるだろうと思っていました。ですから、サポート校に入学できるとわかってほっとしたし、その後、娘がほかの学校も見てみたいというので、一緒にいろいろな高校に学校見学や学園祭の見学に行ったりもしました。

B男ママ

 勉強の遅れや進路については、最初はずいぶん気になっていましたが、途中からはまったく考えていなかった気がします。とにかく息子が元気になってくれればと、それしか考えていなかったように思います。
 中学校卒業については、今思えば、担任の先生が節目節目でさりげなくフォローしてくださって、「この日は来なさい」というアドバイスに従って登校したり試験を受けたりして、なんとか卒業できたという感じです。

 高校選びについては、まず本人が「通いつづけられる学校」ということを第一に考えました。高校でまた行けなくなったら、今まで苦しんできた意味がありませんから。それでいろいろ探しているうちにサポート校に行き当たり、何校か学校見学に行ったりしました。

海野

 A子さん、B男さん、進路選択で決め手になったのはどんなことですか?

A子さん

 フリースクールに通っているときに、そこと連携しているサポート校があることは知っていましたが、高校については、「フリースクール」とか「不登校」ということからいったん自分を切り離して、まっさらなところからスタートしたいと考えていたので、いろいろな学校に見学に行きました。

 でも、実際に見学に行くと、「自分には合わないな」と思うところが多くて…。それで、今のフリースクールと連携しているところなら安心して通えるなと感じて、そのサポート校に決めました。

B男さん

 中3になって、このままではいけないなと考えはじめた頃、母と担任の先生からサポート校というのがあると聞き、親と一緒に2〜3校見学に行きました。
 ほとんどの学校は説明会の日に他の入学希望者と一緒に話を聞くスタイルでしたが、一校だけ先生が直接面談してくれた学校があって印象に残りました。母がこれまでの経緯を話しているうちに泣いてしまっても、黙って話を聞いてくれて…。それが決め手になりました。ただの直感でしたが、間違っていなかったと思います。

海野

 おふたりとも実際に入学してみてどうでしたか?

A子さん

 私は、サポート校に入ってよかったと思っています。高校を卒業できたことは自分の自信になったし、友だちがたくさんできたり、素敵な先生に出会えたことは、お金では買えない財産だと思います。

 1年生のときは、まだ学校生活に慣れなくて休み休み通っていたんですが、今考えると「もったいなかったな」「もっとちゃんと通えばよかった」と思います。1年生の担任の先生の対応がとてもよくて、私がしばらく休んだあとに登校すると「よく来たね」と言ってくれたり、生徒一人ひとりとしっかり話をしてくれたり…。だから、高校では、以前のように途中で「やめちゃいたい」と思ったことはありません。

B男さん

 私も1年の頃はときどき休んだりしていましたし、最初の頃は、母に「お母さんの目が怖いから行ってるだけなんだよ」と冗談ぽく言ったりしていました。
 また、不定期に休んでしまうとそのままズルズルと休みが多くなり、再び不登校状態におちいりそうな気がして、毎週水曜日を自分で「休みの日」と決めて休んでいました。毎日通えるようになったのは、2年生の頃からだと思います。

海野

 親として高校選びの基準のようなものはありましたか?

A子ママ

 フリースクールに通っているうちにサポート校の存在を知り、娘が見学に行きたいと言うので一緒にあちこちのサポート校に行きました。どこの学校にするか最終的に決めるのは本人だと思っていたので、私はあれこれ口出しをせず、娘について行くだけというスタンスでした。

 そうしてあちこち見学した結果、やっぱり今通っているフリースクールの系列のサポート校がいいと娘が言い、そこに決めました。実は私もそこがいいと思っていたので、内心しめしめと思いました(笑)

 入学して最初の頃はまだ不安定な状態だったので、毎朝、行くか行かないか気が気ではなく精神的にきつかったんですが、だんだん行ける日が増え、3年生の頃はほぼ休みなしで通えるようになり、同時に私自身も元気になっていきました。
 高校卒業後は専門学校に行くのかなと思っていたので、本人から「大学に行く」と言われてびっくりしました。

B男ママ

 先ほども申し上げましたが、とにかく息子が「通える学校」「通いつづけられる学校」を第一に考えた結果、サポート校にたどり着きました。

 入学後、1年生のときは、本人も言っているとおり、毎週、規則正しく水曜日に「自主休校」していましたが、2年生になると毎日行けるようになり、「よかったな」「ひょっとしたら勉強するのかな」と、そこでまたムクムクとスパルタ精神が頭をもたげてきて(笑)。ところが、3年生になって大学受験に向けて勉強するかと思いきや、ちっともしないんです。

 そのうえ、息子は昔に比べてずいぶん強くなっていて、私が多少騒いでも「またお母さんの病気が始まった」くらいの感じで受け流せるようになってきました。それはこの3年間、サポート校に通いつづけ、そこでたくさんの人たちと出会い、さまざまな経験を積んだおかげかなと思っています。

高校入学後に必要な支援体制とは?

海野

 これまでの進路に関するお話の中で、「サポート校」とか「フリースクールに通った日数は、在籍校の出席日数に換算される」といった話題が出てきましたので、そのあたりのことについて、荒井先生に解説していただきたいと思います。

荒井

 こんにちは、荒井です。よろしくお願いします。
 まず、A子さんのお母さんのお話の中に出てきた「フリースクールに通った日数は、在籍校の出席日数にカウントされる」という件ですが、このことを知らない方も多いので少し説明させていただきます。

 1992年、文部科学省(当時の文部省)は、不登校を「どの子にも起こりうること」と認める見解を明らかにしました。また、この見解に基づき、民間の教育機関(フリースクールなど)に通っている子どもの通所日数は、学校長の判断により在籍校の出席日数として換算されることになりました。当時、こうした文科省の姿勢は大きな反響をよびましたが、当事者である子どもたちや親御さんのなかには、こうした出席認定の施策があることを知らずに悩んでいる方も多かったようです。
 もし、A子さんのお母さんのように「出席日数が足りなくて卒業できないんじゃないか」と不安に思っている方がおられたら、現在通っているフリースクール等に問い合わせてみることをおすすめします。


 もうひとつ、先ほどから「サポート校」という言葉がくり返し出てきていますので簡単に説明したいと思います。

 サポート校とは、「通信制高校に在籍する生徒のために、高校のカリキュラムに合わせて学習指導や生活指導を行い、高校卒業資格取得のためのサポートをする民間の教育機関」のことです。通信制高校(通学型ではない場合)は、自分のペースで学べる自由さがある反面、計画的・継続的に学習を進める自己管理が必要となりますが、ひとりでコツコツと勉強するのはなかなか難しいものです。そこで、彼らの学習面や生活面をサポートするために登場したのがサポート校なのです。

 サポート校に入学した生徒は、同時にそのサポート校と協力関係にある通信制高校にも入学しますが、日々の授業や行事など高校生活の中心はサポート校で行われますから、生徒たちは「本籍は通信制高校、現住所はサポート校」にあると考えればわかりやすいかもしれません。

 なお、不登校の子どもたちを受け入れている高校は、サポート校以外にもいろいろあります。東京都では「チャレンジスクール」がありますし、自治体によっては「不登校枠」といって、一般入試とは異なる方法で選抜する特別枠を設けている公立高校もあります。通信制や定時制に進学する子どもたちも少なくありません。その中で本人に合った進路をどう探すか。それが何よりも重要になってきます。

 なかでも重要なのが、A子さん、B男さんもそうでしたが、不登校を経験した子どもたちは高校に入学したからといって、すぐに毎日元気に通えるようになるとはかぎらないという点です。

 多くの場合、入学後しばらくは学校生活に慣れるための “リハビリ期間” が必要になってきます。つまり、自分の心身の状態等を考えながら、無理せず自分のペースで通うわけです。

 しかし、そうなると全日制高校など出席を前提とした学校では欠席日数がどんどん増えていきます。一般的に欠席日数が年間授業日数の3分の1を超えると留年になりますから、「あと○日休んだら留年になってしまう…」といったプレッシャーがのしかかってきて、非常に苦しい状況に追い込まれます。

 先に紹介した東京都の「チャレンジスクール」も、実は出席を前提としています。チャレンジスクールは、不登校を経験した生徒たちに配慮した入試方法を採用するなどさまざまな試みを実施しており、入学の窓口は広がったのですが、出席日数不足によって中退せざるをえない生徒がどうしても出てきてしまうため、結果、卒業率が低いというのが現状です。

 対してサポート校は、本籍が通信制高校ですから、出席を前提としていません。ですから、先ほどのB男さんのように、自分の疲れ具合等に合わせて「毎週水曜日は休む」といったことが可能になるわけです。そうして行ったり行かなかったりをくり返しながら、徐々に自分のペースをつかんでいく。そういう試行錯誤の時間を保証してあげることが、彼らにとって非常に重要な支援になるわけです。

 そのほか不登校を経験した生徒たちが高校に進学する際、必要な支援体制を以下の表に示しました。不登校の進路選択で重要なのは、「入学できるかどうか」ではなく、これら「入学後の支援体制がしっかり整っているかどうか」がポイントになります。

●入学後に必要な支援体制


①調子の悪いときは休める体制をつくる(出席を前提としない)ことにより、「休んではいけない」というプレッシャーを取り除く。

②わかるところから一歩一歩、生徒のペースに合わせて学習支援を行う。

③友だちづくりがしやすいように、クラス編成や座席などに配慮する。

④なかなか通学できない生徒に対しては、家庭訪問により、学習面や精神面のフォローを行う。

⑤カウンセラーや医療機関とのチームワークを整備する。

⑥教員一人ひとりがカウンセリングマインドをもって対応する。


 さまざまな選択肢の中から自分に合った進路を見つけるためには、実際に学校に足を運び、自分の目で見て、判断すること。ひと口にサポート校といっても、教育内容、校風、教員の対応、生徒たちの雰囲気などは、学校によって大きく異なります。また、学校然とした立派な校舎のある学校がいいという子、こぢんまりとしたアットホームな学校のほうが安心できる子など、好みもさまざまです。

 HP等でチェックするだけでなく、まずは学校説明会や学校見学に出向いて、自分の目で、耳で、肌で感じていただければと思います。以上です。

動き出すきっかけは?

海野

 A子さん、B男さんへの質問に戻ります。
 ひとつは、立ち直る「きっかけ」のようなものがあったかどうか。
 もうひとつは、よく「エネルギーがたまる」という言い方をしますが、おふたりには、動き出そうとするエネルギーがたまってきたなと実感するような経験があったかどうか。この2点をお聞きしたいと思います。

B男さん

 私の場合、自分自身が不登校であることをそれほど問題視していなかったので、「立ち直る」という概念は設定しづらいものがあります。
 また、親と再び普通に会話ができるようになったのは、「きっかけ」ではなく、「時間」だと思います。時間と、あとは先ほどお話しした母が料理に添えてくれたメモみたいなもの。そういう小さなふれあいの積み重ねが関係しているのではないかと思います。

 動き出そうとするエネルギーについても、私はたまった覚えはまったくありません。中学3年という状況に追い込まれたとき、「サポート校があるよ」という救いの手が差しのべられ、それにすがってなんとか動いたという状態ですから、「動き出そう」というより、「動き出さなきゃいけない」という思いだった気がします。

 母からのサポート校の情報についても、レールを敷かれるという感じではなく、「こういうところがあるけど、どうする?」といった感じで提示してくれたので、そこは本当に感謝しています。

A子さん

 私は、フリースクールがきっかけになったと思います。フリースクールに通えるようになって自信がついたし、今まで友だちと呼べる人がぜんぜんいなくて寂しかったけど、フリースクールで友だちがいっぱいできてうれしかったし、その友だちと話したり笑ったりするたびにエネルギーがたまっていったように思います。

海野

 今、振り返って、子どもが動き出そうとしたとき、親はどんなサポートをしたらよいと思いますか?

B男さん

 それは子どもによって違うと思います。私は中学校まで親の敷いたレールの上を走ってきた人間なので、親の命令があるとわりと動きやすいタイプなんです。親はそれをわかっていて、サポート校の情報を提示したり、学校見学や説明会に連れ出したりと、前に立ってひっぱるようなサポートをしてくれたのでしょう。
 やはり親は子どものことをいちばん把握していると思うので、それぞれの親御さんが、わが子に合ったサポートの仕方を考えてあげるといいのかなと思います。

海野

 A子さんは、どんなサポートをしてほしいと思いますか?

A子さん

 私の場合は、私がお願いしたときだけサポートしてほしいという思いがあって、なんか都合のいいときだけ親を利用するみたいに聞こえちゃうかもしれませんが、たとえば「〇〇高校の文化祭を見学に行きたいんだけど一緒に来てくれないかな」と言ったときに、「いいよ」と答えてくれるだけで私は十分にうれしいです。

海野

 それに対して、お母さんはどんなふうに対応していましたか?

A子ママ

 娘が言ったとおりにしていました(笑)。「一緒に来て」と言われたらついて行って、その際も決して親がリードしない。
 娘はもともと自主性のある子だったのに、それを私がつぶしていたのかもしれないと思ったんですね。黙って好きにやらせておけば、そのままやっていける子だったのだろうけど、私が手も足もぜんぶ取り上げてしまって、歩けるのに歩けないようにしばりつけていたのかな、と。

何が心の支えになっていたのか?

海野

 A子さん、B男さん、不登校中、心の支えになっていたことはありますか?

A子さん

 私の場合、音楽が支えになっていた部分があります。あるとき、夜中に自分の部屋で曲を流していて、今まではただ聞き流しているだけだった曲が、何かが降ってきたみたいに歌詞が胸に響いて、ひとりで泣きながら聴いていました。今でもその曲を聴くと「頑張ろう」って思えます。SURFACE (サーフィス)という2人組ユニットの「なにしてんの」という曲です。

 それと、私が不登校になったとき、母方の叔母が「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない」という言葉を教えてくれて。だから、今、私が不登校で悩んでいるのも試練なんだ、この試練は乗り越えられるんだ、と思って頑張っていました。

B男さん

 心の支えということですが、私の場合、自分の意思で不登校になっているという自覚をもってやっていましたので、不登校であることそのものが、不登校であることの心の支えになっているというか…、なんか話がややこしくてすみません。

 もうひとつ。私は怪獣映画が大好きなんですが、中学の頃はなかなか話の通じる人がいなくて、それで友だちができにくかった部分もあるんです。ところがそのうち、親がパソコンを買ってインターネットをやるようになり、自分も怪獣映画ファンの人のHPを見たり、同じ趣味をもつ人たちとネット上で話をするようになりました。それがとても楽しみでしたし、心の滋養になりました。

海野

 次は、お母さんにお聞きします。おふたりは、わが子が不登校だったとき、何か心の支えになっていたことはありますか?

A子ママ

 娘がフリースクールに行くようになる前、母の日に私に手紙をくれたことがあります。私への思いを詩にして綴ったもので、そのときは涙が出ました。

 サポート校に入学してからは、「父母会」で同じ経験をもつたくさんのお母さんたちと出会って、ひとりじゃないんだとすごく救われました。
 卒業した今も年1回はみんなで集まっています。お子さんの進路がまだ決まっていないお母さんもいるけれど、「まだ2年でしょ? 元気になるまで5年もかかったんだから、あと3年は大丈夫!」などと励まし合っています。

 最後に、うちの主人が、娘が不登校になったことについて「おまえのせいだ」と責めたりしなかったこと。それもよかったと思っています。

B男ママ

 まず、主人とよく話し合えたことが大きな支えになっていました。私のグチを本当によく聞いてくれたし、「僕は子どもを信じている」とよく言っていました。その背中に支えられたように思います。
 実家の母や兄は支えになっていたわけではありませんが、アドバイスはしても、干渉してくることはなかったのでありがたかったです。

あなたにとって不登校とは?

海野

 では、4人の方々への最後の質問になります。
 まず、A子さん、B男さんには、今、不登校の経験はどんな思い出として残っているか。そして、現在の気持ちと将来の夢を教えてください。

A子さん

 私は、不登校を経験してよかったと思っています。もしこの経験がなかったら、うすっぺらい人間になったかなって思います。

 将来の夢は先生になることで、だから大学も教育学部を選びました。今までいろんな先生と出会ってきて、サポート校の先生はすごいな、大好きだなと思ったから、そんな先生になりたいです。なかには自分と合わないなと感じる先生もいますが、そこは反面教師にして(笑)頑張りたいです。
 今日はありがとうございました。

B男さん

 不登校をしたことは、私自身、悪いこととか、マイナスになったとは思っていません。ただ、中高一貫校の同級生たちに対して、進んでいる道は間違いだとも言いたくありません。人間には向き不向きがありますし、彼らには彼らの道があり、私には私の道がある。それだけのことだと思います。

 将来の夢については、とりあえず夢を見ている暇があったらレポートを書かなければなりませんし(笑)、実際、2年半の不登校は学力的にはかなりの負担になっています。その意味では、不登校の経験は今も現在進行形の問題として残っているわけですし、私にとってまだまだ思い出ではありません。これからも、精一杯つきあっていかなければならないような経験です。
 本日はありがとうございました。

海野

 最後におふたりのお母さんから、会場のお母さんお父さんにお言葉をいただければと思います。

A子ママ

 あまり偉そうなことは言えないんですが、私が経験して感じたことを少しお話ししたいと思います。
 まず、子どもに期待しないこと、あまり心配しすぎないこと、でも、少しは心配すること。そして、子どもを見捨てないこと。あと、ぶつかってもいいから、お互いに思ったことはぜんぶ吐き出してしまったほうがいい。それがないと事態は打開できない気がします。

 それと、家族以外の誰かが自分を愛しているとか、必要としてくれていることが見えたときに、子どもは変われるのかなと思います。人は人によって傷つけられるけれど、人によって支えられたり、立ち直ることができるのだと思います。

B男ママ

 私もそう立派なことは言えませんが、子どもの不登校を経験して感じたことは、子育てって失敗したりつまずいたりのくり返しで、みんなあんまり変わらないんじゃないか、他人のお手本になるような立派なご家庭はそんなにないんじゃないかと思うんです。ですから、自分のやってきたことについて必要以上に自分を責めたり否定することはないし、自分の価値観を変える必要もないんじゃないか。ただ、その価値観を子どもに押しつけないこと。それが大事ではないかと思います

 もうひとつ、子どもの人生は私のものではなくて、子どものものだということ。私のものではない子どもの人生を、私が壊してはいけない。私はとんでもないことをしているんだ、と感じたことも何回かあります。
 最後に、家族なら多少ぶつかっても修復できるので、感情を抑えてばかりいるのではなく、たとえケンカをしても互いに思っていることを吐き出して、いろいろ話し合ったほうがいいのではないかと思います。

海野

 4人のみなさんから、本当に貴重なお話を聞かせていただきました。あらためて温かい拍手をお願いします。(拍手)

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